空には青く、何もない
と注文を追加してテーブルにつき、紙袋にポテトを半分と粉の二つをぶちこんだ。半分は普通に、もう半分はホットチリ味にして食う気らしい。いろいろな意味で豪快だなと思いながら、ポテトが袋いっぱいに入りすぎてうまくシャカシャカできないらしい苦戦ぶりを見守った。
適当なところで振るのを切り上げ(諦め、かもしれない)、柳さんは塩味もホットチリ味も構わずポテトを全部トレイにあける。かつて見たことのない山になった。
ものすごく何か突っ込みたくもあるが、一連の流れがあまりにもてきぱきしているというか、迷いのなさに何かしら説得力があり、ちょっとくださいなどと言える雰囲気でもない。
柳さんはすごい勢いでポテトを食っていた。何本かまとめて口に運んでは、空になった手でまたポテトを摘み口にいれた。本当に噛んでいるのだろうかと疑うような速さだ。よそのテーブルからちらちらと視線が飛んできているのは勘違いではないと思う。
泣き腫らした目の細い頭の良さそうな人が、記録に挑戦でもしているようなスピードで山になったポテトを食らっている姿はなんともシュールだ。
俺はコーラをストローで吸い上げながらひたすらそれを見守る。結局一本も分けてもらえない予感がしてきた。
爽健美茶で口を潤すでもなくしばらくそのまま食い続けた柳さんは、山が底をつきそろそろ下にしいた紙が見えるというあたりで不意にぱたりと手を止め、口を開いた。
「赤也」
「はい」
ストローから唇を離し、俺は頷く。
「俺を助けてほしい」
柳さんはまっすぐに俺を見ていた。俺はまっすぐにそれを見つめ返していた。
それだけのことがすごく嬉しかった。
「……俺に、できるんスか」
真剣に聞いたのに柳さんは少し笑った。
「お前には迷惑をかけた」
「……それは、別にいいっすけど……」
「迷惑ついでに、一緒に東京に行ってほしい」
「は?」
話があっちこっちにいってよくわからない、と俺は眉をしかめた。柳さんは小さく笑みを浮かべたまま俺を見ていた。
落ち着いているように見えたが、なんだか覚悟を決めたような気配もした。
これが終わり、もしくははじまり? うっかりしたらどちらかになってしまいそうだった。俺はごくりと唾をのんだ。けれど頷いた。
「わかったっス」
何だってできる。何だってしてやれる。こうして、きちんと互いの目を見られるようになったなら、もう俺には迷いも、怖いものもなかった。
この人が不思議な人だなんて、とっくに知ってる。不思議で唐突で突飛で、でも面白くて、強くて、すごい人だ。
「ありがとう」
お礼のつもりか、食べろと言うようにずいとトレイを押し出され、ポテトを一本摘んで口に入れる。ポテトは冷めて、しなっていた。
もっと温かいうちにすすめてほしかった、と思ったのが顔に出たのか、柳さんの唇が面白そうに吊り上る。
次の日曜日、待ち合わせ場所に現れた柳さんはえらく普通の格好をしていた。普通のというか、普通の中学生のような格好を。
「……柳さん、Tシャツ重ね着とかするんスね」
呟いた俺に
「なんだ、何かレトロな服装を期待していたのか」
なぜかGパンを履いているくらいで驚かれるんだよなあと首を傾げながら歩き出す。言われて下半身に目をやった俺はその腰に光るごついウォレットチェーンに思わずうろたえた。今時の中高生がしていそうな行動や服が妙に似合わないのはなぜだろう。
柳さんは切符売り場の上にある路線図を見て、少し何やら呟いていたかとおもうと、よしと頷いて改札を通った。追いかけながら覚えたんスかと聞けば、ああと軽く頷かれた。
どこに行くかは分からないけど、東京までだ。いくつか乗り換えもあるだろう。俺なら手の甲にメモをしないといけないくらいには複雑なはずだ。
この人にとっては当然なのだとは知っていても、やはりすごいと感心した。
電車はがらがらに空いていた。俺と柳さんは並んでシートに腰掛けたが、ほとんど人のいない車両では誰に気を使う必要もないのに、今までよりもその距離が近くなったように感じた。
俺はやっぱり何を言うべきかわからなかったけれど、気詰まりな空気ではなかった。柳さんは静かに言った。
「俺は四年前にこっちに転校してきた」
「はあ」
「その前の記憶はあまりない」
「え!?」
俺は驚いて顔を覗きこんだ。柳さんはいつもと同じ顔をしていた。努めてそういようとしていたのかもしれない。
背筋を伸ばしたまま、誰も座っていない向かいのシートか、でなければその向こうに流れる景色を見ていた。俺のことは見なかった。
「転校というか、実際は夜逃げだ」
冷静な口調で、まるで教科書を読むように淡々と続ける。
「父が事業に失敗した。両親の仲は険悪になっていった。俺は子供で、そういう事情は知らされなかったが、ぴりぴりした空気に怯えていた。……ある日、朝起きたらこっちにいた。大事にしていたものも、思い出のものも、写真一枚さえ持ってこられなかった。眠っているうちに連れてこられた。狭いアパートには母と姉しかいなくて、父も、父の持ち物も何一つなかった。俺の名字は変わっていた」
「り、離婚、すか」
「ああ」
柳さんはあっさり言うと、あっと気付いたように
「いや、この後もいろいろあるんだが、結局父と母は復縁したぞ」
と補足した。
「よかったー……」
俺は詰めていた息を吐き出し、柳さんは驚かせたかと笑った。ちらと電車のドア上に表示される駅名を確かめて、続ける。
「それはいいんだ。大人の事情だ、いろいろあるだろう。ああいう形になるまで、十歳の俺に言えなかったのもわかる。ただ……」
柳さんは一度言葉を切った。
ためらうように唇をぐっと結び、意味もなく爪の長さを見て、そして片手で、もう片手を包むように強く握った。過剰に力の入った指先は白くなっていた。
「……友人がいた。親友といってもよかった。真面目で、いい人間だった」
「同級生とか?」
なんだか少し妬けるなと思いながら聞いた。四年たっても、ここまで彼の中に残っている「親友」とはどんな人間なのだろう。
「テニスクラブで知り合って、そこでダブルスを組んでいた」
「……!」
一瞬びくりと反応してしまったが、柳さんはそれに気付かないようだった。
組んだことがある、ではなく、組んでいた。それはなぜだかある意味、親友という言葉よりも俺を乱した。
「俺はあいつに何も言えなかった。相談を持ちかけることもしていなかった。いきなり目の前から消えた俺を、あいつはどう思ったかと思うと怖かった。俺とあいつのダブルスは無敵だった。世界も狙えるだなんて、あのころは本気で思っていた。俺はあいつを裏切った」
柳さんの口調はだんだん追い詰められたように早くなっていった。
今日までずっと、柳さんの心に溜まるだけ溜まったものが溢れ出ているのだろうと俺は思った。
「もうダブルスはするまいと自分に誓った。罪悪感を埋めるためだけの、自己満足に近い誓いではあったが」
そう柳さんは続けた。俺は何も言えなかった。胸の中にいろいろな思いが渦巻いていて、俺はいろいろなことをものすごい速度で思っていて、俺は何も言えなかった。
作品名:空には青く、何もない 作家名:もりなが