黒も見慣れたよ
ロマーノ-1-
正午の日差しに包まれて、自ら光を放つように座っている、少女とは何度か、保護者同士を通じて挨拶程度の面識が会っただけであった。ほとんど初対面と言っていいほどに、二人に接点は無かった。いや、だからこそ彼女を呼んで、話をしようと思ったのかも知れない。自分一人では抱え切れないほど、複雑で難解で、そして込み入った事情に限って付属する、情報をあまり公開できないという問題を、共有できる人物が欲しかったのだ。フランス旅行に訪れるという噂を聞き、その前に連絡を取り、旅行の終わりにイタリアへと招待した。ホテルとディナー、そして直々のエスコート付で。自然に満ちて育っているという彼女だけれども、白いワンピースをそつなく着こなす、少女よりかは女というべきらしさがあった。街を歩くのは趣味ではないと、カフェに入って、言いだしにくい話を切り出そうと試みる、しかし彼女は煮え切らない少年に先んじて、ぽつりぽつりと結論をこぼしてしまった、子供には早い話なんですけどね。しかして、少年の混乱は増すばかりである、否、辿り着くべき決着点も、そこまで到達するべき過程も全て、おそらく少年であっても分かっているのだ、理解したくないだけで。両手を組んで、顎を乗せて、上目使いの少女は華奢で、幼いというのに達観している、少年の受け入れがたい現実をもう、淡い紅茶で飲み干している。
「子供なのは、分かってるさ」
出来事に、前兆、あるいは違和感などはあっただろうか。否、前触れは無く、唐突に現れて、掻き混ぜて、日常を壊していったように感じてしまう、それは少年が幼い感覚しか有していないから、だろうか? 保護者たる二人が、細心払ってばれないように、子供を悩まさないようにと注意してきたからだろうか。はっきりと、目の前に突き付けられた方がいくらか良かった。複雑な意味の解らぬ関係を垣間見させられる、よりは。疑問ばかりが頭を占めて、試行錯誤、思考停止。そもそも、たとえば小学生に高等数学の問題を突き付けるように、問題からして理解できなかったのだ!
とはいえ本来ならば、最大限に褒められてしかるべき気遣いをしたつもりだった、のだ。最初の出来事、前兆も無く訪れたそれに対して、いけない、記憶も全て混乱している、整理しよう、順序立てて、筋道をまっすぐ歩いて行けば、少女がもしすべてを知っていたとしても、いや知っているならばなおさら、正しく導いてくれるだろう。まずは、一年ほど前の、夜。端的に言えば濡れ場を目撃してしまったところからだ。
月に一度から週に一度の頻度の、休日、ボヌフォワは二人の家に泊まりに来ていた。その日も、客人が客人らしくなく夕飯の準備をし、三人で食べ、後片付けは主人に少年が強制的に手伝わされ、その後は大人が二人でワインを飲んで盛り上がるため、少年は静かに部屋に戻って早めに就寝する、いつも通りの休日であった。人間と相対すればもうずいぶんと年を取ったかに思われるけれど、同類と比べればまだまだ若輩者である、酒にも弱い少年に夜は早すぎた。しかし、どうしても寝付けない夜は誰にだってある。
ちょうど昼前まで寝過ごしてしまった日であった、寝られずに、ベッド脇のライトを付けて、布団に入ってスケッチブック、珍しく絵など描いてみて、結局深夜も二時になってしまったのだった。小腹が空いて、どうせリビングで未だ飲んでいるだろう、おつまみの類も料理好きの二人のことだ、妙に手の込んだ品を作っているだろうと、のんびりと部屋から出て行った。そして、見たのだ。例えばキスぐらいなら仲がいい上に距離感の近い二人であるので、少年にも許容できたろう。けれど、確かに、セックスであった。少年が、一度寝れば朝まで起きないと知っているからか、安心していたのだろう、せめて部屋ですればいいものを、と内心少年は呆れざるを得なかった。リビングのソファで、がたいの良い男二人、なんといっても保護者と保護者同然の男である、余り思い出したいものでもないが、別段衝撃とも何とも思わなかった。ただ、ああそうかと、納得しただけだ。
だから、素直に思ったのだ、家を出ていこう、と。そもそも国としての独立を保っているくせに、一人暮らしを面倒がって、少年がまだ保護者の家に居座っているのが悪い気もした。恋人が出来たのなら、家を出るべきだと、それはごく自然な発想ではないか? カリエドには散々迷惑を掛けているし、潮時かとも感じていた。きっかけとしては十分で、更にはそれが本来なのだった。
「何も間違っちゃいない、そうだろ?」
目の前の少女は、相槌代わりに、浅く息を吐いた。多分、嘲笑の意図が込められているとは、少年の主観が入っているからだけではないだろう。常ならばここで騒ぎ出してもおかしくないが、少年は落ち着くべき場所をわきまえていた。話を続けよう、次の日の出来事だ。
ボヌフォワが帰宅したのは夕方頃で、おそらく何もない風を装えていた、そして、夕食を終えて後、珍しく改まった態度で椅子に座って、引っ越すと、家を出て行くと告げた、その反応に、もしかすると間違いだったのかも知れないと、少なからず思いはした。いつも明るい表情が一瞬、かげり、とたん押し止めるように普段どおりの笑顔に戻る、保護者らしい断然とした態度。そして、お祝いせななぁ、と、ふざけた口調で立ち上がり、背を向けた、あの時、もし冗談だよと言ってしまえたら、現在はもっと単純であったのだろうか、いつか旅立つ日が来るとして、きっかけは適切であったのだろう、か? しかし実際、少年は考えを翻すことも無く、淡々と、引越しの用意を進め、独り立ちをしてしまった。種々の不安はあるけれど、間違ってはいなかったと、もう少年に残された手立ては頑なになることしかない。