終壊
勢いで出て来てしまったが、マンションを見上げた時に俺は既に途方に暮れていた。幽に会いに行くのは良いとして、何処に行けば会えるのだろうか?
俺はあいつの連絡先も知らないし家も知らない。あれだけ身近な存在で、喋って、触れたという事から余り実感が沸かなかったが、そういえばあいつは有名人なんだ。なんだろう、こういうのは事務所ってとこに居るものなのか? 例え事務所が判ったとしても一一般人の俺に会わせてくれる訳がない。いや、俺の名前を言えばあいつの方からすっ飛んでくるんじゃないのか?俺は何をすれば良いんだ。
臨也に聞いときゃ良かったとため息をついて、はっと頭を振る。駄目だ、臨也に頼ってちゃ。これは俺が片付けるべき事なんだ。でも、宛ては無い。とぼとぼと歩き続けた結果、俺は自宅とは違うマンションのインターホンを押していた。
「……」
返事が無かった。無理もない。携帯で時間を確認すると11時を過ぎていた。俺みたいな未成年、いや18歳以下は見つかれば補導される時間帯だ。とはいえ俺の目当ての二人はこんな早い時間に寝てしまうほど健康的な生活を送っているのだろうか?
もう一度鳴らす。引き返すという選択肢は既に無かった。マンションを出た瞬間警察に引っ張られてしまうだろうから。更にもう一度鳴らした瞬間、ついに扉が遠慮がちに開いた。
「……よう」
軽く手を上げると、その人物は声を発する事無く、しかし休み無く手を動かし、それを俺に突き付けた。
『どうしたんだ、こんな時間に。何か急ぎの用でもあるのか? それとも臨也と何かあったのか?』
「い、いや……その。別に何かあったって訳じゃ……ねえんだけど……」
そいつは完全に身体を外に出した。何時もの黒すぎるライダースーツじゃなくて、自前なのか可愛らしい寝巻きを着ている。
「セルティに、ちょっと相談っていうか……助けて欲しくて」
その人は昔、何かあったら相談に乗るぞと言ってくれた。それを思い出して俺は、俺以上に異形である友人、セルティの自宅に来ていた。
すぐには話を切り出したくなくて、ヘルメットを被っていないセルティが首を傾けるような動作をしたのを見て、家の中を覗き込んだ。
「てっきり新羅が出てくるかと思ったんだけど……居ないのか?」
『そうじゃない、新羅はお風呂だ。出るか迷ったんだが、ほら、私は接客が出来ないから。でも誰が来たかくらいは知っておこうかと思って覗いたら、お前だったから慌てて出てきたんだ』
「そっか。それで、えーと……」
『とりあえず上がると良い』
促され、セルティの後を追ってリビングまで案内して貰う。昔も幽関連でこの廊下を渡ったな、と自嘲的に笑みながら。そして曲がり角で臨也とばったり会って俺は気絶してしまった事も覚えていた。
『珈琲はどうだ?』
「良いよ、暑いし」
『なら冷えた麦茶がある』
PDAにそう打ち込みながらセルティは台所に向かう。畏まりながらも、俺は交友関係が狭いから、頼れる人など新羅とセルティくらいしか浮かばなかった。その彼女らでも、何も出来ないかもしれないけど。補導されたら色々面倒だから、どこかに避難する必要もあったというのが本音だ。
セルティが俺の前に麦茶の入ったコップを置く。そのまま固まって見つめあう。顔の無いセルティと見つめあうって表現はどうかと思うが、もし眼があったら、多分そうなってるんだろうなとは思う。暫くだんまりを決め込んだが、焦れたのはセルティの方だった。
『それで、何か相談があるんだろう?』
「うん……。あのさ、こんな事は違う奴に聞けとか、そんなこと知らんとか、思うかもしれねえけど……」
『何を言っている。静雄が悩んでいることなら私は何だって聞いてやる』
胸を張りながら力強く言ってくれるセルティに励まされてつい微笑む。言葉を選びながら、とりあえずの状況を説明した。
「羽島幽平って知ってるか?」
『勿論だ。新羅と一緒に応援している子役だな。あの子がどうかしたのか?』
セルティには首が無いから表情が読み取れないが、文面から滲み出るのは、意外。悪い言い方をすれば「そんな事か」で、良い言い方をすれば「臨也関連じゃないのか」という事だ。臨也関連になるのはこれからだが、とりあえず横に置く。
「そう、その子。あいつって何処に住んでるんだろう」
『……な、何か気に入らない事でもあったのか? 自宅にまで殴りこみに行きたいくらいに? もしかして臨也があの子のファンだからだとか?』
まるで勘違いしているセルティを宥める為に俺はそんなんじゃないと笑った。そうだった方がまだマシだと思いながら。
「知らないか?」
『うーん、あの子の自宅なんて考えた事も無かったな。事務所なら判るぞ。“ジャック・オー・ランタン”だ。それにしても、どうして知りたいんだ?』
「あー……」
この事情を知らなきゃ、多分セルティたちは事の大事さを理解してくれないんだろうなあと思い、俺は若干苦笑いしながら「信じてくれよ」と前置きをして、セルティが頷いたのを見てから口を割った。
「羽島幽平って俺の弟なんだ」
『……』
予想通りの反応すぎて笑った。こういう状態だと何を言っても頭に入らないものだから、セルティが何か言うまで待とうと背もたれに身体を預ける。すると、ややあってからセルティがPDAのキーを弾く。ひどく慌てているようだ。
『まっ待て弟だとお前に弟が居たのかそれが羽島幽平だと?』
「まあ……そう。俺も気付いたのは今日なんだけどさ。あいつの本名、平和島幽っていうんだ」
セルティが動揺を現すように、更に何かを打ち込もうとしている時に扉が開き、何故かまだ白衣を着たままタオルで髪を拭いている新羅が入ってきた。
「静雄くんじゃないか、久しぶりだね! 前回会ったのは君が華々しい高校生活をスタートさせて、初日で足を攣った時に治療した以来だね? 君に会えるのは大層嬉しいんだけど、こんな夜に僕とセルティの愛の巣にまで押しかけて一体何の用件だい?」
言葉の意味は冷たいが、言い方は実に朗らかだ。別に怒っている訳じゃなくて面白がっているだけだというのに気付くのに俺は何年かかったか。首だけ振り返った俺に対し、セルティはいきなり立ち上がったと思ったらPDAを掲げる。遠くの新羅にも見えるようにフォントがかなり大きい。
『知っていたか新羅! 羽島幽平は静雄の弟なんだぞ!!』
つい一分前に知った事を高々と宣言しているセルティに少しだけ驚く。意外とミーハーなのか? と俺が首を傾げると、新羅は実にけろっとして言った。
「知ってたよ?」
『そうだよな! おろどきだ! ゆうめいじんあがこんな身近な人と知り合いというか兄弟だったなんて私はzつにおどろいtttttt……』
確かに実に驚いているらしい。並んでいる文字が若干支離滅裂なのに苦笑したかったところだが、それよりも新羅の言葉に俺も心底驚いて立ち上がっていた。
「し、知ってた? なんで?」
「君が臨也に拾われる前から、僕と臨也は君の事を知っていたからね。君に平和島幽という実の弟が居ることなんて先刻承知さ。それに三年ほど前に、君自身が臨也に言っていたじゃないか。『俺には幽って弟が居る』って」