聖夜に降る雪の星
自分が跡部を好きだなんて。そんなことあるわけ無いや……ろ……。と日吉に断言したい。
熱でだるかったから……や……。と最後まで言えへんかった。
気付きたくなかったのに。
跡部に彼女ができたのを、認めたくなかったのは。
寄り添う彼女の手が跡部のネクタイを直した時、胸がズキっと痛んだのは。
二人が見つめ合う瞳に気がついた時、思わず目を逸らしたのは。
自分が跡部を好きだからなのだ。
さっき自分の気持ちを嫌でも気付かされて。
忍足は愕然としていた。
「忍足さん、暫く休んで下さい。そして目が覚めたら俺のこと考えてくれませんか?」
「日吉」
「おやすみなさい、忍足さん」
髪の毛を撫でられて、真摯な言葉で囁かれた。
それに促されるように、忍足は瞳を閉じた。
ぽっかりと開いた暗闇の中に引きづり込まれるように、忍足は眠りに落ちていった。
時々換えられる冷たいタオルに何度か身じろぎをするが、はっきり覚醒するまでには至らない。
「―― ううん」
「忍足さん、苦しいですか?」
そう問う声に、ゆっくりと目を開けた。
薄明りの中で自分を心配そうに覗き込んでいる日吉の顔が、すぐに視覚の中に飛び込んで来た。
カーテンを完璧に締めているわけでは無いのに、部屋の中が薄暗いのは既に夕刻なのだろう。
随分と寝たものだと忍足は思った。その間、日吉は電気も点けずに自分を見ていてくれたのだろうか。
「……日吉、大丈夫や」
「でも、だいぶうなされてましたよ」
「ちょ、寝起きの悪い夢を見とったぐらいや」
夢の中でも跡部が笑っていた。自分では無く、彼女に。あんな楽しそうな跡部の表情は初めて見た。
黙って二人を見つめている自分。
初めて己で自覚した切なさだった。
夢だとわかっても、妙にリアルに目の奥に張り付いたように、残像が残っているような気がした。
「まだ、熱は下がりませんね」
日吉の冷たい手が忍足の額に触れた。
「日吉がずっとタオルで冷やしてくれとったのにな。すまんな」
「なに言ってんですか。熱が下がらないのを謝らないで下さい」
それから何を話せばいいのか、忍足には見当がつかなかった。
眠りから覚めて、段々と意識がはっきりとして来る。日吉から言われた言葉も意味をなして忍足に迫って来る。
それに気付かない振りをして、いつもの声音で淡々と尋ねる。
「もう暗くなっとるんやね」
「もうすぐ5時ですし」
「そうか俺、だいぶ寝とったみたいやね」
「ええ。忍足さんが眠ってる間に、イブにはめずらしく雪が降って来ましたよ」
「えっ、ホワイトクリスマスなん」
「そうですね。積もってはいませんがライトにキラキラ反射して綺麗ですよ。窓から外覗いてみますか?」
「そうやね」
ベッドから起き上がって、スリッパを履く。
ずっと寝ていたせいなのか、熱のせいなのか、急に立ち上がったが不味かった。
頭がクラクラして、身体がふらついて倒れそうになった。
「忍足さんっ!」
その身体を、日吉から抱き締められた。
「……日吉」
その腕はいつまで経っても忍足を解放しなかった。
跡部の薔薇の香りとは違う、柑橘系のフレグランスの香り。日吉の匂いに包まれて、跡部の匂いを思い出していた。
「日吉、もう大丈夫や。ごめんな」
「……跡部さんのために、無理しないで下さい」
「えっ?」
まるで自分のこころの中を覗かれたような言葉にどきりとした。
「悪く言うのは申し訳ないですが、跡部さんは自分と彼女のために、忍足さんを利用してるんですよ」
「それぐらい誰でもするやろ。跡部のこと悪く言わんといてやって」
