XYZでさようなら
まあ実際に行ってそんなことをすれば厳罰は免れないだろうけどね、と新羅は気楽に言う。まさか本当に静雄が行動するとは微塵も考えていないようだった。しかし新羅の予想に反して静雄は煙草を自分の手で握りつぶすと「ありがとな」と一言だけ言って席を立ってしまった。新羅とセルティはたちまち小さくなっていく背中を唖然と見つめる。ぱくり、と一欠けらだけ残っていたサンドイッチを口に入れ、食後のコーヒーを啜った後、
「……セルティ、私何かまずいことを言ったかな」
『さあ、よく分からない』
「レジスタンスを率いているのが折原臨也だってことは言わなかった筈なんだけどな」
『新羅、それは言っておくべきだったんじゃないのか?』
微かな喧騒をバックミュージックに一組のカップルは顔を見合わせた。
新羅の言葉により元帥の部屋に乗り込もうと決意したものの、「迷った……」よく考えれば静雄は執務室の場所を知らない。
一介の兵士である静雄がダラーズのトップである元帥に殴りこみに行っても聞き入れてもらえるとはちっとも思っていない。最悪首を切られるだろう。しかしそれならそれでもいいとさえ静雄は思っていた。一般人を見殺しにするような組織に所属していたくない。
さてどうするか、と静雄は考える。このまま無暗に探していても仕方ない。と、後ろから聞き慣れた声がした。
「静雄さん?」
ぱっと振り向くと、矢張りそこには帝人がちょこんと立っていた。にこにこ笑っている。
「どうしたんですか?こんな場所で会うなんて珍しいですね」
「あー、ちょっとな」
まさかこれから元帥の元へ殴りこみに行こうとしているなど言える筈も無く、静雄は言葉を濁した。
「あ、ひょっとして執務室ですか?僕も行くところだったんです」
にこにこ笑う帝人の両手には重要そうな書類が握られている。一緒に行きましょう、と言われて静雄はうろたえた。帝人のいる前で自分の用事を素直に言う訳にもいかない。しかしぐいぐい手を引く帝人の積極さに押し切られるように静雄は引き摺られていく。
帝人は迷いなく長い廊下を歩き、やがて重厚な扉の前に出た。静雄の知らない、迷路のような廊下の突き当たり。特に絢爛豪華な装飾はないが、品の良いつくりをした扉だ。ノックも何もなくその扉を開く帝人に慌てて静雄が「お、おい」と声をかけるも、帝人には躊躇いがない。どんな偏屈じいさんが出てくるかと静雄は身構える。しかし予想に反して、だだっ広い部屋の中には誰もいなかった。がらん、としている。静雄は拍子抜けした。クリーム色の壁と濃い茶色の調度品が美しいコントラストを作り出している。帝人は軽い足取りで机に近寄り、書類を置いて静雄に振り向いた。
帝人はいつものようにふわりと笑うと静雄の目をぱちりと見て、
「静雄さん、ようこそ僕の執務室へ」
そう言った。
「竜ヶ峰……?」
呆然と静雄が口を開く。はい、なんでしょう?と飽くまでも丁寧な口調で帝人は応えた。
「ここがお前の執務室、ってどういうことだ」
「聞いた通りですよ。ああ、身分を名乗っていませんでしたね。現ダラーズ元帥、竜ヶ峰帝人です」
椅子にかけてあった白い外套をふうわりと羽織る。金糸で縫いとられたそれは、一見して特別なものだと知れる。外套を羽織った瞬間に竜ヶ峰帝人という人間は一瞬にしてこの部屋に馴染んでしまった。あのひ弱そうな少年の面影はどこにもなく、堂々とした佇まいと自信に溢れた笑みが彼を彩っている。
いくら雰囲気が変わったとて中身はつい先程まで親しげに喋っていた少年である。こいつなら話が通じるかもしれない、静雄は一縷の望みをかけて口を開いた。
