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『人魚姫は真実の底に沈む』サンプル(R-18抜き)

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2:その名がほしい

道幅は広い、家の面積も広い、土地だけは豊富に有り余っているこの土地で唯一狭いと感じたのが、学校だった。
校庭は例に漏れずだだっ広いのだが、一学年三教室しかなく、他に施設が充実しているわけでもない校舎は予想外に狭かった。転校前の学校とはえらい違いだ。向こうでは一学年が一つの棟に収まり切らず、渡り廊下で結ばれていることもあったのに、ここでは廊下に一歩出れば全クラスを見渡せてしまう。二年だけではない。他の学年もそうだ。
その為、三階に足を踏み入れた那須は迷わず目的の教室に辿り着くことが出来た。三年二組、窓際の一番後ろが花村の定位置。後ろのドアを開けるとお馴染みのハニーブラウンが見えた。
「……花村先輩!」
室内に向かって叫ぶが、花村は机に突っ伏したまま微動だにしない。
見兼ねたクラスメイトが肩を掴み、「おい、花村。呼ばれてんぞ」と揺さ振り起こしてようやく面を上げ、こちらに気付いた。寝起きは良いらしく、嬉しそうにはにかんで跳ね起きる。礼を言った相手がその背中で、鬱陶しそうに顔を顰めたことには気付かずに。
「…………先輩、」
「よぉ。どした?」
「寝癖付いてます」
「マジで!?」
何処何処、と騒ぎ立ててサイドの髪をグシャグシャ掻き回す花村に小さく嘆息する。カッコ悪い彼への呆れが半分と、それでも憎めない彼を取り巻く環境への不満が半分。
自称特別捜査隊唯一の三年生である花村は、特捜隊の外ではいつも一人だ。
その容姿は同性の那須から見ても整ったと認めざるを得ないし、下ネタを好むのが玉に瑕だが話し上手で聞き上手、本来ならクラスの中心にいてもおかしくない人物だろうに『ジュネスの息子』というレッテルが彼を孤立させている。
昨年オープンした郊外型のショッピングセンターは、この町の、ただでさえ寂れていた商店街に致命的なダメージを与えた。要はジュネスへの恨み辛みが、店長の息子である花村に向けられているのだ。第三者の那須にしてみれば理不尽としか言いようがないが、第三者であるが故にどうしようも出来ない。ただ苛立たしく思うだけだ。
「で、どうした?」
「えっと、今日の放課後なんですが」
彼の本質を見ようともせずに後ろ指をさす輩も、仕方ないと笑って済ませる花村も、何の力も持たない自分も。

3:まだ知らないあなたのこと

「けどさ……『目立ちたいだけ』なんて……あんまりだよ……」
あれ程世間を騒がせた事件の終わりは、あまりにも呆気なく。掛け替えのない命を奪った犯人の動機は、あまりにもくだらなくて到底理解出来るものではなかった。殺人者の思惑など理解したくもないが。
「あ、や、意味があればいいって事じゃなくて……」
との彼女の弁解通り、例えどんなに筋の通った理由があったとしても許されないことではあるのだが。
それでも、もう少し彼なりの主義主張があったなら、悔い改めた態度を見せてくれたならコメントのしようもあっただろう。今はただ、理不尽な結末を前に閉口する外ない。
薄っすらと怒気を孕んで唇をへの字に曲げている完二、物言いたげな顔で、しかし適当な言葉が浮かばないのか肩を落として俯くりせ。そうした面子の中で、千枝がわざわざ彼に向かって話し掛けたのは誰より事件の解決を願っていた人物だからだ。頬杖を付いた花村は伏し目がちにその膝へと視線を落としている。
先輩、と呼ばれておもむろに上げた琥珀の双眸は物憂げにくすんで「あ……ああ、悪い」ぼうっとしてた、と詫びる声にもいつもの歯切れの良さはない。溜息が卓上を滑る。
「救えなかったな、と思って」
そして、それに釣られたように零れ落ちたのは犯人への恨み言ではなく、自分自身を顧みての悔恨だった。
「救うって……まさか、久保のヤローを、スか!?」
「そっちじゃねーよ……その、モロキン……とか」
「でも、諸岡先生はマヨナカテレビに映らなかった……」
唐突な彼の反省の弁に、それまで重く口を閉ざしていた筈の面々が一斉に食らい付いた。「せめてマヨナカテレビに映ってたらね……」だの「そうだよ。マヨナカテレビに映った私や、完二や、雪子先輩はちゃんと助けられたじゃない」だのと彼を弁護するのは、彼と運命を共にしていた自分自身への言い訳なのかも知れない。だが、赤の他人の引き起こした予期せぬ事態まで背負い込もうとする花村に比べたら、余程正論のように聞こえる。
わざと肩を竦めてから、那須は険しい面持ちで告げた。

「今回の事件は、残念ながら三人の犠牲者が出ました。
その内山野アナと小西先輩は俺達が力を得る前の出来事で、諸岡先生は『被害者はマヨナカテレビに映る』セオリーから外れた、いわゆるイレギュラーでした。けれど、それ以外の被害者は全員生還したんです。俺達の成果です。
それを誇りこそすれ、救う手立てのなかったケースまで自分の責任を問うのは違うと思います。そもそも罪の意識を持つべきなのは、久保であって貴方ではありません」

4:嘘みたいに幸せな

「お前、これ知ってる?」
「確か、音楽に合わせて踊るゲームですよね。知ってはいますけど、やったことはありません」
「そ、そ。俺、あっちにいた頃結構やってたの。学校の近くにゲーセンがあってさ。そこそこ踊れるんだぜ?」
見たい? と問われたので那須は素直に頷く。というか、見てほしいのだろう彼の期待を削ぐのが躊躇われたというのが本音だが、兎も角、花村は上機嫌で百円玉を筐体に突っ込んだ。即座に画面が切り替わり、ゲームのタイトルがどん、と映し出される。言葉通り、慣れた手付きでボタンを押し、モードだの曲だのを選ぶ花村の姿にちらほらと人が集まってきた。
良く良く考えればこのロケーション、人通りの多い道路に面し、屋外に設置されたステージは意識しなくとも通行人の視界に入る。下手をすれば晒し者になること請け合いだが、花村は落ち着き払っていた。真面目な顔で画面を見ている。
「よっ!」
そして、曲が始まると共にジャンプして足元のパネルを踏み、そのまま画面上の指示に従って後ろへ左右へと足を動かした。実に軽快なステップだ。良く足が縺れないものだなと感心させられる。恐らく、良い出来なのだろう。スピーカーからは歓声のSEが聞こえ、周囲もひそひそと囁き合っている。「あの子、上手だね」と言うのを聞いて、動悸が走った。そんな観客へのサービスか、くるっとターンした花村は那須を振り返り、笑った。どうだ! と言わんばかりの自信に溢れた笑みに見惚れる。
たたん、と見事な足捌きを披露した花村はもう一度ジャンプしてラストを飾った。あちらこちらから拍手が起こるが、本人は表示されたスコアが不服だったようで顔を顰める。あーあ、と唸ってから「最後、外してやんの」とぼやいてこちらを見た。「調子乗り過ぎた」と舌を出す花村を笑顔で励ます。格好良かったですよ、と素直に褒めると照れ臭そうにはにかんだ。
「よっし、気取り直してもう一曲!」

5:醒めない夢を、どうか

所変わって花村邸。ここまで手を貸してくれた完二を見送って扉を閉めれば、花村と二人きり、この場に残される。