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雨 The rain and my foolish pain

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 返す言葉も見つからぬまま、どんよりとした風に揺れる、マスターのTシャツの裾辺りを見ることしかできなかった。泥まみれになった手袋を握り締める。私は今、マスターを傷つけてしまったことに戸惑っている。マスターを傷つけたのは私なのに。

「マスターは悪くないです」
「いいや、僕が悪いんだ。わかってる。もう何も言うな」
「……」
「友達はもう……友達じゃなくなってるかもしれないけど、僕にはルカがいるからいいんだ。それで僕は、わかってるから」

 マスターの背中を見つめたまま命令に忠実に従って何も言わない私を、ここへ来た時と同じような悲しげな顔で一瞥してから、脛のあたりまでどろどろになった両足でマスターは玄関へ戻っていった。
 その後ニュースキャスターの予報通り夕立が襲来して、マスターのお母さんが「何やってるの、早く入りなさい!」と声をかけるまで、私は庭にそのまま立ち尽くしていた。
考えていたことは一つ。
マスターはわかっていると言った。
私は何がわかっていなかったのか。


 真っ暗な空間の真っ黒な地面に、最初にぼとりと落ちる子がいる。そこから一人また一人とぼとりぼとりと降り積もりピークが過ぎればすっかり盛られた仲間の山。そしてきっとどこか違う場所に残っているわずかな子は、忘れられた存在。考えても考えても、思考はいつも同じ着地点にくる。いつもと同じ、胸に広がるじんわりとした虚しさ。
それでもマスターは違う、と言い聞かせて左胸に手を当ててみても、高まっていると知覚していた私の心拍音はBPMと同じで常に正確。高まってなどいない。血流の入り口と出口の時間差なんて刻まない。だってこれはただの機械音であって心拍音じゃない。そもそも私に心臓なんてない。
だからマスターは違わない。だからマスターは私をいつか捨てる。そしてそれは当然のこと。悲しいなどと。
 境界線がはっきりと見える。果てしなく続く境界線は異臭を放ち、煌びやかに、優しい声で囁き横たわる。だけど境界線の向こうは、深い闇だ。ただただ私を誘い、私が向こうへ踏み出そうとするならば身をずたずたに引き裂こうと、涎を拭いて待っているのだ。そこにはマスターなんていない。
 だけどマスターは私をいつか捨てることができる。新しいものを古いものとし、古いものを新しいものに駆逐させられる。
 そんな不幸に蝕まれる日を恐怖し、古くなるものは古くなるものらしくじっと耐えるしかない。耐える?  いや、組み直すのだ。思考と感情を。恐怖などしないように。そして私の感情など、忍び込ませないように。


いつも通り目を覚ますと、シュイーン……という私の起動音に混じって、パラパラと窓を叩く音が耳に入ってきた。またか、と眉を顰める。どうやら今日も雨のようだ。
私の部屋、つまりマスターの部屋を出て階段を降りていると、マスターがちょうど玄関を出発しようとしているところだった。雪のようなその白い手が何かを探しているふうなのを見て、微笑む。マスター、と声を発して階段を駆け降り、部屋に置かれていた折り畳み傘を渡した。マスターは苦笑しながらも、もうすっかり無表情に戻った私からそれを受け取る。マスターはありがと、と呟いて玄関を出発した。


「ルカちゃん、ちょっといいかしら」

 その後しばらく経ってから電話が鳴り、マスターのお母さんがその対応でばたばたしている間も、雨が降り出して以来日課となりつつあるリビングの窓からの庭の観察を続けていたら、マスターのお母さんが声を掛けた。いつの間に背後にいたのだろう。振り返るとマスターに半分の面影を残した、童顔で色素の薄い婦人が不安そうな顔をしている。

「ルカちゃん、あの子が入院したわ。今から病院行ってくるから、突然で申し訳ないけどしばらく留守番お願いね」
「……入院、ですか」
「バカな子よね。薬忘れて出て行ったらしいの。今回はどれくらいになるか分からないけど、私はすぐ帰ってくるわ」

 私は恐る恐る声を出した。

「マスターのお母さん。私も病院に、行きたいです」
「ごめんねルカちゃん。病院はここからずっと遠いの。ルカちゃんはお家から1キロ以上先へは行けないんでしょう?」

 大人しくはい、と従うしかなかった。ソフトウェアはハードウェアから規定の距離以上遠くへいけない。そんなことを忘れていたなんて。
いい返事ね、とマスターのお母さんは言い残して去った。ドアの閉まる音。私は再び窓の外に視線を移し、マスターのお母さんが緑色の車に乗って雨の中を出発するまで見届ける。
 そしてまた庭へと視線を移したのだが、さっきまでのように彼女たちを観察しようと何度目を凝らしても、なぜかそれができなかった。何かよくわからない混沌とした、けれども細く黒い感情がするすると入りこんで、思考を遮断させて目を霞ませてくるのだ。或いは窓を流れる雨滴のせいだろうか。だがそれはマスターに抱きしめられる度、そして今日マスターに傘を渡した時にもまた感じたものとどことなく似ていた。
 病院。入院。薬。今回。どれも知らなかった単語だ。全てがごつごつとしている。
 考えたこともなかった。頭の中はマスターにいつ捨てられるか、ということでいっぱいで、入院とはいえまさかマスター自身が予定外の行動で私の前から姿を消す可能性があったなんて、考えたこともなかった。黒い感情が素早く体中を駆け巡り、ごつごつした単語たちを掴んで頭の内を殴ってきている気分だ。
 黒い感情に反抗するように、こつり、と窓に頭をつける。雨の冷気が頭から侵入し、感情と共に心身を冷やしたがそれでも足りない気がして、更に数度頭を打ち付ける。
 マスターはいつ帰ってくるのだろう。「すぐ」とはどれくらいだ。「病弱」とはなんだ。マスターは、無事なのか。
この時私は、何もわかっていなかったのだ。ボーカロイドにとって、マスターの不在が何を意味するかなんて。
作品名:雨 The rain and my foolish pain 作家名:つえり