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月下部レイ
月下部レイ
novelistID. 19550
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プラトン的愛の構造 後編

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その模様をもっと近くで見ようとしたのか。
忍足は座っていたベンチから急に立ち上がった。
気持ちに足が付いて行かなくて、忍足はバランスを崩した。





「あぶねぇ!」

倒れそうになった忍足の身体を、跡部は抱きとめた。
見た目よりずっと華奢な身体は、すっぽりと跡部の腕の中に納まった。

「ごめん」
腕の中からすまなそうに跡部を見上げた澄んだ瞳。


恋人ではあったけど、決して触れることの無かったその細い身体。

一度、腕の中に捕まえてしまったら。

離すことなど出来ない気がした。



忍足を抱きしめたまま身じろぎできない。





抱きしめた腕に力を込めた。







忍足の形の良い薄い唇に、自分の唇を合わせた。












「さあ、侑士の奴どこに行ったかな?」
「跡部が来てたみたいだから、屋上にでも行ってんじゃねぇ。あの二人、前から屋上が好きだろ」

「そうなのかよ?ジロー。おまえ、忍足のことは詳しいもんな。昔から何も興味無いみたいなのにさ、珍しいぜ」
「そんなことどうでもいいだろ」

明日退院する忍足の最後の見舞いに行きたいと言った岳人と一緒に、病室に来たのだがベッドはもぬけの殻。

忍足を探しに屋上まで来た。

慈郎は半分錆び付いたようなドアノブに手を掛けると、ゆっくりと引いた。
と思ったら、すばやく、でも静かにドアを閉めた。



「ここには、いねえよ。病室で待っとこうよ」

「えぇ、ジロー。ちゃんと見たのかよ」

「見た、見た」

ちゃんと見たよ。忍足と跡部がキスしてた。



ブツブツ言いつつも岳人は素直に慈郎の後を付いて来る。







あの跡部が、忍足を抱きしめてキスしてた。

忍足の気持ちを無視して、触れることを拒絶してた跡部が・・・・・

どうして?





あれから、跡部がどんなに苦しんだかも慈郎は知っていた。

跡部が忍足をどんなに愛していたかも知ってしまった。

自分の命と引き換えにできるほど愛していたのに、愛するという肉体の行為を拒絶した。

おそらく跡部は自分でも気付かない心の中で、忍足を傷つけるのが怖くて、精神的な愛というイデアに囚われたのだ。

跡部が拒絶したのは、肉体の快楽のみで、決して忍足自身では無い。



でも忍足にしてみれば、愛するという行為を拒絶されたのは、自分を拒絶されたのと同じだったのだ。

たぶん、自分も。普通の人間であれば、そう思っても仕方が無いと慈郎は思う。



お互いにどんなに深く愛し合っていたとしても。

その愛し方が違えば、お互いを見失う可能性は十分ある。

かけがえの無い愛だからこそ、刃にさえなり得るのだろうと。

思った。







でも・・・

忍足は跡部のことも、皆の事も忘れてしまったというのに。



『やっぱり、跡部のことを好きになるんだね』

『よかったね、忍足』



たぶん何度リセットされたとしても、あの二人は愛し合うために巡りあうのだと慈郎は思って一つため息を付いた。





「ねぇ、向日。忍足は明日退院するんだし。今日はもう帰えろうよ」

「えっ~、せっかく来たんだぜ!」

「忍足、何時帰ってくるかわかんねえし。置手紙していけばいいだろ」

「つまんねぇな」
と言いつつも、ノートを千切って『ジローと見舞いに来たけど侑士いねえから、帰るけど退院祝いは何がいいか考えとけよ』
と向日らしいことを書いていた。





「・・・なぁ、向日。実は俺今日振られて、結構傷心状態なんだよ。慰めてくれたら嬉しいんだけどさぁ」

「えーっ!!ジローにそんな奴いたのかよ!?」

「俺だって、一人や二人いるよ」

「わかったよ、話聞いてやるから・・・」





岳人を連れ出すいい口実だとは思ったけど、超痛ぇ。

失恋したのはこれで2回目?だし。

完全にノックアウトされた気分だった。











抱きしめていた手を緩めることも離すこともできずに、じっと忍足のことを腕の中に留め置いていた。

唇を合わせた感覚もしっかりと残っている。

サラリとした漆黒の長めの髪の毛も今確かに腕の中にあった。

離したくなかった。一度触れてしまったら二度と離せなくなることを、跡部は怖れていたのだ。

もう、ずっとずっと昔から。







「・・・跡部」

やっと耳に届くような声で忍足は跡部の名を呼んだ。

「忍足、わりぃ」

強張った表情で、身体を離そうとした。



「跡部と俺って?」

忍足が問うのも当たり前のことだ。友達でそれも男から抱きしめられてキスされたのだから。



「恋人だった」



「そう、やっぱり。俺達愛し合ってたん?」



「やっぱりって?」

忍足の意外な言葉に跡部は驚かされた。





「俺、跡部のことが好きになっ・・・」

頬を真っ赤に染めて忍足は恥ずかしそうに呟いた。

「・・・そうか」

「それなのに、跡部のこと忘れてごめんな」
そう言って、今度は忍足の方から跡部に抱きついた。
跡部のブレザーの背中を皺になるほど掴んでいる。

以前のようにその腕を振り払う手を、もう跡部は持っていなかった。

愛しいその身体を、もう一度しっかりと抱きしめていた。



「忍足、もう一度、キスしてもいいか?」

「ええよ」
こくりと一度だけ頷いた。



目を瞑って、啄ばむような触れるだけの優しいキスを繰り返す。







恋人なら、自然な行為さえも。

跡部は怖かった。

一度その枠を踏み越えてしまえば、絶対に忍足を離すことなどできないと思った。

男同士の先の無い関係。

自分はまだしも忍足を一生縛り付ける行為を出来るはずがなかった。
たとえ、忍足がそれを望んだとしても。



だから。



精神的な愛を最上のものだと決め付けた。



もし、別れの時が来ても、綺麗な思い出だけを残して置けると思っていた。

それが忍足にとっても一番良いことだと思い込もうとしていた。






「でも、なんで俺達が恋人同士やと教えてくれんかったん?」
「俺達のことを忘れてしまったお前に男の俺が・・・恋人だとは簡単に言えなかった」
「そりゃそうやね。本当にごめんな、跡部」
本当にすまなそうな顔をする。
「お前が悪いんじゃねえ」
そうとしか言えなかった。再び大切な人を傷つけないように。






何度も何度も、唇を合わせる。
くちゅ。繰り返す口付けで。
もっともっと忍足が愛しくなる。





少しずつ、開いてくる唇。

歯列を割り、忍足の口腔内に舌を滑り込ませた。

舌を絡めとり、口腔内のあらゆるところに刺激を与える。



「・・・あっ・・・あん」

忍足の口の端から、くぐもった声が漏れる。
その扇情的な声が跡部から理性を奪っていく。



今、自分だけが見ている忍足の紅潮した顔。
綺麗だと思う。

二人の口を繋ぐ銀色の糸も。

二人だけの秘密になった。



恋しいと思う。

愛しいと思う。

全て欲しいと思う。





跡部は初めて知った。愛し合うという行為の本当の意味を。











慈郎から言われた言葉もの意味も。