雨 The rain and my foolish pain
だが横にはゆらりゆらりと揺れる寂しさと、そして目の前にはマスターがいる。
「夢だから、ですか」
「うん。夢だから」
「じゃあ、言います。好きでした。きっとずっと前から好きでした」
夢の外で私は思考ルーチンを何度書き直したのだろう。行動パターンを何度組み直したのだろう。もう二度とするまいと、必死になってやり直して、それでも私の弾き出す演算の答えは同じだった。いつも同じ行動になっていた。結果としてマスターを動揺させていたとしても、マスターが好きだという答えは同じだったのだ。
「ありがとう」
たとえ黒い感情に苦しまされたとしても、マスターに与えた動揺を償うにはそうするしかなかったのだと、マスターが好きだという私の演算の答えを変える気はないのだと、身体のどこかが判断したのだろう。
「ありがとう」
「どうしてお礼なんて、いうのですか」
「ルカが頑張ってくれたから」
またそれで私の声と涙が溢れたのを見て、マスターがくすり、と笑う。なんですか、と声をあげようとしたのに、声が引き攣って上手く言えない。なん、です、とぐずりながら言う私の涙をその細い指で拭い、マスターは小さな溜息を一つ吐いた。溜息は濡れた頬の表面を冷やしながら撫でていく。
「ルカが何と言おうと、やっぱり僕はルカが好きだ」
「でも」
「そうだね。言葉だけじゃあ通じないことってあるよね。わかるよ。僕にもあった」
額同士をこつん、とくっつけて、もう一度小さく溜息を吐いたマスターは突如、あああもどかしい! と大声でそう言った後、ぐりぐりと額を押してきた。声と額の勢いに負けて後ろへよろめきそうになるのを、力を緩めていたはずのマスターの両手がぐっと支えてくるから大人しく攻撃を受けるしかない。
「いたい、いたいです」
抗議しようとそうっと薄目を開くと、マスターのくりくりの瞳と目が合って、私とマスターはどちらともなく笑い声をあげた。ごめん、と両手の力だけはそのままにして、マスターが額を離す。
「僕、帰ったらやりたいことができたよ」
「そうですか。なんとなく、わかります。今なら」
「うん。ルカ、気付いてないかもしれないけど、色があまり見えてないみたいだから」
「そうなんですか」
「治したいんだ。それを」
「はい」
ふと本当に、全く何の前兆もなく、何かの気配を察して私は笑みを消した。マスターと目が合うと、マスターの笑みも消えていた。しばらくの無言の後、布地越しにマスターの手の熱がぐっと込められ、再び抱きこまれる。反射で目を瞑る私の耳に、I love you、とマスターがそう囁くと、私の唇へキスを落とした。
目を開けると見慣れた天井が薄暗く迎えていた。ふかふかの感触で、マスターのベッドの上にいるのがわかった。どうやらマスターのお母さんが連れてきてくれたようだ。後でお礼を言わなければ。身体を起こして、頭の重みに視界がぐらりと揺れる。身体も少しだけ熱が残っているから、意識を落としてからそんなに時間は経っていないのだろう。それにしては、長い夢だったようだが。
何気なしに指を唇へ当てれば、急に外から雨音が聞こえ出してきた。そういえば、また今日から雨が続くと言っていた。ニュースキャスターの齎した悲しみを噛み締める。当然だが涙は出ない。夢でも見ない限り、ボーカロイドに涙は流れない。
開け放たれたカーテンの外を、透明の斜線が引き続けられる。庭で項垂れる彼女たちはもう生きてはいないだろう。斜線の音は何もかもを奪っていくようで、姿は何もかもを隠していくようだった。どうして何もしてやれなかったのか。生きているのはきっとあのしぶとい雑草たちだけに違いない。マスターがルカだ、と言ったあの雑草だ。シーツをぎゅっと握りしめる。
その時外の斜線が冷やす空気に身体の余熱が触れ、触れた部分の空気の水分が水滴へと変化し、私の頬の上を一筋つたっていった。
その軌跡はまるで、最後の流れ星のようだった。
作品名:雨 The rain and my foolish pain 作家名:つえり