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跡誕2010

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迷い猫【東方雅美】


 硝子張りの筒の中に満たされた薄い青色の液体に、疲弊した身体をゆっくりと沈めていく。鼻から、口から、体内に異物が浸透してゆく感覚にはいつまでも慣れないが、体の方は既に抵抗を放棄し、液体に含まれる酸素や栄養素を受容する。
 液体を通して伝導される波動を脳が信号として感知し、脳波を受信して起動したシステムがPoTへの接続を開始する。
 PoT──Plan of Tabernacleとは、電脳空間に存在する仮想世界だ。数十年前に勃発した世界大戦のために人口の大半を失い環境を破壊した地球人は、汚染された地球で復興を進めるべく安全な地下都市を建設した。都市とはいってもそれはかつて地上にあったような街ではない。一人につき三畳ほどのスペースで区切られた、巨大なアパートメントともいうべきものだった。
 化学兵器によって土壌すら汚染された地球には、地下とはいえ安全な場所は限られていた。省スペースと生命の保障を突き詰めた結果、生き残った地球人たちは社会生活のフィールドを電脳空間に移したのだ。
 栄養分を摂取できる特殊な液体の容器に身体を沈め、PoTに接続し、そこで擬似的な生活を営みながら、他の惑星への植民事業を進めていく。週に一二回はログアウトし、アパートメントの外にある【Noah】と呼ばれる広場で身体を動かす。それはどうしても実体を伴わなければならない労働を意味する。例えば宇宙船の開発や、植民予定の惑星の事前調査などがそれに当たる。
 東方雅美は、PoTのバグやシステムエラーをトラブルシューティングする監視官として生きていた。一年の大半を仮想世界で過ごす東方にとって、 PoTからログアウトし現実に帰ることは休日を意味した。東方は週に一二度あるかないかの休日をNoahで散歩することに使った。Noahは、百キロ平方の広大な広場だ。至るところにビルや商店が並び、ひとつの都市を形成しているといってもいい。しかし現実であるはずのその場所は、東方にとってはあまり安らげる空間ではなかった。
 東方は戦後間もない頃に生まれ、物心ついたときにはアパートメントの家族用の少し広いシェルターに入れられた。六歳を迎えるまで両親と共に過ごし、後に個室に移された。学校も監視業務管轄省も、PoTの内部にあった。生殖のために、Noahで出会い結ばれた男女は子供を産み育てるときだけ広いシェルターでともに暮らした。性欲を満たすだけならば、PoTの中でも可能だ。現実を忠実に再現したグラフィカルな仮想世界では、ふれあう感触さえリアルなものだった。
 東方は、PoTの中でならば何度も擬似的な恋愛を経験した。しかしNoahでは恋愛関係に発展するような出会いに恵まれず、友人関係すら構築できずにいた。東方にとってはPoTこそがリアルであり、アパートメントの外にある現実世界は夢のように希薄なものだった。
 漠然とした予感がある。地球人はたとえ地球が浄化されても元の生活には戻れず、やがて滅びるだろう──。
 
 PoTへのログインが完了すると、東方の視界には見慣れた白い天井があった。ああ、ここが自分の部屋だ。帰ってきたのだ。そんな安堵さえ感じることに、罪悪を覚える。自分のような人間が増えれば、人類は破滅する。どんなにリアルに思えても、PoTは所詮虚構だ。【Tabernacle】とは、「仮の住まい」「霊魂の仮宿としての肉体」を意味する。
 
 ベッドから抜け出し、制服にクロスチェンジしながら、東方は苦笑を浮かべた。

 職場にフィールドを移すと、そこには既に同僚の南健太郎や千石清純がアクセス済みだった。

「おはよう、ふたりとも」
「ああ、おはよう」
「ちょうどよかった、東方に頼みたいことがあるんだよ」

 デスクにつくと、イベントウィンドウが手前に開く。どうやら予期せぬバグが見つかったらしい。

「この黒猫、昨日からここにアクセスしたまま座標移動しないんだ」

 南の頭に乗っていた小動物をひょいと抱き上げ、千石はそれを東方に差し出す。
 正確にはそれは生きた猫ではない。PoTで育成できるペットアプリケーションの一種で、本来ならこの座標──地球政府の公的期間であるPoT運営省トラブルシューティング課【YAMABUKIチーム】──にはアクセスできないはずのCPUアバターだった。

「飼い主にあたるユーザーを特定して強制的に移動させたいんだけど、どういうわけかロックがかかっていてユーザーが不明なんだ。パスワードを解析してくれないか」

 YAMABUKIの責任者である南は、ほとほと困り果てたように眉尻を下げる。東方は面倒そうな案件だと危惧しながらもそれを了承し、早速作業に取りかかった。
 しかし三時間解析を続けてもロックを解除することはできなかった。無理矢理解除しようとするとシステムにワーム攻撃するプログラムが組み込まれており、手がつけられないのだ。

「仕方ない。政府権限で【保護】しよう。告知機能に異常がなければそれで飼い主に伝わるはずだ。飼い主権限で手動コマンドを打ってもらえば、二度と此処にアクセスしないように設定できる筈だ」

 政府権限はどんな性質のアプリケーションでも拒絶できない仕様になっている。それで保護すれば、とりあえずこのフィールドから移動させることは可能だった。保護の事実はすぐに飼い主ユーザーにメールで伝わるはずで、飼い主自ら迎えに来てもらえば手っ取り早い。
 問題はこのバグの原因究明だ。省のセキュリティーやシステムに致命的な脆弱性があるとすればまた面倒なことになる。ペットアプリケーション等の無害なプログラムではなく、スパイボットやウィルスといった悪意のあるプログラムによって侵入される可能性があるからだ。

「でもさぁ、飼い主が迎えに来なかったらどうするの?」
「え?」
「捨て猫が暴走したって可能性もあるだろ?」

 千石の言葉に、東方は顔をしかめた。もし彼の言う通りならば、もっと面倒なことになる。

「この猫自体がなんらかの攻撃の意図をもって此処に送り込まれた可能性もあるってことか」

 東方の腕の中で黒猫が鳴いた。大きな青い瞳の子猫だ。よく見るとその毛は黒と言うより銀に近いかも知れない。見れば見るほど愛くるしいが、その挙動は少し個性的すぎる。政府権限で開いたコマンドウィンドウのメニューも、通常ではあり得ないほど事細かな選択肢があった。

(これは──)

 東方の脳裏に、ある可能性が浮かび上がる。

「この猫……レディメイドじゃないな………ユーザーカスタマイズシステムだ」

 その呟きを拾い、千石は怪訝そうに首を傾いだ。

「え?ユーザーの権限でプログラムを書き換えるのは違法だろ?じゃあやっぱりそれってワームばらまきアプリなんじゃないの」

 通常のアプリケーションはあらかじめプログラムされたメニューから各種の設定をするようになっており、ユーザーがプログラム自体を弄ることはできない構造になっている。悪意のあるコマンドを書き込まれないようにするためだ。意図的でないエラーを除いて、そういったアプリケーションを生産した者およびプログラムを改竄しシステムに攻撃したユーザーは厳しく罰せられる。

「いや……そういうわけではないと思う」
作品名:跡誕2010 作家名:_ 消