境界の歩き方
2/邂逅
翌日の土曜、伴田は早速跡部と千石を伴って問題の家に向かった。
「……どうぞ、こちらです」
出迎えた不二裕太は跡部達を見て一瞬「何故、こんな子供を連れてきたのか」とでも言いたげに表情を変えたが、それを口には出さずに三人を奥へと招いた。
周助の寝室には先客がいた。裕太と同じ年頃と見られる若い男だ。籐の座椅子に腰掛け、ベッドの上の周助となにやら談笑していた彼は、伴田達に気付くと軽く頭を下げた。
「貴方が、裕太が依頼したという霊能力者さんですか。わざわざ足をお運びいただいてすみません。僕が、兄の不二周助です」
慇懃な口調だが、どうやら彼は自分達を歓迎していないようだと跡部は感じ取る。それに気付いているのかいないのか、伴田はにまにまと笑ったまま用意された座布団の上に膝を折った。跡部や千石も、同じように腰を下ろす。裕太がお茶を運んできたのを見計らって、伴田はおもむろに口を開いた。
「ところで、そちらの方はどなたでしょう?」
この質問には、意表をつかれたらしい。周助は一瞬面食らったように瞠目し、苦笑いを浮かべた。
「ああ、僕の後輩です。見舞いに来てくれて」
「どうも、桃城武ッス」
先程のように軽く頭を垂れ明朗に自己紹介した桃城は、白い歯を見せながらネクタイを緩めた。スーツの似合わない男だ。首にタオルを巻いて工事現場で汗を流している方が余程しっくりくる。跡部はそう考えてから、さすがに失礼かとその想像を打ち消した。
「そうでしたか」
「あっ、俺のことは気にしないで進めてください」
「では、そうしましょう。例の染みは何処です?」
「今はそこの箪笥の裏に隠してあります。なにしろ気味が悪いから」
周助が示した先には、高価そうな桐の箪笥が鎮座していた。
「除けないことには、けんしょうできませんねえ。裕太さん、桃城さん、手伝っていただけますか」
「ああ、はい」
「いいっすよ」
本来なら跡部達に任せるところを、伴田は裕太達に頼った。霊媒は精神力以前に体力勝負の行為だ。跡部や千石の力が必要な場合に備えて、弟子達の体力を温存しようという魂胆だろう。少々呆れつつ千石に目配せすると、彼もまた「伴爺らしいよ」と書かれた顔で笑っていた。
箪笥を動かして現れた染みは、予想以上に大きく、まがまがしいものだった。そして、跡部達の目には、壁に張り付いた気弱そうな男の姿が見えていた。
跡部は顔を顰めた。嫌な予感しかしない。これは相当性質の悪い怨霊に違いない。しかしそれは漠然とした勘のようなものだ。伴田に訴えられるほどの確信はない。跡部は自分の霊能者としての未熟さを改めて実感し、舌打ちしたい衝動にかられた。
「貴方は、誰です?何故この家に執着し、そんな顔をしているんでしょうか?」
伴田はあくまでも鷹揚に呼びかける。自分が話し掛けられたことに気付いた霊は、びっくりしたように瞬いた。
《なんだ?……お爺さん、僕の姿が見えるのかい》
「ええ、私は霊媒師の伴田幹也と申します。私だけでなく、後ろにいる子供達も貴方を感知していますよ。私達は、貴方が成仏できるよう、お手伝いしたいと思っています」
伴田の語りかけは、相変わらずまわりくどかった。榊ならば、こんな長口上は一切なく、問答無用で浄霊を行っただろう。怨霊を気遣い、打ち解けようとする試みは、跡部には甘い考えとしか思えなかった。
《………僕は、五年前にこの家で殺されたんだ。僕を殺したあの女が死なないかぎり、僕は成仏なんかできっこない》
「貴方はその女性がいまどうしているのか知っているの?」
そう尋ねたのは千石だった。怨霊は一瞬沈黙し、残念そうに首を振る。
《知らない。嗚呼、僕はなんにも知らない!僕はこの場所に縛られて動けないんだよ。うう……サヨコ、サヨコ……いま何処にいるんだ……》
「そのサヨコさんと貴方は、どんな間柄だったの」
《それは……サヨコは……愛人だ。妻のいない間に家にやってきて、僕を殺してマヤを奪っていった!》
「マヤって?」
《僕の娘さ……まだ生まれたばかりで……そうだ、マヤはどうしているだろう!?あの女に殺されていないといいんだが………》
千石と怨霊の会話はなおも続く。相変わらず霊から情報を引き出すのがうまい。子供だからと侮られているのかも知れないが、千石にはそれだけではない、霊やあやかしを饒舌にさせてしまう独特の雰囲気と話術があった。
固唾を呑んで見守る裕太達には、当然霊の声は聞こえていない。複雑な表情で千石をみつめながら、それでもただならぬものを感じているようだった。
やがて千石は怨霊との会話を打ち切り、伴田を振り返る。
「そんな事件が本当に起きたのか調べて、この家の前の住人にも話を聞いた方がいいと思う。彼は今日のところはおとなしくしてくれるってさ。サヨコさんとマヤちゃんの所在と様子を調べてあげる引き換えにね」