彼の歌声
レンを初めて見てから、というもの、おれはマスターが作曲を始めると毎回公園に足を進めた。レンはいつだって公園のベンチに前を見据えたままぼんやりとした表情を浮かべて座っていて、おれが声をかけると嬉しそうに微笑んでくれる。おれと同じ顔なのに、微笑み方が全く違うことに気付いたのは、レンと付き合い始めてから少しもしないころだった。
レンはよく微笑む。何かを諦めたように、そしてその諦めた何かさえを内包するように、微笑むのだ。テレビで見た、人間が老いたときに浮かべるそれと酷似している。その笑みを浮かべられるたび、おれはなんとも言えない感情が胸の内に燻るのを感じた。
その気持ちをレンに知られないようにと、感情を振り払うようにおれは無理やり笑みを浮かべて、そのままレンの隣に腰を下ろす。古く、しかも木材で出来ているベンチはおれとレンの重みに軋む。悲鳴のような音だと、ぼんやりと考えた。
「マスターの作曲は進んでいる」
トーンの低い、おれよりもどこか大人びた声でレンは問いかけてくる。耳に心地よい声、だなんて自画自賛のように思われるだろうか。少なくとも、おれの声とレンの声は違うように聞こえるし、おれが褒めているのはレンの声なのだから、自画自賛ではない。と、思いたい。
「わかんない。でも多分進んでるんじゃないかな」
「そっか。じゃあもうすぐ調整してもらえるんだね」
「どうだろ。マスター凝り性だからさ、今回も作曲にめちゃくちゃ時間かかるんじゃないかな」
ぼやくように呟くと、相槌を打つようにレンが微笑んだ。その微笑みを見ていられずに、おれはベンチの背にもたれて空を仰ぎ見た。
薄い青。広がるような水色。今日の空は、薄く広がっているように思える。ところどころ滲むような雲が浮かび、ゆっくりとうごめくように空の中を漂っていた。
どこからか鳥の声が、聞こえる。
「──、レンくんは空が好きなんだね。よく見ている」
「へ、あ、ああ、うん。おれ、空好きなんだよね」
突如として話しかけられ、慌てて体制を戻す。太ももの上に、手のひらをぎゅっと握って置き、レンを見た。彼は秘め事を囁くかのように、小さな小さな声で呟いた。
「ぼくも空、好きだよ」
「へっ。へええ! なんだ、一緒だな!」
「そうだね、一緒だ」