Stand by me
「いつも風呂上りは半裸でアイス食っとる人がよう言うわ」
「は、半裸ちゃうわ! 5分の3裸くらいや!」
「はいはい」
なんやねん5分の3裸て、と喉の奥で笑いながら、財前はおもむろに服の上を脱いだ。
「え!?」
「何、え、て」
「や、やってそんな……」
「謙也さん、服脱がんと風呂入るんですか」
「や、そ、そういうことやのうてな」
「え? 何? もしかして俺置いて一人で風呂入るつもりやってん? 恋人と二人で温泉宿来て? うわー、薄情やー、鬼やー、引くわー」
「ちゃ、ちゃう! ちゃうて! ただ、その、俺にも心の準備ちゅうもんがな、その……」
「ええからちゃっちゃと脱いでちゃっちゃと入りません? あんたスピードスターとちゃうんかい」
うんざりしたような口調を作れば、「うん……」としおらしくなる。いい年をしてこんなにうぶな男がいて良いものだろうか。
チラチラと財前の方を上目遣いに見ながらゆっくりとシャツを脱いでいく様は、まあ、間抜けなのだが、奇妙なことに一つ瞬きをすればそれはなんとも淫靡な風景へと変わった。ひょっとすると、ほの暗く、かつ夕陽の赤みをうっすらと帯びた室内のせいかもわからない。そういえば、陰翳礼賛なんていうのを国語でやった。
ここ最近では、本当に初心だったときが嘘のようにくっ付いたり乗っかったり脱いだりなんだりをするようになった謙也ではあるが、時に、何がスイッチなのかはわからないがこうして幼い羞恥を見せる。先日、『あんたの恥じらいは美徳やねん』なんてことを言ったが、まさにこういうことだ。本人はどうやら気付いていないらしい。気付かないままが良いだろう。
「や、やらしいことしなや」
「しませんて」
思わず吹き出しそうになりながらも、財前は真面目ぶった顔で立ち上がった。
「それは、夜」
さすがに、脱ぎ終わったシャツが飛んできた。
4
志摩なのだから、当然夕食は海の幸である。謙也は風呂も好きだが、食べることも好きだ。昼間PAであれだけ食べたのが嘘のようにパクパク平らげていく。謙也と付き合うようになってから、財前は随分と食欲が増した。
旅先の気楽さから手を伸ばした酒を、食事が終わってからもずっとちびちびやっている。普段謙也が飲むのはビールか発泡酒か、ちょっと気取ってもカクテルくらいなのだけれど、今日は二人とも清酒を飲む。地酒なのだというそれは、爽やかな甘口でどこか果実のような香りがした。
「星、綺麗やったなあ」
「ああ見えるもんですかね」
「空気が綺麗なんやろな」
食後には大浴場のほうの露天風呂に入ってきた。部屋に戻れば布団が敷かれていて、ご苦労さんやなあ、と謙也が陣取ったのは障子から離れたほうである。寝相が悪いのだ。
「テレビ何やっとんのやろ」
「確か、そんなチャンネル少ななかったですね」
ごろごろと寝転んだままテレビを付けるも、真面目に見るわけでもなく、ただ付けただけというのが正しい。何しろ酒があるし、旅先で気分も高揚している。
「……でな、ユウジ、親知らず抜くために入院したんやって」
「入院? 歯医者に入院すか」
「あー、でかい病院にはな、あんねん。まとめて4本いっぺんに抜くんや。せやから入院。大体2泊3日くらい」
「はー」
「でな、相部屋に12,3くらいの少年がな、入院しとったんやって」
「少年て」
「しゃあないやん、ユウジの表現や。でな、その少年が、わりとふくよかな子やったらしいんやな」
「ふくよかて」
「やから、ユウジの表現や! でなあ、そのふくよか少年が、食いしん坊なんやて。どんだけかゆうと、歯医者に入院しとるくせに夜中にキョロちゃんとか食うとる音がするらしいねん。コロッ……ムシャムシャムシャみたいな。いや見とらんねんけど? でもなんとなしに音でわかるやん、キョロちゃんのキャラメルや、と」
「あー、キャラメルの音はわかりやすいわ、確かに」
「せやろ? でな、まあ、歯医者に入院してキョロちゃんのキャラメル食うほどの食いしん坊でふくよかな少年やと」
「あないくっつくもんをね。あとどうでもええけどキョロちゃんやのうてチョコボールすわ」
「あ、それやそれ……あ、ちゃうねん。キョロちゃんだけやないねん。他にもムシャムシャ食っててん、ポテチとか、見舞いでもろうたらしいマドレーヌ的なそれとか」
「はいはい……それ重要なん?」
「伏線や! ……でな、その少年、少年だけやのうて家族全員ふくよかやってんて」
「はあ。てか自分で伏線言いなや」
「面会に来とった、おとん、おかん、二人ともふくよかやってん」
「ふくよか家族」
「せや。ふくよか家族や……でな、少年の付き添いには基本おかんがおってんけど、手術の前の日にな、おとんがいっぺんだけ見舞いに来たんやって」
「ふくよかおとんが」
「せや。ふくよかおとんが来たんや。で、それがわりと、面会時間ギリギリやってんて」
「ああ、ありますね」
「せやから、おとんはめっちゃ焦ってて、もう、ハアッハアしながら走ってきたんやって」
「ふくよかなおとんが、ハアッハアと」
「うん、そのまま想像しててや。リアルにな。でな、そのおとん、めっちゃハアハアしながら病室入ってきて……でな!」
「はい」
「マドレーヌ食うてん」
「は?」
「やから、マドレーヌ食うてん……ほら、伏線の」
「……あ。あー。はい」
「ハアハアしながらな、マドレーヌ食うてん」
「ハアハアしながら」
「ふくよかなおとんがな」
「あかん絵面がめっちゃ浮かぶ」
「せや。そのイメージや。……でな、ハアハアしながらマドレーヌて、結構苦行やん」
「口の水分めっちゃ奪われますからね」
「やろ。わかるやろ。でな、もう、めっちゃ苦しそうに食っててん。ハアハアしとるおとんが、ゲホゲホしはじめてんねん、マドレーヌのせいで」
「マドレーヌのせいで」
「ゲホッゲホッ……ハアハアハア、ムシャムシャ、ゲホッ……ムシャッ……みたいな」
「それユウジ先輩のモノマネで聞きたいすわ」
「ごめんな、それはまた改めて聞いてや。で、もう、ゲホゲホ具合が尋常やないねんな、マドレーヌやし」
「水分奪われるから」
「もう、ヒューヒュー言ってんねんて。でもムシャムシャ食ってて、少年もおかんも、『大丈夫!? 大丈夫!?』言うててんけど、それでもおとんはムシャムシャ食うてるという」
「何がそんなにおとんをマドレーヌに駆り立てるんや」
「『大丈夫!? お父さん大丈夫!?』『ゲホッ……ハアッ……ハア、ハア、ムシャッ……ゲホゲホゲホゲホゲホッ』『もうやめて! お父さんやめて!』――でな、もう少年も慌てたんやろな」
「そら慌てるわ。ある意味家庭崩壊の危機ですやん」
「うん。せやからな、少年がな、『お父さん、お父さん、もうやめて、お父さん……大丈夫!? なあ大丈夫なん? お父さん……ナースコール押す!?』……っちゅー話や」
「……。オチが弱い」
「しゃあないやろ! 実録なんてこんなもんや!」
作品名:Stand by me 作家名:ちよ子