揺り篭 第一部
こんな風に簡単にアートのこと手懐けちゃったりね、と笑いながらフランシスさんはベッドに腰掛けるとそっとアーサーさんの額に頬を寄せた。
されるままになってるアーサーさんなんてもうなんて目福な…!
「まだちょっと熱があるね」
「平気だぞ。寝てばかりでつまんねえよ」
「ダメでーす」
全く子供の表情で縋る様に私を見るアーサーさんですが、まだまだ本調子でないのはフランシスさんの言うとおりなので同意であることを示すと諦めて大人しくシーツに戻り、そっと手を差し出した。
「菊…寝るまで居てくれるか?」
「勿論ですよ」
普段の彼より少し暖かい手を握り返してやると安心したように瞳を閉じた。
もう、萌え死にそうですけどね!!
「ほんと、お兄さん嫉妬しちゃう」
疲れていたのかすぐに規則的な寝息が聞こえてくると、皆のお兄さんだなんて嘯いて大人びた見た目のわりに大人気ないところもある教え子が唇を尖らせて可愛らしい文句を告げる。
「恐れ入ります。ですがもしあと99回同じことを繰り返したとしても同じようにできる自信がありますよ」
「えー、やめてよ、もう。菊ちゃんがライバルなんてお兄さん、ダメだ勝てる気がしねえ、になっちゃうじゃん」
寝ついた彼を起こさないようにそっとシーツに伏せて嘆く口振りは幸せそうなのかと思いきや、沈黙が唐突に落ちる。
かと、思えば、ねえと独り言を囁くように続けた。
「もしかしたら遣り直せるのかもしれないとか思ってる俺って結構酷い奴かな?」
時間は不可逆で取り戻せない、どんな魔法であっても。
義兄の諦観した表情と同じ、凪がない海の色は知っているのだろう。
「フランシスさん。前から思っていたのですが貴方の理性は鉄製ですか? それとも単なるヘタレですか?」
「ちょっ、ひどっ! って、なに、そんな誤魔化し方!?」
−−−−
ダイスはコロコロと軽快に転がって赤い目を向けてこちらを見返した。
「いち…ん?」
「おや」
菊が俺の駒の止まったコマを覗き込んだ。
「フリダシに戻る」
「はっはー、またスタートから遣り直しだな、アーサー!」
「マジかよ」
菊の持ってきたゲームは一風変わっていてとても単純だが、奥が深かった。もうゴールはすぐ目の前だというのに。これで二度目だ。ちなみに笑っているアルフレッドの駒も盤上を既に二周している。
「畜生、全く違うルートだったのに結局同じところで先に進めねえじゃないか」
「それは目指しているゴールは一つだから仕方のないことです」
感情の読み取りにくい黒曜石は見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
「でも同じに見えても違うのですよ」
貴方が今辿っているのは一巡目を経験した上での二巡目で、戻ったからと言って一巡目がなくなる訳ではないのですから−−。
言葉だけを残して菊が消える。
酷く長い時間眠っていたような感覚のわりにはすっきりとした目覚めだった。寝すぎてしまった時のような倦怠感は体の何処にもない。
夢を見ていたと思った瞬間にその尻尾はするりと記憶から抜け落ちて曖昧の海の中に溶けて消えてしまった。なんともいえない寂寥感だけを残して。
あと、胸が重い?
見れば見慣れたミルクティゴールドの柔らかい髪が俺を枕にしていた。
「フラン?」
どういう経緯でこいつがここに寝ているのかさっぱり思い出せない。
酒を飲んだ記憶もないし、何より二日酔いのあの嫌な頭痛も一切ないのだ。
またアルに君は物忘れが酷いと…。
「アル…?」
ぽつんと零れた雫が手の甲を濡らす。