スターゲイザー/タウバーンのない世界
「あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。」
たったそれだけの言葉を交わす幸せ。
それがこの境内の、どこかしこを満たしている。
先へ進むと神社の中にワコの姿が確認できた。舞台上で仕事をする友人を見ているのは、なんだか嬉しいような少し羨ましいような気持ちだ。
スガタは前に会った時のワコを思い出した。
「僕たちはまだ16歳か・・・。」
「え?何それ、正月そうそう言う台詞?」
タクトが笑いを含んで言う。
「お前が言ったんだぞ。」
「言ってないって!何言ってんの?」
本気でつっこむタクトに説明するつもりもなく、スガタは無視する。間近で携帯のバイブ音が聞こえていることに気づき、フと見るとタクトのダウンのポケットが振動しているのが分かった。
「タクト、ケータイなってるぞ。」
「え?あ、ほんとだ!」
「バイブ意味なし。」
「はいもしもし、ああ!じーちゃん?!」
タクトの声が何倍にも明るくなった。
「何なに?あ!あけましておめでとー!ははははは!何だよ夜更かししてー!よくないぞー!」
携帯からは向こうの賑やかな音が漏れて、タクトのおじいさんの元気そうな声で『年越しパーティしてんだよ!』という声がスガタにまで確認できた。向こうが騒々しくてタクトは自然と声を張る。
「僕はスガタと初詣!え?スガター!!・・・別にいいでしょっ!仲良しなのっ!」
ガソリンスタンドの同僚と同じように、高校生なんだから彼女くらい作れ、とか言われている。
タクトは一通り新年の挨拶を交わして、夜更かしするなとか、体冷やすなとか、早く寝なさいとかの、親みたいな台詞を祖父に送った。
会話も締めくくる頃には、二人の進路は自然と裏森へと向いていた。
そこは幼い頃から遊び回った境内なので、他の人が入らないような裏の敷地も無遠慮に進む。
携帯電話をオフにすると、にこにこしながら「元気そー!」とタクトは喜びで安堵した。
でもその様子で、スガタはあることが気にかかった。
「タクト、もしかしてじーちゃんにまだ言ってないのか?」
タクトは携帯をポケットにしまう間、無言になった。
スガタの言っているのは進学の話で、言っていないのは図星だった。
「・・うん。まだ。」と呟く。
「そっか、なら良かった。」
「何が?」
タクトが不思議そうにスガタを振り向くと、裏参りに続く細い道なりにその日は提灯がかけられていて、背後に暖かい灯りの道ができていた。
「タクトと一緒に卒業したいのは、僕もワコも同じなんだよ。」
暗闇の中でスガタは半分闇に溶け込んでいるが、朱色の光がその存在の輪郭を縁取っている。
タクトの目が慣れてくると、意志のある瞳がゆれる光を反射させてタクトをまっすぐ捕らえた。
「僕は全力でタクトの退学を阻止する。」
神社の表から聞こえてくる喧噪から切り離されて、そこは暗闇でしかなかった。
タクトの後ろは黒く塗りつぶしたような夜の森で、その中でタクトだけが暖かい光を浴びて存在している。
スガタの台詞が冗談っぽく聞こえたのか、タクトは少し笑った。
スガタを見つめ返すその赤い瞳が、無垢な喜びを写してゆらゆらと揺れた。
「阻止するって・・・どうやって?」
期待しない声。いたずらっぽく尋ねる。タクトはあどけなく首をかしげて。
向かい合うと正面から受け止めきれない。タクトという存在が、こんなにもスガタにとって大きかっただろうか。
スガタは増々、意志を強く固めた。
「タクトの後見人になってもらう・・・父さんに。」
その言葉に、タクトの顔が見る見る驚きへと変わった。
「何ゆってんの?!ちょっと馬鹿言わないでよ!」
スガタは心から嬉しくて微笑んだ。
長い間自分の中を交錯し続けたあらゆる感情が、一つの解を見つけたような爽快感だった。
失望や喪失、敗北や虚無感、それらは現実として受け入れて、淡々と自分の中に蓄積していくことが大人になることだと思っていた。
でもそれは間違っていたと、単純な言葉が教えてくれた。
嫌なことなら、闘えばいい。
「タクトに無理でも僕には出来る。」
「ちょっとスガタ?冷静になって考えてみて!」
そしてずっとスガタに心細さを植え付けていた、タクトの喪失は好意の裏返しだった。単純にそれが嬉しくて。
欲しがっても良いのだ。やっとその確信が持てた。
失いたくないもののために、手段も選ばず欲しがって良い。
「タクト。お前のことは。」
それがゆらゆらと瞬くので、スガタはそれしか見えなかった。
「冷静になんてなれない。」
タクトの瞳が大きく見開かれて、その瞳がたくさんの疑問符をスガタに投げかけた。
周りは全て真っ暗闇で、だけどその瞬間からスガタには全てが色を持ち始めた。
スガタは気づいた。
諦めたくなんてなかったんだと。
ずっと幼い頃から。
ひとつも諦めたくなんてなかった。
未来も友達も両親も自分自身も。
そしてその中でタクトは、スガタの心の象徴だった。
スガタが初めて自分で選んで、初めて自分で求めた。
たったひとつの夢だった。
ずっとタクトが欲しかった。
「・・・・・・・・・・・・スガタって。」
タクトが慎重に声を出した。
「時々先を行き過ぎて、会話についてけないんだよな。」
まじまじと呟くタクトに、スガタは笑いがこぼれた。
それでタクトはゆっくりと、纏った空気の色を変え微笑んだ。
タクトは嬉しそうに茶化し言う。
「とりあえずちょっと落ち着きなよ。」
冷静の中で情熱が溢れ出しそうになりながら、スガタはそれを一端押し殺さなければならなかった。
「その話聞くからさ。」
入学式の日、タクトが競争しないかと言ったことが突然蘇った。
いつもタクトが馬鹿を言い、スガタがそれにつき合わされるのに、今日は逆だ。
幼い日の約束、ずっとすれ違っていた想い、どこかに隠れていた感情、入学式のタクト、初夏の日の宿題、幼なじみの言葉、抗える勇気。
スガタの心が奮い立った。
「16年間まじめに言うこと聞いて来て良かったかもな。」
タクトはスガタの作った空気の違いを敏感に感じ取り、自らも同調して心が踊った。
「なんで?」
新鮮な期待に包まれる。
スガタは余裕に微笑んだ。
「反撃する準備が整った。」
闘おうと決意すると、それは耐えるよりずっと楽だった。
作品名:スターゲイザー/タウバーンのない世界 作家名:らむめ