終壊
午前中は家を空ける臨也との待ち合わせはファーストフード店の前だった。また嫌な喧嘩に巻き込まれるかもと目立たないように隅に隠れた。仕事が終わったら出先から此処まで来てくれるはず。
直射日光が苦手な俺は極力日陰を探した。店内に入ればクーラーもついているが何も買わないのに入店するのは気が引ける。手で団扇を作っていると通行人が俺に目線を向けてきた。
「静雄?」
聞き覚えのある声に意識を傾ける。精悍な顔立ちをした長身の男。門田だった。車に乗っていないのも珍しいなと軽く手を上げた。
「先月ぶりだな。少しは落ち着いたか?」
「ああ……前は悪かった。迷惑かけて」
以前、数年ぶりに再会した門田とは穏やかじゃない会話をした。専ら悪いのは俺なんだが、怒っていた上に臨也が居なくて不安定だった為に詫びも入れていなかった。素直に頭を下げると門田は無表情を崩さないまま制した。
「いや、俺も軽はずみな事を言って悪かったと思っている」
「今日はなんで此処に?」
「俺だって街中くらい出歩くさ」
苦笑する門田に俺はふうんと声をかける。その間に派手な化粧をした女子が俺の肩にぶつかり、詫びも入れずに走って行った。一気に顔を顰めた俺だが此処で怒るのも器が小さいと溜め息を吐いた。
「あー、なるほど」
「何が?」
「今日確か、羽島幽平がブクロでロケだったな。狩沢がそんな事言ってた」
なんだか聞き覚えがある名前だがすぐには浮かんでこない。少し昔の記憶を巡らせると、臨也の妹の顔が浮かんだ。そうだ、あの二人がファンだと明言していた俳優の名前だ。
我ながら記憶力の良い自分を褒めるが、道理で何時もより人が多いんだと不快感を顔に出した。とんだ迷惑だ。
「お前は臨也と待ち合わせか?」
「ああ。でも連絡着てないから暫くかかりそうだ」
「なら折角だし見に行くか? 狩沢と遊馬崎がお前に会いたがってたしな」
前から何度か門田の口から聞かされる名前だ。門田が行動を共にしているんだから出来た人間なんだろうとイメージを膨らませる。興味はあったが俺は首を振る。
「でも勝手に離れられないから」
「時間あるんだろ? こんな目に付く場所に居ると絡まれるぞ。それに歩いて5分もしない」
少し唸る。待ち合わせの場所に居なかったら臨也はきっと心配する。そして怒る。折角の休日に二人で出掛けるのだからそれは避けたい。とはいえ臨也は出先から此処までタクシーで来るはずだし、到着10分前にメールするとも言っていた。歩いて5分なら連絡を受けてから戻っても十分間に合う。
個人的に芸能人を生で見るのは、別に特別好きな人物じゃなくても興奮するものだ。何かの話題になるかもしれないし。
「じゃあちょっとだけ」
「判った」
歩き出した門田の背を追う。俺は自分でも背が高い分類だと思っているが、流石に門田の方が大きかった。肩幅もあるし。
「なあ門田、臨也って学生のときはどんな奴だった?」
「ん? ……そうだな、とりあえずまあ普通じゃなかった。人の弱みとかどっから嗅ぎ付けるのか、あいつに失脚させられた教師は何人居たか。授業もサボってばっかりで、その割にペーパーテストは毎回学年上位でな。運動神経も良かったし、あのツラだから女子がよく群がってた」
褒めているのか貶しているのかよく判らないが、正直な評価に俺はへえと関心を寄せた。俺の記憶がはっきりしている頃には、既に臨也は社会人だったから。
「人間観察とか言って、全然関係無い不良同士の抗争を煽いだり。悪趣味な事ばっかりしていたが、お前と暮らすようになってからぴたりと大人しくなって驚いたぞ」
「そうなのか?」
少なかれ俺は臨也に影響を与えているのかと思うと少し嬉しくなった。正直に声を弾ませた俺に向かって門田は笑った。
「あいつは寂しがり屋だから、傍に居てやれよ」
「当然」
前回とは違う事を言う門田だったが別に気にならない。俺の狂気を真正面から受け止めた事のある門田なら、それが正しいと判っているのだろう。門田は臨也やセルティとはまた違う優しさを持っている。力強くて、過ちを振り返らせてくれるような言葉。でも臨也に関する事だけは俺は譲る気はなかったけど。その結果が、あの日の、殺意。また違う形で侘びをしようと心に決めた。
ロケ地は公園だった。噴水の周りにスタッフやカメラマンがごまんと居る。長身の俺でも爪先立ちしないととても中の光景は見えない。横の門田も同じらしく手でひさしを作っている。周りの女たちは口々に俳優の名前を叫んでいた。
その声が一層高まり思わず耳を覆う。車から出てきたのは主演らしき20代か30代の男女。観客に向かって機嫌良く手を振るその後ろから恐ろしく無表情な少年が姿を見せた。
「なんだあれ、餓鬼じゃん」
「酷い言い草だな、あれが羽島幽平だってのによ。まあ知名度は主役級の二人に比べりゃ劣るが、まだ子供なのに役者だぞ」
幼い顔立ちには似合わないくらいの完璧な無表情。あそこまで表情が出ない子供も珍しい。俺は巷じゃ喧嘩人形なんて呼ばれているが、あいつこそ人形じゃないか?
まるでロボットのようになんの感慨も無く手を左右に揺らしている。距離があったが、真正面から眺めるとなんだか違和感を感じる。はて、なんだろうか。
「なんか見たことあるような……」
「そりゃあな。有名人だぞ?」
そういう意味じゃないんだけどなあ、と思いながらじっと眺める。しかし男を見つめる趣味は無いのでポケットから携帯を取り出す。まだ連絡が無かった。
肩を竦めて何気無く周囲の女が持つ団扇を見る。手作りなのか「羽島幽平」とプリントされたそれに首を傾げた。字を眼で見たのは初めてだが妙に見覚えがある。それにしても「ユウヘイ」に幽霊のゆうを使うなんて珍しいな。芸名だろうが、もっと他の漢字もあっただろうに。
「あいつら何処に居るんだか……声優も来るからどうのこうのって言ってたのに。……ん?」
連れの二人を探すようにきょろきょろしていた門田が急に素っ頓狂な声を上げる。それは周囲も同じで、やっと気付いた俺は騒ぎの中心に眼を向ける。どうやら羽島幽平がスタッフが呼んでいるのに動こうとしないらしい。
なんだあいつ、気分悪いのか? と他人ながら心配していると、羽島と眼が合った。驚いた。それはそれは。だが向こうの方が驚いたらしく、無感情レベルでまっさらだった表情にさっと赤みが差し、眼を大きく見開いた。
「俺……?」
自意識の高いファンだったら「幽平くんが私を見てくれた!」なんて言い出しそうだが生憎俺は違う。それに、視線に明確な意思を感じた。明らかな動揺。羽島が唇を動かしているが、当然聞き取れないし遠すぎて読み取れない。なんだか面倒な事になりそうだと直感した俺は視線を反らした。
もう一度携帯を見つめると、何時の間にか着信が入っていた。1分前だ。当然臨也からで、もうすぐ着くという旨。心臓が高鳴った俺は門田に別れを告げようと顔を上げかけた。しかしそれは叶わない。後ろから来た大柄な男がいきなり俺を掴んで引っ張ったからだ。
「あっ!? なに、んだてめえ!」
「静雄!?」