「忍足さんは、やはり跡部さんを庇うんですね」
「たとえ俺が跡部が好きやっても、それは跡部にとって迷惑な感情でしかあらへん。
だから俺のことで跡部を悪者扱いせんでやってくれと言うとるだけや」
忍足を抱きしめている日吉の腕に力が込められる。
「日吉、痛いわ、ちょう離してくれへん」
「忍足さん、俺のものになって下さい」
「日吉、どうしたんやお前らしないで」
「何が俺らしくないんですか?俺は忍足さんを手に入れるためなら、なんでもしますよ」
「日吉!」
いつもの日吉とは思えない切羽詰まった余裕のない言葉だった。
一瞬で、熱のために苦しんでいる忍足を思いやる気持ちを、消滅させるほどの激しい劣情の爆発。
しかし。
自分は日吉の激情に答えることはできない。はっきりと自分の気持ちに気付いてしまったのだから。
「忍足さんっ!」
力任せにベッドに押し倒された。
「やめっ!」
日吉の身体を突っ張って離そうとするが、武道にたけている日吉の身体を押し返すことなど不可能だった。
「日吉!忍足になにしてんだ!!!」
いつの間にドアが開いたのか、全く気付かなかった。
怒声と一緒に部屋に飛び込んできた跡部の形相も、今まで見たことがないくらい怖い。
すぐにベッドのところまで来ると、殴り掛かりそうな勢いで日吉に掴み掛かった。
いつもの冷静な跡部とは思えない振る舞いだった。
日吉も負けてはいない。跡部を冷たい瞳で睨みつけると言い放った。
「自分の都合で具合の悪い忍足さんに気を使わせて。……いいえ、結果的に跡部さんは、忍足さんの気持ちを弄んだのと一緒ですよ」
「どういう意味だ!」
「忍足さんは跡部さんが、す……」
「日吉やめっ、それはなんも跡部には関係ないことや!」
「跡部さんは最低ですよ!」
「なんだと!」
「跡部さんは卑怯です」
一触即発。
危ない、2人を引き離さなそうと咄嗟に身体が動いた。
2人の間に入った忍足の身体にパンチが当たったのか、掠めたのかもわからなかった。
「日吉、跡部はなんも悪いことあらへん。俺が熱があること、黙っとったんやから」
日吉の腕を掴んでそう言った。
「跡部を殴らんとって!」
「やっぱりこんな時でも忍足さんは、跡部さんを庇うんですね。好きな人を庇うんですね」
「……日吉、なに言う……ん……や……」
「忍足!!!」
「忍足さん!!!」
目を開けているはずなのに。
目の前が真っ暗になった。
闇がぽっかりと口を開いて。
飲み込まれていく。
遠くから忍足の名を呼ぶ声を聞いた。
答えようとしても、声が出ない。
全身から力が抜けて、倒れていく身体を誰かに抱きとめられたのだけはわかった。
「忍足!忍足!!忍足!!!しっかりしろ!!!」
「跡部さん、落ち着いて下さい」
……。……。
最後に感じたのは、甘く香る薔薇の香。
全てが遠くなる。何も見えない何も聞こえない世界に、忍足は引きづり込まれていった。
カチコチという時計の音だけが耳元に届いて来た。
秒針の音と微かに感じる薔薇の香り。
夢の中を浮遊する意識が、少しずつ覚醒して来る。
ゆっくりと瞼を開くと、暗い部屋の中にシルエットが浮かび上がった。
「誰かおるん?」
「気がついたのか?気分はどうだ、忍足」
「跡部なん?」
「あぁ」
ベッド脇にあるスタンドの照度が上げられると、シルエットが跡部に変わった。
微妙な光源が跡部の顔に影を落とし、いつも以上に憂いを含み妖しいほど綺麗に見えた。
忍足のところに近づいて来ると、心配そうに顔を覗き込んで問う。
「どうして高熱出しているのを黙ってたんだ」
「やて、せっかく跡部が……」