梅花色の幸福な夢
園原杏里は寄生蟲の一種、『罪歌』の現存唯一の『祖』である。初期の『罪歌』は日本刀の姿をしていたらしいのだが、どういう仕組みか人間と交配を重ねた結果、現代のような姿形となり、一見しただけでは人間と区別がつかない。完全に人間社会へ適合していた。
しかしそれでも杏里は自身を寄生蟲だと認識している。
唯一の同種であった母親が父親の虐待から彼女を庇い、父親を殺すと同時に自害して以来、母親の知人だという赤林の紹介で岸谷新羅という闇医者の世話になり、定期的に輸血パックに入った誰とも知れぬ人間から採取された血液を摂取する日々である。父親は人間だが、杏里にはこれで人間だと宣言する気が起きなかった。別に人間だ、と宣言せずとも人間社会にいられるのだからそれで良い。杏里の自己認識は変わらず、今日も輸血パックから血液を胃へと流し込んでいく。
しかし、提供してくれる新羅には口が裂けても言えないが、輸血パックの血液はどれも不味かった。日数が経って鮮度が落ちているし、保存の関係で冷え切っている。ついでに血液だけでは不充分で、血気、の文字通り生気が要る。生気は傷口経由や経口でしか得られず、輸血パックではどうしても摂ることが出来ない。今の杏里にとって不足しているのは血ではなく、気の方であった。
いっそ吸血鬼か何かに生まれたかった、と思わないでもない。本質上の大差はないが、血液だけで満たされればどんなに楽だったろう。それでも寄生蟲に生まれてしまったものは仕方ない、と諦めて輸血パックの血液を飲み干した。
不味い、冷たい、味気ない、総じて満たされない。血液よりも生気が欲しい。
食欲は正直だった。
最後にまともな食餌を摂ったのは母親が自害した日である。温かな血液と徐々に失われていく生気とを出来る限りで多く摂ったのは、それから始まる半ば絶食という地獄を無意識に予期していたのかも知れない。最近、殊更に食餌の夢ばかり見る。
魚の腹のように白く、柔くて薄い皮膚の下から溢れる鮮血は温もりに満ちていた。白と赤の溶けた梅花色の唇から零れる呼気に混じって生気が吐き出される。幸せだった、幸せな夢だった。何より幸せなのが、その唇に名前を呼ばれることなのだが
「 」
名前を呼ばれると幸福な夢は終わってしまうのだ。
後には虚無感と、どうしようもない空腹感しか残らない。