スターゲイザー/タウバーンのない世界
力なく返事する。
スガタの後ろに赤の存在。
「先生なんだったの?」
ワコが何気なく問う。
「うん〜、奨学制度の申し込み、来年度の話。」
「そっか、申請の時期なんだ。」
ワコとタクトが二三口を聞くと、スガタはやっとタクトが加わった空気に緊張が解けて、そっとタクトを見上げた。
「うん。」
ワコに返事をしたタクトの表情が、たったそれだけの返答に、優しく優しく微笑んだのにスガタは違和感を覚えた。
「帰ろうか。」
とタクトが言って、ワコとスガタは席を立った。
住宅街を歩く帰り道。
石造りの塀と舗装されない道を歩く。
家のカーテン越しにクリスマスツリーのネオンが光る。
タクトは妙に静かだった。
故に二人も静かになった。
冬晴れの空は今にも消えそうな雲がぽつりと浮かび、空の空を高く感じさせた。
でもやっぱり、なんで今なの?
さきほどのスガタの問いがワコの頭をよぎった。
隣のスガタを盗み見る。
なんだかぼんやりしているようだ。
そんなスガタは珍しいので、今度はタクトを盗み見た。
こちらもぼんやりしてる。
何故今か。
スガタに必要だからだ。
ワコは心の中から沸き上がった声に、確信を覚えた。
今、スガタに必要だと思った。
そんな気がした。
大人になる前に。
大人になれないでいるスガタに。
気づいてほしいことがある。
ワコ自身にも、それが何かは分からない。
けれど。心の声が啓示する。
その感情を殺さないで。
「あ、そっか。」
夏祭り、スガタの思惑が分からずに、この人の考える所を一生知ることがないかもしれないと思った。
スガタがワコをどう思っているのか、許嫁という関係をどう思っているのか。
一生分からないまま、スガタは自分と結婚して、自分はスガタの心も分からぬままに、大切にされるのだろうかと思った。
助けたいと思った、
それはつまり苦しそうだったからだ。
苦しそうだとスガタがワコに言った、
それはスガタもそうだったからだ。
「?」
独り言にスガタが振り返った。
「何が?」
タクトもワコに声をかけた。
「・・・・うん。」
ワコは二三歩駆けて前に出る。
「嬉しい発見があったの。」
「なにー?」
タクトも嬉しそうに笑みを浮かべて聞いてみる。
「まだナイショー!」
そういってワコはT字に交差する道路まで走った。
走るワコの後ろ姿の向こうに、長く長い石段が延びて、風が吹けば枯れ葉が雨のように降り注ぐ鳥居が出迎えている。
石段の一段目に飛び乗ったワコが、二人が追いつくのを振り返る。
冬空の寂しさも落ち葉のもの悲しさもいつの間にか、ワコの笑顔の前では家に帰った後のホッとする暖かさに変わっていた。
「夏みたいに連絡してね。」
「ああ、連絡するよ。」
スガタは答えて違和感を感じた。
こういう時、タクトの後に続いてスガタが返答するのがいつもだから。
横のタクトを振り向くと、ワコを見つめて微笑んで「連絡するね。」と遅れて言った。
ワコは嬉しい気持ちでいっぱいのようで、そんなタクトに気付きもせずに、踵を返して階段を駆け上り始めた。
あのテンションでこの階段を、最上段まで登り切れるのだから習慣というのはすごいものだ。
ひらひらと揺れる短いスカートの裾から、今にも下着が見えそうだったので、スガタは「行こうか。」とタクトに言った。
スガタは数歩先を歩き、タクトを振り返った。
タクトは駆け上るワコを、しばし見上げていた。
それが特に下心があるわけではなさそうだったので、スガタの中で伏線が溜まってゆく。
海沿いの車道脇を歩くと、カモメが泳ぐように横切ってゆく。
タクトはぼんやりと虚ろに歩いていた。
あまりにタクトが虚ろなので、スガタはいい加減嫌気がさしたのだ。
タクトは大きな猫目をまん丸く見開いた。
ようやくこちらの世界に帰って来たようだった。
しばしその手を見つめて、顔を上げスガタの青い後ろ頭に向く。
「何?これ。」
スガタはなんてことなさそうにチラリとタクトを振り返ると、
「特に意味はないけど?」
そう言い捨てた。
スガタがタクトの手を引いて、いつもの帰り道を進む。
冬が遅いとはいえ一時期からずっと寒くなった外気温に、スガタの手の温もりが暖かい。
いつからこんなにかっこよくなったんだろう。
海を眺める丘沿いに、大きな家々が現れると、スガタの家に続く坂道に差し掛かった。
いつも通りスガタが、その坂道を折れてゆく。
タクトはそっと手を離した。
スガタは一瞬振り返り、離れた手もそのままに、気にせず坂を登り出した。
2メートルほどで進んで振り返ると、坂のふもとでタクトが、瞳を細めてその後ろ姿を見送ろうとしていた。
「昔はさあ、スガタはかわいかったよなあ〜。いっつも僕にくっついて、病弱でよく泣いてたよね。」
昨日聞いた台詞だ。
「お前もまた・・唐突だな。」
今日ワコに言った台詞を挟んで、
「いつのことだよ。」
昨日の再現をして見せる。
「・・僕がスガタを、好きだった頃のことだよ。」
「僕が別人だった頃?」
皮肉っぽく言う。
「そうそう!気づいたらスガタはあっという間に僕を追い越して、そんな風にポケットに手をつっこんでスイスイ前を歩いててさ。『ちょっと何一人で先行ってんの?』って僕が言うと、『一緒にいく必要ある?』ってかわいげないの。」
スガタは何の話だろうと記憶を回転させる。
そんなシーン幾度もあったから。例え話なのかいつかの話なのか分からない。
難しい顔でタクトを見つめていると、タクトは勾配の手前からスガタを見上げたまま言った。
「スガタ、僕さ。」
初めて感じたタクトの空気に、伏線が嫌な方向に展開するのをスガタは察した。
ザアッとタクトの後ろをプジョーが通り過ぎた。
「進学できそうにないや。」
その他にほとんど車の通る気配はない。
スガタは言葉を失った。
「色々、できる限りのことはしてみたんだけど・・無理だった。」
タクトは残念そうに微笑を浮かべて諦めきっている。
「ちょっと待て、なんで?何が原因で??」
スガタは焦って声を荒げた。
「・・・二年目の奨学生契約、じいちゃんが連帯保証人に認められなかったんだ。」
「・・・・・・・・。」
先ほど繋いでいた手を、ポケットにつっこんで。
「親戚探して当たってみたけど、ほとんど血縁じゃないから無理なんだ。第一私立に通うための連帯保証なんて誰もしてくれなかったよ。当然だと思う。」
スガタは珍しくカッとなって頭に血が上った。
「なんでもっと早く言わないんだよ!!なんかあるだろ!僕も調べるし・・。」
「先生がさ、なんとかなるように色々やってくれたんだ。機関保証とかもあるんだけど、うちの学校はその制度受け付けてないんだ。最後は先生が保証人になって、誤摩化してやるって言ってくれたんだけど・・・・。」
担任がそこまでタクトの為になろうとしたことに、スガタは驚いた。
「そういうの今問題になってるから、学校のチェックが厳しくて了承が降りなかった。」
タクトは話をするうちに思い詰めて、空を仰いだ。
「ちょっとさあ、打ちのめされちゃったよ。二人と卒業するの目標だったから。」
スガタの中でサイレンが鳴っている。
「ねえスガタ。」
作品名:スターゲイザー/タウバーンのない世界 作家名:らむめ