「竜ヶ峰、聞いてくれ!」
しかし帝人は静かに首を振った。「残念ですが」
「静雄さん、ダラーズを潰そうという輩を私が許すわけないんですよ」
三つの組織を一つに束ねた際に反目した輩が徒党を組み、現在もレジスタンスとして活動を行っている。その拠点がようやく割れたのだ。付近住民に幾ら被害が出ようと、彼らを生かしておくだけで出るであろう将来的な被害に比べればそれは微々たるもの。そう言われても静雄には損得で他人の命を計ろうという考えが理解できなかった。
「ダラーズがやっていることを分かっているのか、竜ヶ峰!」
「当然ですよ、私はこのダラーズの元帥です」
帝人は真直ぐに静雄を見つめている。今までにないほど真摯な瞳だった。その目がそっと眇められる。
「ダラーズに反目するようであれば静雄さん、あなたから消してさしあげてもいいのですよ?」
静雄は奥歯を噛みしめる。自分が間違ったことをしているとは微塵も考えていなかった。自分は正しい、正しい。ならば、「てめえをぶっ倒して、こんなこと止めさせてやる!」
躊躇うことなく自分の拳を、他人を屠る力のある拳を帝人に振り下ろした。
とん、帝人は軽く床を蹴ってバックステップで避ける。振り下ろされた拳は床を抉る勢いで、めぎりと嫌な音をたてて木片が跳ねあがる。ぎょろ、目玉だけを動かして静雄は帝人の澄まし顔を見た。後ろに跳んだ帝人は、その勢いのまま壁の上部を叩く。力のままにべこりと壁が凹み、梃子の原理で隠されていた鉄の棒が飛び出した。それを手に取る。二つに分かれていて、間を鉄鎖が繋いでいる。ヌンチャクのようなものだ。静雄は猛然と帝人に向かっていく。先程床を軋ませた拳が壁を抉る。今しがた帝人の胴体があった場所だ。真直ぐに伸びた腕に、帝人は勢いよく鉄棒を振り下ろす。常人なら骨が砕けるであろう一撃は、しかし静雄にはさほど効果を与えなかった。強靭な筋繊維と頑丈な骨組織によって、帝人の一撃は骨が軋んだだけに留まる。
「流石に、丈夫ですね」
「てめえこそ避けるのが上手いじゃねーか、普段のドジさは演技か」
「違いますよ、残念ながら」
凶悪な笑みの静雄。軽く答える帝人。これならばどうかと帝人は腰のホルスターから拳銃を抜き出して、即座に引き金を引いた。安全装置などとっくに外してあるそれは、乾いた音をたてて鉛弾を一直線に撃つ。違わずそれらは静雄を傷つけ、腕に脚に銃創を作った。しかし静雄は止まらない。一気に帝人との距離を縮めると、銃を握る左手を殴りつけた。
「……っ!」
流石にかわしきれなかった帝人の手から銃が飛ぶ。痛みに顔を顰めながら体を捻り、鉄棒での重い一撃をわき腹に食らわせた。流石の静雄も息を詰まらせる。が、軋む体を強引に捩じって鉄棒を無理矢理掴みぶん投げた。帝人は危険を察知して即座に手を離す。簡素だとはいえただでさえ破壊力のある武器、静雄の腕力で投げられれば言うまでも無い。
「流石の化け物っぷりですね」
「その化け物に挑んで、てめえ勝てるつもりか」
こんな部屋で、俺に挑んだのは間違いだったなと静雄は手足から血液をだらだら流しながら言う。一見すれば静雄の方が不利なようだったが、実際追い詰められているのは帝人の方である。何せ静雄の攻撃を一撃でもまともにくらえば、その時点で負けは確定したようなものだ。対する静雄は多少血を流したところで痛くも痒くもない。
しかし帝人は油断なく距離をとりながらにっこりと笑んだ。
「違いますよ」
笑顔は崩れない。
「この場所だから、私はあなたに勝てる可能性があるんです」
「……あ"あ"?」
怒りに駆られた静雄の人相は凶悪だ。