終壊
そういえばそんな事を言った気がする。その言葉が切欠で俺の左手には一生残りかねない傷が出来たのだが、その場に新羅も居た事をすっかり忘れていた。うっかり納得しかけた俺は違う疑問が脳裏を過ぎった。
「でも、弟が居るのは知っててもそれが羽島幽平だとは限らないじゃねえか」
「うーん。君たち、自覚無いのかもしれないけど、顔そっくりだよ? 瓜二つ。臨也から羽島幽平との関連性を言われなくたって多分疑ったと思うよ」
「ならなんで俺に教えなかったんだよ、俺と羽島が兄弟だって!」
「言わない方が幸せだったんじゃない? 君も臨也も。それに、俺は臨也を敵に回すのは真っ平ごめんだったしね」
若干新羅を舐めていた自分に気付いた。門田と新羅の決定的な違いは此処だ。門田はどちらかというと、俺と臨也を全うな形にさせようと干渉してくるが、新羅は違う。放置しているんじゃなくて、火の粉が飛んでこないように上手く調整しているんだ。だからこいつは俺と臨也にとやかく言わない。何があってもだ。
俺とセルティが唖然としている中で、新羅は少しだけ居心地が悪そうに笑うと、「で、彼がどうしたの?」と流れを切るように発言した。
「私の記憶が正しければ、臨也は幽くんの名前を口にしたら大激怒するんじゃなかったっけ? それともその事でまた喧嘩したの?」
「……幽に会ったんだ。今日出かけたら、偶然会って……。色々あって、俺は幽に会いに行かなきゃいけない」
「……それって本当に偶然かな?」
新羅が何かぼそりと呟いたが、俺が追求する前に塞がれた。
「まあ良いや。でも、会いに行くって言っても、今や彼は芸能人だから簡単には行かないね。昔、診た人の中に事務所の関係者の人が居たから、駄目元で当たってみようか?」
「本当か?」
「期待しないでくれよ」
言いながら新羅は携帯を取り出して何処かに電話し始めた。一旦ソファに腰掛けると、セルティがPDAを俺に向けた。
『その、弟と会う事は、臨也は賛成しているのか?』
「……許可は、取ってない。けど、俺がやらなきゃいけない事だと思うんだ」
『静雄が自主的に何かするなんて珍しいな。応援しているぞ』
「ありがと」
『不謹慎だが、上手くいったらサインを貰ってきてくれ。是非とも!』
もじもじするセルティが面白くて思わず噴き出した。そんな風になればまあ良いんだけど、どうだろうか。
ようやく戻ってきた新羅は何時も通りの笑顔を作ったまま淡々と「とりあえず交渉はしてみたよ」と気軽に告げた。
「本当か」
「まあでも、会わせてくれるかは君次第だけどね」
「どういう事だ?」
「担当っていうか、マネージャーか。うん、その人に会わせてはくれるけど、羽島君に通してくれるかどうかは判らないって事。一応彼らからしたら君は一般人なんだから。身内とはいえね」
新羅の言葉になんとなく違和感を覚える。一緒に暮らしていたのは記憶が無いくらい昔の事で、家族という意識はそれほど強くないから。幽は周りに俺の事を何か話しているのだろうか。話しているなら、どういった事を。どういう気持ちで喋るのだろうか。生き別れた兄について。再会した兄に「弟なんて居ない」と言われたあいつはどう思ったのだろうか。
そこまで考えて、随分思考が幽寄りになっている事にはっとした。俺は幽との問題はどうにか解決したいとは思っているが、臨也と離れたいとは欠片にも思っていない。なんとかなっても、臨也に嫌われるんだったらそこで全部終わりだ。
『静雄? 静雄ー?』
「ん? あ、ごめん、何?」
セルティがずっと俺にPDAを突き付けていたらしいが、音が無いので気付けなかった。セルティはすぐに文章を消すとまた新たな文字を俺に見せてきた。
『もう遅いから今日はうちに泊まっていくと良い』
「でも……」
『臨也には新羅が連絡している。お前だって今からじゃなくて、明日の朝に出かけるんだろう?』
「そうだけど……。……じゃあ、頼めるか?」
『勿論だ』
何処か嬉しそうにセルティが俺を手招きしてテレビの前に座らせる。軽く混乱している俺にコントローラーを渡してきたかと思えば『このステージが難しいから手伝ってくれ。新羅だと一人で勝手にやってしまうから少し腹が立つんだ』という文面が見えて笑った。放っておけば俺が一人で考え込むかもしれないという配慮か、もしくは本気でただゲームを一緒にやりたいだけかもしれない。
セルティの何気ない優しさには何時も癒される。これが終わったら何か礼をしたいな。あからさまに嫉妬の視線を送ってハンカチを噛んでいる新羅の事は都合良く視界から外す事でやり過ごした。
ベッドを提供してくれると言ってくれたが、急な来訪で申し訳無いのでソファで寝させて貰った。自分の部屋とは違う角度から差し込んでくる朝陽に、なんだか昨日今日の行動が全部衝動的で突発的だった事を思い出し今更ながら後悔と恥ずかしさが込み上げてきた。渡りかけた船だからそのまま走るけど。
「うーん……」
思い切り伸びをして、臨也の家とは違う構造のマンションに若干うろたえながら洗面所まで歩く。顔を洗ってから、財布と携帯があるのを確認して玄関まで向かう。迷惑をかけないように早朝に出ようと言う俺の計画だったが、そこまで行く前にセルティとはち合わせた。昨日おやすみと声をかけた時に着ていた寝間着ではなく、見慣れている真っ黒なライダースーツだ。ぎくりと足を止めた俺はおはようというタイミングを見失った。
『勝手に行くつもりだったのか?』
文面は、怒っているというより若干呆れている、と同時に驚いているような感じがしたので、間をとるように俺はとりあえず朝の挨拶を告げた。深夜にシャワーを貸して貰った際に、人様のシャンプーなので何時もとは違う匂いがする髪をなんとなしに撫で付ける。セルティは当然だが新羅もワックスを使わないから整髪料の類が無く、普段は少し浮かせている俺の髪は柔らかく首元まで降りていた。
「うん……まあ、俺の問題だし」
『スタジオの場所も知らないのにか?』
言われて気付いた。セルティは若干、鎌かけだったらしいが俺の眼が見開いたのを見て事実だと認識し肩を竦める。首なしなのに、随分人間らしいな。
『前まで送っていくよ』
「それは悪い。場所だけ教えてくれ」
『複雑だぞ。覚えきれるか』
「なら紙に書いて」
『送った方が早いだろうなあ』
「……お願いします」
素直にぺこりと頭を下げると、セルティは玄関を指差して促す。懐かしい黒バイクを間近に見ていると、低く唸ったので驚いた。よく考えれば、普通じゃないセルティの愛車なんだからそれくらいは当然か。影で作りだしたヘルメットを被ると、勢いよく発進したのでぐっとセルティのお腹辺りに手を回した。昔乗った時にはサイドカーだったから、見える景色も若干違う。朝の通勤時間で寝惚けている人々は、馬のように啼くセルティのバイクに皆驚き、その顔が面白くて思わず笑った。