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前世を言ってもキリが無いよ

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入場料は無料だから、誰でも聞ける。何よりたくさんの人に聞いて欲しいと先生本人が仰っていたからお前も来て良いぞ、と何処までも居丈高だった。
興味はあった。
上杉謙信その人の、今の姿、生き方。あと、かすがの友人として、心酔する先生とやらがどんなヒトか。
過去と現在、両方の視点から建前が立ってしまったら行動は簡単だった。
それでもずっと後ろの方で聞いていた。
会場に入るのは聊か勇気が必要だったのだ。
林に囲まれた野外音楽堂の、そのずっと外れ。
スタッフが準備のために寝泊りするだろう二階建ての建物。
打ちっぱなしのコンクリートが素っ気無い管理施設の外付け階段で、俺様は演奏会を聞いていた。
場合によって音響設備やカメラを置いたりするのだろう、階段は広く、舞台を正面から捉えられる位置にあった。
それでも距離は遠い。
オペラグラスを使って演奏者の顔が分かる程度に、遠かった。
視力2.0の肉眼で見ても米粒くらい演奏者は小さくなる。
逆を言えば、演奏者からもそう見えるだろう位置だ。
直線距離で500メートル。だから安心していた。

最後の曲が終わって、スタンディング・オーベーション。
退場しても3分鳴り止まない拍手にアンコールが2曲。
それで退場してもまた拍手が鳴り止まないものだから、楽器を持たずステージに戻って3回目のお辞儀をした上杉謙信が、会場を見回して微笑んでいる。
と、不意に宙を見上げて、一層深く笑みを刻んだ。快晴の空に満足気に。
そんな風に、会場の人間には見えただろう。
が、俺様は思わずしゃがみこんだ。
明らかに、視線が合ったのだ。
ううっわ、観察しに来て、観察されちゃったよ今生でも!!
その風貌も雰囲気も全く変わらないらしいとか、性別不明なんてところまで今生も一緒なんだから性質が悪いとか、観察している場合ではなかった。
慌てて階段を下りる俺様の耳に、本日の演奏はこれで終了です、というお決まりのアナウンスが流れる。
とにかく一刻も早くこの場を離れたいと思うのは習性だ。
これは前世の習性だとわかっているけど、前世に振り回されるのなんてバカみたいと思うけど、でもどうしたって居た堪れない。
会場から最寄り駅までのシャトルバスに一番に乗り込んで、早く出発することを願ってイライラする。
とりあえず座席が全部埋まるまでバスは出発できないらしい。
運転手はさっきから何度も座席を振り返り、空席を数えては運転席に座る。
しかし、最後の演奏者が軍神だったのが悪かったんだろう。
聴衆の多くは夢見心地で、森林散策するようなゆったりした足取りでバスに乗り込む。
音楽の余韻が抜けない様子だ。
会場から離れがたいのが嫌でもわかる。
何とか最後、空席二つを埋めるだろう二人組がバスのタラップを踏むのを見て、やっとバスが出発できると安堵しかけた俺様は、今度は頭を抱えた。
・・・なんか、見覚えある。ていうか、記憶にある。
二人組は音楽の余韻など漂っていないらしい。ただ暑苦しく、この夏の暑さよりも暑苦しく演奏者について語っていた。
電波な記憶に振り回されるのなんか、真っ平だ。
真っ平だって言うのに・・・もう既に振り回されてるんだろ?と思う。
―武田の大将と旦那だ―
声が頭に響いた。
自分の声で響いているのに、他人の声音に聞こえる。
実際、他人の声だろう。前世の猿飛佐助なんて、他人だ他人。
ただ、家族よりも近しい他人だということを認めないわけにもいかなくて。
ただひたすらに、話し続けている二人に見つからないように、座席で身を縮めていた。
無自覚に大声で話している二人の会話はバス中に響いていて、それで何となく、二人が今は音楽の世界で生きているのだとわかった。
話題の中心はやはり軍神さんで。
曰く、独自の世界が強すぎてソリストとしてしか演奏できないのだとか、それでもいつか自分のオーケストラに参加させたいのだとか、それで言い争ってケンカをしているように評されるが、特に仲が悪いわけではないのだとか。表現の幾つかが従来の解釈と違っていて斬新だったとか、それは楽しげに話をしていた。
旦那には、音響について大将が聞いていた。
周囲を取り巻く林が、旦那は気になったと言っていた。
今の高さがベストだけれど、きっともう少し林の木々が高くなれば、ステージに反ってくるベストの位置が真ん中より大分ずれるだろうとか。そうすると、大型の楽器を複数入れるようなコンサートが舞台栄えしていいだろう、とか。
・・・何のことだかさっぱり俺様にはわからないが、大将が「相変わらず勘だけでよく分かるものよのう」と豪快に笑っていたので、なんとなく、ああ変わらないのね、と苦笑した。

それで、苦笑で終われなかったのが武田信玄のクオリティなんだろう。
途中まではオイオイ、と思っていた。
最寄り駅から乗る電車が一緒だったのだ。
それで、降りる駅も一緒だった。
やれやれ、とそこで思っていた。
最後は、勘弁してよ、と思っていた。
歩いていく方向が、俺様の帰宅路と全く一緒だった。
で、大将が道途中、くるりと振り返ったのだ。こっちを。
「おぬし、会場からずっと一緒だったのう?」
にやりと笑う表情に既視感ありまくりだった。
腹に一物あるときの、楽しげな表情。
なんと、と旦那は驚いた顔をしていた。
俺様は出来るだけそっけなく答えた。
「帰り道、こっちなんで。」
「なんじゃ、入門希望者ではないのか。」
武田の大将は笑みを変えずに尋ねて来た。
うわ、そうだよね。軍神さんがあれで、コノヒトがこうじゃない理由のほうが寧ろしっくりこない。
明らかに、俺が誰で、自分が誰か、分かっている表情だ。
電波な記憶の表情、そっくりだもんよ。
「入門、って何のですか?」
「何でもありじゃ。」
「は?」
「ワシは道場を持っておる。じゃが、何かを特定はしておらん。やりたいことをやりたいだけするための場所を提供しておるだけじゃ。半分畳で、半分は板の間でな。武具さえ持ち込めば何でもできるぞ。」
「なんですか、それ。」
「言ったであろう。何でもアリじゃ。本職は違うからのう、鍛錬さえ出来ればよいと道場を造ったが、ワシ一人では場所が勿体無くての。希望者に使わせとる。登録制のスポーツクラブと変わらん。」
俺様は、もう一度、なんですかそれ、と言いたい気持ちを飲み込んで、
「見学させてもらってもいいですか?」
とだけ言った。
前世に振り回されるなんて、と喚く理性が負けた瞬間だった。
だって、ここで別れてお終いなんて、嫌だと言ったのだ。
それが前世の自分だとか、今生の自分だとかそんなのは分からない。
分からないけど、嫌だと自分の中で大きな声がしたのだ。
大将は豪快に笑った。
「構わん!」
と許可した。

それで俺様は、ずっと武田道場の見学者という位置を保っている。
道場は使わないけど、居心地が良かったのは間違いなかった。
月謝を納めない代わりに手土産を毎度持っていく。
甘味とか甘味とか甘味とか、偶におにぎりとか。
ペースとしては月に二度からが多い。
行けば毎度、真田の旦那から眼が離せない。
面倒を見る羽目になっているのは、もうお約束なんだろう。
ただ、距離感だけは電波な記憶より遠いと思う。
それは旦那が普通だからだ。