終壊
「俺は羽島が三流役者になろうがハリウッドスターになろうが全く興味ねえんだよオッサン。だけどあいつに会わなきゃいけねえんだ。俺はあいつの身内だ」
「あー、時代を経る毎に色んな謳い文句や話術がはびこってきてこっちも新人を電話口に立たせる事が出来ないんだよね。でも残念、その手の奴は羽島君の出生が公開された時からちょくちょくあったんだうん。じゃあ」
とどめに汗のしみ込んだハンカチを俺の前でふらふらと振ってから、黄ばんだ歯をにぃっと見せて男は猫背がちな姿勢で再び入り口にUターンしていった。
同時に二人の警備員が俺の前に進行を阻むように立ったのを見て、俺の怒りのメーターは振り切れた。
俺、かなり我慢したよな? 暴言吐かなかったよな? 途中で臨也の名前出して強請ってやる事もしなかったよな? 極めて誠実に対応したよな? そう思うなら俺が今からする行為を応援してくれ。
「お引取りください」
さっきのハゲ(実際は禿げてなかったけど)とは違う声で同じ言葉を言われ、俺は両サイドの肩を掴まれた事で度胸も準備が出来た。がしっとその腕をそれぞれ掴む。かなり体躯の良い二人は、細身の高校生である俺を訝しげに見下ろしていたが、やがて俺が少しずつ力を籠め始めるとその表情に動揺を走らせる。
「な、に」
こいつらの敗因は俺を育てたのは情報屋である折原臨也であるという事を知らなかったという事。そして俺が池袋の喧嘩人形と呼ばれている事を知らなかったという事。特に顔色も変えず、手首の力だけでギリギリと締め上げると痛みを訴え始めた。二人が身を激しく捩り始めたのを見て、俺は既に力が入っていない事を見抜いていた手を思い切り左右に振り払い、勢いよくスタジオに不法侵入を果たした。
やっちまったと思いながら俺は笑っていた。犯罪自慢をする訳じゃないけど、背徳感と高揚感。待ちなさいという叫び声も全部無視して当てずっぽうに目に留まった曲がり角を全部曲がった。かなり広い建物で階段も角も扉も沢山あって迷いそうだ。やがて関係者たちが通路を歩いているのが見えたので走るのをやめる。此処で走り抜けたら不審者丸出しだ。監視カメラなんて気にしていられない。先に幽を見つけられたら俺の勝ち。捕まったら俺の負け。至極簡単だ。
「お兄ちゃん?」
俺がきょろきょろと弟を探していると、俺の半分しかない少年が真っ直ぐ俺に近づいてきて、つぶらな瞳で見上げてきた。キッズモデルだろうか、明らかに普通の子供が着る普段着ではない、ゴシック調の衣装を纏っている。
「なんだ?」
「だれかを探してるの?」
何でそう思ったのか判らなかったが、興奮で冷静さと緊張感を欠いていた俺は、膝を屈めて率直に「羽島幽平を知らないか?」と訊ねた。
「幽平くんなら第二スタジオだよ。僕、隣のスタジオだったから」
「そうか、ありがとう。どっちに行けば良いんだ?」
「あっち!」
少年が元気よく指したのは俺が今来た方向だった。軽くお礼を言おうと目線を元に戻すと、何故かとてもはしゃいでいるように見えてその頭をくしゃりと撫でた。
「なんか嬉しい事でもあったのか」
「うん! だってお兄ちゃんに教えたら僕、次の表紙だよ!」
若干何を言ったのか判らなかったが、首を傾げながらも手早く手を振ってその場を去る。途中で別の警備員に見つかった瞬間「居たぞ!」と叫ばれたお陰で随分と事は大きくなってしまったんだなと冷や汗をかいた。あのハゲからしたら俺は羽島幽平に対してちょっとキワドイ趣味を持った不審者だからな。実の弟に何しようってんだ。
もっと詳しく道を聞けば良かったと今更後悔しながら歩調を緩めるどっかに案内板でも無いかなと思っていると早速また見つかって走り出した。俺が圧倒的に不利な鬼ごっこだ。この分じゃ出入り口もシャットアウトされているのかもな、と思うとこのままじゃ俺は犯罪者だ。臨也怒るかな。前科持ちでも愛してくれるかな。臨也はそういうの無頓着っぽいけど。まああいつ自身が犯罪者だから良いか。退学になったらまた四六時中一緒に居られるし。それはそれで美味しい。
そこかしこに貼ってあるアイドルのポスター。幽のものは無かったけど、どうしてあいつはこの仕事を選んだのだろう。幽を引き取ったのが誰なのか俺は知らない。だけど、おぼろげな記憶で、迎えに来たのは確か黒塗りの車だったはず。子供の眼から見ても、一目で高級車と判る。まあ、今はそんな事考えている暇じゃないと、左角と真正面から警備員に鉢合わせした現実で思い知った。二歩後ずさってから全力で走り出す。相手もプロだからか、俺が焦って体力を使ったからか、このままじゃ追いつかれる。こういう時に都合よく幽は現れないものだろうか。無理か。
「っ……」
「きゃ!?」
慌てて曲がった所為ですぐそこに居た小柄な女性ともろにぶつかってしまう。普段の俺だったら手を取って起こしていただろうが生憎そんな余裕は無い。
「ご、ごめん」
詫びてすぐに走り出そうとしたが、女性は右手に持っていた携帯の画面と俺を何故か見比べるように交互に視線を投げ、勢いよく立ち上がったと思ったら俺の腕を掴んで部屋に引きずり込んだ。投げ飛ばすように中に入れらればたりと扉が閉められる。閉じ込められたのかと思って慌てて扉を蹴破ろうとしたが、すぐ傍にある警備員の足音が止まったのでつい自分の動きも止めてしまった。
「聖辺さん、こっちに金髪の男性が来ませんでしたか?」
「は、はい。来ました」
か細い声でそう答えているのが聞こえ、何人もの男が雪崩れ込んできても対応出来るように身構えた。だが、
「そのまま、凄い勢いで、向こうに走っていきました……」
「ありがとうございます!」
「……!?」
なんだ? 庇われたのか? 足音が聞こえなくなってから、控えめに扉が開いた。膝をついてまるでクラウチングスタートの用意でもしているように睨み付けている俺を見て小さく息を呑む。
流石に怖いかと思い、混乱の中で申し訳なさが襲ったので目線を落としながらもう一度「ごめん」と言った。
「なんで助けてくれたんだ?」
「えっと……す、すみません、ご迷惑でしたら……」
何故か深々と頭を下げられたので慌てて両手を振る。男ならまだしも、臨也にしか興味が無い俺でも思考の片隅で可愛いなと思うくらいの美女だ。なんだかその声に聞き覚えがあるような気がしたがすぐに浮かばない。此処に居るのは全員芸能人みたいなものだからテレビで聞いたのかもしれない。
「あんたは……いや良いや。それより、助けてくれたついでに羽島幽平の居場所を教えてくれ」
こんな切羽詰った言い方じゃまるで脅しているみたいだ。内容も脅迫染みてる。怖がって悲鳴をあげるかと思ったが、彼女は握った手を口元にやって少し驚いた顔をした。
「あの……」
「は?」
「……羽島さんの、お兄さん?」
「っ!」
これ以上に驚くどっきり他に無いだろう。俺が眼を見開いたのを肯定と受け取ったのか、女は背筋を伸ばして深呼吸した。
「わ、わたし、聖辺ルリって言います。羽島さんとは、小さい頃からお知り合いで……父親ぐるみのお付き合いだったんです。羽島さんの本名も知ってます。確か、平和島、」