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最後に、一つ

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まずは、湯のみが粉々になり。
次に机が宙を舞った。

間髪入れずに二撃目、三撃目が繰り広げられるが子どもは人並み外れた反射神経でそれら全てを避けていく。

「ちょろちょろ逃げてんじゃねぇよ、このガキ!」

「嫌だよ!当たったら死ぬだろ!てか、俺雇い主…」

「あ?俺が動くのはトムさんの頼みだからだ。テメェに雇われた覚えはねぇ。だからまぁ…安心して死ね」

「ちょ…いまホント掠め…君、本末転倒って言葉知らないだろ?!」

自分の頬を掠めた物が何か、子どもには分からなかった。
おそらく静雄にも分かっていないだろう。直接拳が振るわれる事こそないが、とりあえず部屋にあるものは畳みでさえも全て投げるつもりらしい。

「ちっ、チョロチョロとすばしっこいな。いい加減…潰れとけ」

ニィっと笑った静雄の顔は、今までで一番楽しそうだった。

「…なっにが、暴力は嫌いだ、だよ。すげー楽しそうじゃんか…っ!」

どうしようか、と早過ぎる頭を回転させながら子どもは数多のパターンをシミュレーションする。

まずは逃走…してどこに逃げる?啖呵を切って飛び出してきた父親を頼るとでもいうのか自分は?
論外だ。自分の力で生きてみたいと言ったのだ。これくらいの危機で逃げ出して何になる。

(もしかして…俺を殺す為に派遣したとか……流石に、ないか)

疑心暗鬼になりかけているらしい。

次。わざと攻撃に当たって相手の溜飲を下げる…駄目だ。この攻撃は一撃一撃が致命傷に繋がる。間違いなく。

「ぅおおおおお…!!」

「ちょ…なにして…って、折れたぁ?!」

めぼしい武器を見付けられなくなった静雄は、ついに柱に手をかけた。
元々粘土細工であったかのようにあっけなくもぎ取られ――もしかしてこれが夢ではないか、という可能性に逃げる手前で我に返った。

子どもは、ギュっと唇を噛みしめる。
唯一活路が見い出せそうな手段があるのだ。しかし、それを実現させるには、どうにもプライドが邪魔をする。

生きるか、死ぬか。
日常ではそう突き付けられる事はない選択肢に、どこか心が高揚していく。

(なんて事だ、楽しいじゃないか)

(まだまだ俺は、死ぬわけにはいかない)

(世界にはこうして、予想もしなかった――出来ないような――出来事が待っているのだから)

ぶぉん、と嘘のような音を立てながら風を切る柱が静雄の上で回転している。遠心力を付けてから、投げつける気らしい。

死ねない、ならば答えは一つ。
すぅっと大きく息を吸った。

「ごめん!謝るから…止まってよ、シズちゃん!!」

「……………………」

一瞬の沈黙。

これでダメならどうしようもないと、瞑っていた目を開いた子どもが見たのは、ぽかん、と呆けた顔だった。見間違いでなければ、心無しか頬も赤いような気がする。

「…………は?」

ズゥゥン…と腹に響く音を立てて柱が落ちる。
これ、投げられていたら絶対死んでた。子どもは静かにそう判断する。

「テメェ…今、なんつった?」

「? だから、ごめんって謝った」

「――違ぇよ!なんか変な呼び方しただろ、俺の事!」

「うん?えーと、"シズちゃん"?」

正直子どもの中でのメインは、あくまでも前半の謝罪だったので、ここまで食いつかれるとは思ってもいなかった。
素直に謝るだけでは悔しいので、ちょっとした意趣返しのつもりだったのだが…ここまで、照れるとは。

「だってシズちゃんって響き可愛いだろ?」

可愛い、と声に出してから随分としっくりくるな、と考える。
部屋を全壊させ、自分に死まで覚悟させた男には、似合わな過ぎて、逆に似合う。

「だから、シズちゃん」

にこりと笑った子どもは、久しぶりに心から楽しいと、そう感じていた。
本当に、久しぶりだ。何年も昔から、こんな気持ちになった事はなかったと言うのに。

「……ハァ、もう好きに呼べ」

ガリガリと頭を掻いた静雄は、まだ少し照れているようだった。



作品名:最後に、一つ 作家名:サキ