AS YOU LIKE IT!
娯楽が何もないので、俺はソファーに、マカはテーブルに座って前をじっと見ていた。何を考えているのかは知らないが、全部顔に出ている。不安、緊張、恐怖、今更の居心地の悪さ。多分俺も全く同じ顔をしているんだろう。落ち着くべき場所にいるというのに、全く安心できない怖さ。明らかな他人がすぐ近くにいるという異物感。落ち着けるはずがない。
「……寝る」
マカは誰ともなく呟くと、のろのろした動きで自分の部屋に向かった。職人はかなり動ける奴がなるものだと思っていたが、とてもそうとは思えない鈍さだった。
リビングから人が消えたのをいいことに、俺はソファーに横になった。足を伸ばすには多少窮屈だが、寝れないこともない。照明と趣味の悪いポスター、汚れた壁紙に真っ赤なソファー、明るいピンクのタイルに原色のキッチン。前に住んでいた奴、恐らくは奴らで武器と職人は趣味が真逆のように思える。俺とマカはどうなのだろう。この家具を変えたりするんだろうか。というかベッドやら何やらも揃えなくてはいけないらしい。
どうするんだ、と考えながら照明を見ていたら、いつの間にか寝ていたらしい。目がショボショボする。部屋の中がやけに明るく見えたが、目が慣れていないだけで、時計を見たら深夜を回っていた。
頭をかきつつ電気を消そうと起き上がる。スイッチの位置さえまだ把握し切れていなかった。部屋が暗くなると、家具の位置が分からなくて動けない有様だ。
異空間。一日だけ泊まるホテルみたいだ。全く慣れないし、慣れる気もしないし、帰りたい、と強く思ってしまう。けれどどこに帰るんだ?帰る場所なんてどこにもない。あるけど、俺はそれを思い出したくなかった。浮かぼうとする度に、頭を振って逃げ道を消した。消えてくれる。
不意に、マカの部屋から明かりが漏れていることに気付いた。明かりを消さないで寝ているらしい。そのままにしておいてもよかったが、その細い光の線は思いっ切り俺の寝床のソファーを直撃している。俺は頭をかいて、マカの部屋に向かった。
礼儀としてノックする。返事はない。ノブに手をかける。
「……おいおい」
驚いた。鍵が開いていてドアが開いたことにじゃない。開いた先に何かがあって、それ以上開かないようにしてあることにギョッとした。
マカの部屋に入ったことはなかったが、どうやらドアの前に置いてあるのは机や椅子らしい。さすがにベッドまでは移動していないみたいだが、これを押しのけて中に入って電気を消せと言うのは、とんでもなく不可能なことに思えた。
職人に物理的なバリケードを作られる武器ってどうなのか、なんていう疑問が頭に湧いたが、解決しようがないし考えないことにした。きっと、あちらが感じている不安はとてつもないものがあるのだろう。俺が感じているそれの比ではない量。それを取っ払うには、時間とか慣れとか、そういうのが必要なんだろう。
とにかく、今の俺にどうこうする気はないし、できるはずもない。可能なことといったら、せいぜい頭を抱えて、光を見ないようにして寝ることくらいだった。
バリケード騒動は初日だけで終わった。正直ほっとした。何日も続くようだったら、俺の心の方がバリケードを築くだろうと予想していたからだ。マカは普段は特に鍵もかけない。俺もマカの部屋に入る用事などないので、不便は全くなかった。ただし向こうは着替えていようが寝ていようが平気で入ってくるので(しかも俺が鍵をかけると怒る)、対処に困る。
そんなことより大変だったのが授業が始まってからだった。何せ基本的に休みというものが保証されない。さすがに寝ている時に呼び出しということはないが、課外授業で休日が丸々潰れることが多々あった。初めて課外授業とやらを受けた時は、俺もマカも疲れ切っていて、危うく床の上でひと晩過ごすはめになるところだったくらいだ。とにかく最初の頃は慣れなくて、家事をこなすどころではなかった。部屋は汚くなっていくわ食事は不規則になるわで、マカがげっそりした顔になっていたのを覚えている。
「ベッド買いに行かないと」
ぐったりした顔でソファーに寝転びながら、マカはそんなことを呟いた。同じく憔悴してソファーにうつぶせていた俺は、鬱陶しくて顔を上げる気にもなれない。
そう、いまだに俺はソファーで寝ていたのだ。家具を買いにいくも何も勝手が分からないし都合もつかない。というかここは学生寮だし死武専は妙に手回しをする学校みたいだから、ベッドのひとつくらいその内都合してくれるんじゃないかと思っていたのだ。まあ、何も言わなかったら何もないまま一か月が過ぎてしまったけど。
俺は正直好きにしろよという気持ちだったが、マカはこの「好きにやれ」というのが嫌いらしく、何故か俺の意見も聞きたがるのだった。なので仕方なく口を開く。
「そうだな」
「ソウルの部屋のことでしょ、もっとやる気持ってよ」
「やる気ってもなあ」
俺の部屋はいまだに空き部屋状態で、家具といったら段ボールの空き箱くらいしか思い付かない。それもマカが家から足りないものを送らせた際に出たゴミで、俺はそれに自分の服などを入れていた。自分で言うのも何だが、随分安上がりな性格である。
「別に今のままで満足しているんだけど」
「嘘っ!あれで!?ありえない!信じられない!」
「いや、マカに信じてもらえなくても。そんなに嫌なら俺がマカの部屋に」
「それはやめて」
「知ってるよ」
即答の応酬。この即答にマカは怪訝そうな顔をしたけど、今後の関係を考えるに初日の夜のバリケードを俺が知っていたとばらすのはよくない気がしたので、知ってる知ってると連呼して、とにかく曖昧にする。心配せずとも、頼まれたってあのいわゆる「オンナノコ」らしい空間に部屋替えしようとは思っていない。俺は本当に今の状態で満足なのだ。
とはいえ買いに行くのも実に億劫である。マカは強硬に新品を買いたがったが、俺はそれにしつこく反論した。別にそこまで反抗する必要はなかったのだが、お互いに意地を張り合ってどうしようもない状態というのはあるのである。
最終的にマカが折れた。
「分かったわよ……隣に盗みに行けばいいんでしょう……?」
ザッツライト。言葉にして言われると物凄い違和感だけど俺はあえて気にしないようにするね!
つうわけで、俺の部屋を家具で埋めるために、隣から(と限らず空いている部屋ならどこでもよかったのだが)いくつかものを拝借しよう計画が始まったわけで。
「これほどどうでもいいことは生まれて初めてやる気がするわ」
「関係ねえ奴を巻き込んでやる犯罪ってのはわりとわくわくすんなマカ!」
「大声で名前を呼ぶなっつうに」
マカは一応変装しているつもりなのか、髪をひとつにまとめ分厚い眼鏡などをかけていた。対する俺は髪を帽子の中に押し込み、まるで野球少年みたいな外見にされている。
時刻は昼間。午前授業の日だった。アパートの廊下に人の気配はなく、太陽だけが辺りを爽やかに照らしている。俺達は自分達の部屋から出ると、ぎろっと周りを見渡す。誰か来る気配もない。この学生寮、入居者が少ないような気がする。
マカはすい、と音もなく隣の部屋へ移動して、手元から何やら取り出した。ドアノブ近くで動くその手元を見て、俺は再びギョッとする。
作品名:AS YOU LIKE IT! 作家名:すずきたなか