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短編『てのひらの温度』

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「ネットで調べたんだ。フランシスに聞いたら、こっちじゃ風邪のときはこういうの食うってことだったからな。……ミルク粥とかオートミールの入ってるやつだったらうちでも結構作るんだけど、こういうシンプルなのは初めて作った。味の保証はしないけど文句は言うなよ」
 わざとらしく彼はそんなことを言うが、見た目や香りはとても美味しそうだ。
 いただきます。そう言って添えられたれんげを手にしたとき、ギルベルトが声を上げた。
「あ」
「どうかしましたか?」
 何か問題でもあったのだろうか。首を傾げた菊に、ギルベルトはぎこちなく口を開け閉めする。
「あ、その、うん、あのな」
「ギルベルト君?」
「うう……って仕方ねえ!」
「え、あの……っ」
 その様子に不審な物を覚えた菊は、戸惑いを隠そうともせずに重ねて問い掛けた。それに答えず何かを悩むそぶりを見せたギルベルトは、突然大きな声を上げたと思えば菊の手かられんげを奪い取ってしまう。
 これでは折角のお粥が食べられないではないか。どういうつもりなのかと問いただそうとした菊だったが、続けられた彼の言葉にぽかんとする。
「お、俺が食べさせてやる! べ、別に俺がそうしたいとかいうのは欠片もなくて、ほら、お前今熱出してるし手元が危なっかしいから見てて苛々しそうだからで……」
 顔を赤くしながらまるでどこかのツンデレ眉毛のような発言をかましたギルベルトに、菊は本気で固まった。いつの間に彼はそんな属性まで身に付けたのだろうか。目を丸くした菊の視線に戸惑うように、彼は恥ずかしそうに瞳を揺らして目を伏せる。その何とも言えない様子に、健康なときであれば押し倒していただろうなと菊は心の中で呟いた。そして、折角なのでと珍しい彼の言葉に甘えることにする。
「では、よろしくお願いしますね」
「お。おう」
 恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに。笑みを浮かべて袖まくりをする彼の姿に菊も笑みを浮かべた。
「ほら」
 息を吹きかけて少し冷ましたそれを、ギルベルトは菊の口元へと差し出す。
 菊が口を寄せると、彼はれんげをゆっくりと傾けて粥を口の中へと流し込む。多すぎず少なすぎない丁度良い量のそれは、さすが医療大国だといったところか。
 もぐもぐと口を動かしてしっかりと粥を味わう菊を、ギルベルトは緊張した様子で見つめている。その姿はまるで褒めてほしいと待機する愛犬のようで、菊は笑みをかみ殺した。つい先日同じことを思って素直に口に出し、ギルベルトにすねられたことは記憶に新しい。
「美味しいです」
「そっか」
 ほっとした様子のギルベルトに対して、菊は言葉を続ける。
「ただ……」
「な、何だよ」
 思わせぶりな言葉に、彼が身を強ばらせたのがわかった。
「個人的にはもう少し塩分が効いている方が好みです」
「……お前なあ」
 その言葉にギルベルトはがっくりと肩を落とした。こんなときでも塩なのかよ! そう心の底から呆れたという瞳を向けられ、菊は汗ばんだ手を握りしめて力説する。
「ね、熱で汗をかいてるのだから塩分は大切でしょう。別におかしくはありません。普通のことです。お塩は美味しいです」
「はいはい。分かったからミネラルはこっちで摂取しとけ」
 常温より少し冷えている程度かと思われるスポーツ飲料を差し出され、菊は大人しく受け取った。
 この家には清涼飲料水の類は不本意ながら常備しているコーラくらいで、こんなものは置いていなかった。つまりギルベルトが菊のために買ってきてくれたのだろうと容易く判断できる。優しい方だ……心の中で改めて感謝をしながら彼は口を付けた。

「汗かいて気持ち悪いだろ……拭いてやるよ」
 食べ終わった土鍋とペットボトルを手際良く片付け、新たなドリンクを用意したギルベルトはそんなことを言い出した。
 何故だろう、今日はギルベルトがやけに優しい。 実は今日はクリスマスか何かだっただろうか。もちろんそんなことはないのだが、菊は真面目に考えてしまう。
「そうですね、お願いします」
 そうして着替えを終えた菊に、ギルベルトはさらに驚くべきことを言い出した。
「そ、添い寝はいらないよな?」
 もじもじとした様子でそんなことを言われ、菊は目をむいた。今日の彼は、菊が体調を崩しているということを考慮しても明らかにおかしい。
 そして菊は、先程ギルベルトが『フランシスに聞いた』と話していたことを思い出す。
 ……あの髭、一体何を吹き込んだ。
 思い至ったそれに、菊は目を据わらせ頬をひきつらせた。目が覚めたらフランシスを問いただしてやらなければ。そう決意する。
 けれど、愛しい恋人がこうやって世話を焼いてくれるのは普通に嬉しいことだった。だから菊は、もちろんフランシスへの感謝などするはずもないが、この状況に素直に甘えることにした。
「では、手を握っていてくれませんか」
「手?」
 不思議そうに目をしばたかせた彼の手に触れ、菊は小さく微笑んだ。
「はい。ギルベルト君の手、少しひんやりしてて気持ちがいいです」
 嬉しそうに目を細める菊に、ギルベルトは頬を赤く染める。
 すっかり消えた寂しさに、現金なものだと思いながら菊はそっと目を閉じた。


 ふと目を覚ました菊は、手に感じた温もりに視線を動かし、口元が緩むのを止められなかった。
 手を握ったまま、ギルベルトは穏やかな顔で菊に寄り添うように眠っていた。その白い頬に、銀の睫が影を落としている。
「貴方まで風邪をひいてしまいますよ」
 小さく呟くと、菊は横に置いてあった己の羽織を彼に被せる。
 大分楽になったなと思いながら、寝る前に考えていたことを思い出して菊は眉を寄せた。
 ギルベルトを起こさないようにそっと手を外し、枕元に置いていた携帯を手にすると彼は廊下へと出た。
 電話帳に登録された番号から目的のものを選んでダイヤルする。数回の呼び出し音が鳴った後、相手が電話に出た。
「アロー。本田、風邪はもういいの?」
 電話の向こうから届いたのは、甘く心地よい声とくすくすという笑い声。その声に、菊は己の推測が正しかったと確信した。
「こんにちは、ボヌフォアさん。ご心配をお掛けしたようで申し訳ございません。そうですね、完治とは言えませんが大分良くなりました。お心遣いありがとうございます。で……貴方、ギルベルト君に何を吹き込んでくださりやがったのですか?」
 菊の問いかけを予想していたのか、彼は実に楽しげに笑う。
「やだなー、そんな他人行儀な呼び方して。お兄さんのことも『フランシス君』て呼んでいいんだよ」
「善処します。……で?」
フランシスの軽口をさらりと流し、菊は追求する。
「んーとねえ、ギルの奴が本田が風邪引いたって慌ててたから、本田的に『萌え』だろうなって看病の方法を教えてあげたような気がするかな」
 お兄さん優しいでしょ。そんな言葉が聞こえたような気がしたが、菊はそれを風邪による幻聴だろうと無視をした。どう考えてもこの男は面白がっているだけだ。
「……何と言っていいものかどうか物凄く反応に困るお言葉をどうもありがとうございました」
「で、本田は萌えた?俺なら萌えるより前に笑っちゃいそうだけどね」
 だってギルだよ。そうフランシスは笑った。