days of heaven
それでも、ジェームズと過ごしてきたこの2ヶ月超で心は劇的な変化を見せ始めていて、スネイプは凍ったはずの感情が揺れ動くことに戸惑っていた。何かが溶け出していた。
自分が自分ではなくなるような感覚は経験したことのないもので、どうしていいのかわからずに困惑している。なんでこんな気持ちになるんだろう。
ジェームズのことを考えるだけで心臓の鼓動が早くなり、何も考えないようにして何度も深呼吸をしてさえ気が落ち着かない。無音の世界からいきなり雑音だらけの世界に放り込まれたようだった。雑音はジェームズという存在が引き起こす自分の乱れた鼓動と乱れた呼吸が大半を占め、時々乱れた感情によって口走る意味不明な「ああ」とか「うう」といった言葉が残りの大多数を占めていた。
ここにジェームズがいなくて良かった。きっと挙動不審な行動をしている自分に首をかしげてしまう。
誰もいない談話室で本を読んでいた。図書館で借りた『流星の騎士と三日月の王女』。
恋愛物語だ。面白くもないがつまらないわけでもない。半分ほど読んでいても、いまだに自分が恋愛物語を読んでいることが信じられなかった。
国の英雄である騎士と地味でめだたない足の不自由な王女の恋の物語。手に取ることすらなかった種類の本の何が自分をこのような行動に走らせているんだろうと、本当はわかっているような気もするこの疑問に明確な答えを出すことは、胸の苦しさをさらに増やして後戻りができない場所にスネイプを追い詰めるに違いなかった。心を侵す圧迫感は甘く、ずるずると溺れていくような気にさせる。
いつも誰もいなかった自分の周りに人がいる。ジェームズがどんなときでも手を広げて存在している。その前で途方にくれて立ち尽くしてしまうのは、その腕や胸や存在に身をまかせてしまえるほど人を信じていないからだとスネイプは知っていた。
心はやっかいだ。頭も身体もジェームズに陥落しているのに心だけがそれを許さない。毎日少しずつジェームズに傾いて、もはや認めるしかないところまで来ている癖に抗い続ける。
「はぁっ」
スネイプは小さくため息をつくと本を閉じて立ち上がった。
部屋に戻ると机の上に手紙が届いていた。何気なく裏の差出人を見たときに胸が痛いくらいに波打った。ジェームズからだ。ノートの端に呪文を書き付けるときとは違って、丁寧に書いたことが一目でわかる整った青い文字だった。しばらくその手紙を見つめてから封を切る。
スネイプの手にしっくりなじむ小ぶりのペーパーナイフはジェームズがくれた。持ち手が樫の木でできていて、繊細な薔薇の模様が刻まれている。ことあるごとにジェームズは何かをくれる。薄荷のキャンディ、ヒヨコ型のインク壺、歩くと喋るスリッパ。
物が増えるたびにジェームズのことを考える時間が増えていく。いまやジェームズのことしか考えられないと言っても過言ではなかった。もしこれがジェームズの作戦ならば成功以外のなにものでもない。
封筒の中にはろうそくの絵が描かれたクリスマスカードと手紙が入っていた。真っ白な便箋1枚。自分のことは3行しか書いていないのに、ぎっしり文字が書かれた便箋はひたすらスネイプのことを案じ、労わり、気遣っていた。
風邪をひかないように。きちんとご飯を食べること。薄着をしない。気が向いたらいつでも遊びに来て迎えに行くから。ハンドクリームは欠かさずに。外出するときは手袋とマフラーをして。暗い中で本を読んではだめだよ・・・。
くどいくらいに注意事項ばかりで、きっと他人がこんなことを言われたら盛大に文句を言うのだろうが、自分のことを考えてくれる人に出会ったことのないスネイプは正直に胸のうちでひとつひとつ答える。
風邪には気をつけているし、食事もきちんととっている。薄着はいつも指摘されるからいつの間にか1枚多く着るようになったし、ハンドクリームもつけてる。外出する予定はないし、本は明るい部屋で読んでいる。家には行けないけど、誘われたのは嬉しかった。
ジェームズだけが喜びをくれる。そして、苦しみも。つらく、傷つくだけではない苦しみがあるなんて思いもしなかった。苦しいくせにそれが嫌ではないのも不思議だった。
スネイプは何度も手紙を読み返した。特にジェームズが近況を書いている3行は青い文字がまぶたに焼きついてしまうほど目で追った。
僕は元気だよ。それだけが取り柄さ。毎日寒くて嫌になる。大雪が降ったから家の前に雪だるまを作った。青い帽子をかぶせたのが僕で、緑の帽子はセブルスってことにしてる。仲良く手を繋いでいるんだ。こんなことで喜んでる僕って健気だろう?
ジェームズの言葉はいつもストレートで、なんの気負いもない。変に恥ずかしがりもしないし、当たり前のことを言っているだけという姿勢も崩れない。
僕はできない。ジェームズが言葉にすればするほど、どうしていいかわからなくなる。混乱する。手を伸ばす癖して心が抗うから体がちぎれそうになる。陸に揚げられた魚のように口をパクパクさせるだけで言葉が出てこない。何かを伝えたいのに。
ジェームズが『好きだ』と口にするとき、心が悲鳴を上げる。それなのになぜだろう、苦しくて苦しくて息も絶え絶えに悲鳴をあげながら、相反する目もくらむようような甘やかな気持ちが身体を覆っていくのは。吐く息の熱に浮かされながら、瞳が潤んでいくのは。本当に困ってしまう。
悲しみより喜びが多い生活は喜びより悲しみが多い生活以上にスネイプを疲れさせる。悲しみをやりすごす方法は身につけたけど、喜びを受け入れる方法は知らない。ジェームズはそれに気づいているに違いなかった。『いいよ、それで』と何も聞いていないのにいつもそう言った。
クリスマスカードの裏に書き付けてある文章に気づいたのは封筒にしまうときだ。いつものように、まるでメモ書きみたいに気負いなく書いてある。見逃されてもいいかのように、さりげなく。
『東はずれに湖があっただろう? 大きな木があるところさ。そこから湖沿いに歩いて6本目の木の下に君への贈り物を用意したよ。25日の朝から26日の夕方まで目に見えるようにしてある。嫌じゃなかったら取りに行ってくれないか。セブルスの都合が悪かったり、天気が良くなかったら無視してくれていい。次に会うときに僕が持っていくから』
ジェームズが帰省前に「宝探しゲーム、好き?」と聞いてきたのはこのことか、と思った。いつからこんなことを考えていたんだ。クリスマスプレゼントなんてもらったことがない。僕の世界にはそんなものすら存在していなかった。
一年365日、普通の日があれば良いほうで、暗い日ばかりだった。
3日後の朝、僕は湖に行く。たとえ、吹雪であったとしても。そんなのわかっているだろうに、こんな書きつけがあるということはきっと天気がいいんだろう。
僕だけのプレゼント。僕の。僕だけの。僕しか手にできない、特別な。
・・・ジェームズだけが喜びをくれる。
気が遠くなるほど嬉しかった。
休暇中とはいえ、校則は存在する。
よほどの理由がない限り、9時前に学校を出ることは許されない。もっとも出ようとしても門が開かないから出て行くことはできない。
作品名:days of heaven 作家名:かける