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days of heaven

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 枕に頭を預け、左手でそっと花びらや茎を撫でた。
 いつのことだったか、何かの拍子に純白のドレスに身を包んだ花嫁を見た。彼女はたくさんの小さな白い花を束ねたブーケを手に微笑んでいた。そのブーケが投げられた後、花嫁は1本のカラーを受け取っていた。たった1本。1枚しかない花びらのカラー。
 ブーケが華やかだった分、カラーはその場の楽しい雰囲気の中に埋もれてしまい、清楚ささえ消えて物足りなく見えた。
 しかし、花嫁が隣に立つ男性に何かを囁いた後、カラーにそっとキスをした。その顔がスネイプには忘れられない。
 優しく、柔らかい中にも芯が通り、輝いていた。女性とは美しい存在だと純粋に思った。それ以来、花と言えば真っ先に思い浮かぶのがカラーだった。
「セブルス」
 ぼんやりしていたスネイプの身体がふいにギュッと抱きしめられる。ジェームズの腕が腰に回り、横抱きにされていた。
「ちょ、ちょっと!」
 スネイプは驚き、腕を振りほどこうと身体をよじった。手を繋ぐくらいなら我慢もできるが、こんなに近くに他人を感じるのは気持ち悪くて身体がすくむ。触られたくない。震えるほどの嫌悪感に鳥肌がたった。
「いやだ!」
「驚かせてごめん。何もしない。このままこうしているだけ」
「やめて!」
 ジェームズの落ち着いた声にもスネイプは頭を振って嫌がった。心の底から恐怖がせりあがってくる。幼いころ身体を押さえつけられ、体罰という名の暴力を受けた恐怖が忘れられない。あんな目に遭うのはもう嫌だ。
 大人たちの嗤い声や嘲りが耳に甦ってくる。勝手に身体が震えて、頭が麻痺する。
 言葉も出ず、唸り声のような音を漏らしながら必死に腕や足を動かした。やめて、やめて、やめて! いや、怖い!
「嫌だ! 触るな」
 悲鳴のような声が喉の奥から出た。それが引き金となり、混乱は一層ひどくなる。動ける限りめちゃくちゃに蹴り上げ、息が切れるほど暴れた。それでも身体に巻きつくものは離れない。
 顔を押し付けられるようにさらに強く抱きしめられ、スネイプはほとんど半狂乱におちいった。頭の中で誰かのヒステリックな嗤い声が渦巻いていた。耳鳴りもする。
 誰に何をされているのかももうわからない。ただ身体に絡みつく恐怖から逃げるのに必死だった。息が切れる。
「セブルス、聞いて。僕の手は何かした? 君にひどいことを何かした?」
「いやだっ! やめて」
 どんなに暴れても離れない腕にスネイプは疲れだしていて抵抗も弱くなっていたが、諦めた先に待っているのは暴力だと身に染みている。鞭で打たれるのも、尖った靴先で蹴られるのも我慢できたが、すべてが終わった後に動くこともできないまま一人涙を流すのはひどく惨めだった。
 はぁはぁと肩で息をし、過呼吸で時にむせながらも暴れ続けるスネイプにジェームズは根気よく落ち着いた声で語りかけた。
「好きな子にひどいことをするわけがないだろう?」
 ジェームズはスネイプを抱えたまま仰向けに転がった。
「僕の心臓の音を聞いて」
 スネイプを身体の上に乗せてジェームズが静かに言う。
 体勢が変わったことにより、うまく暴れられなくなったスネイプは心が折れ始めるのを絶望とともに感じていた。心が屈すると身体が動かなくなる。これからどれだけ痛めつけられるのか。涙も出ない。泣いても状況は良くならない。泣くくらいならどんなことをしても逃げることに力をそそぐ。
「ねぇ、聞こえる? セブルス」
 ふいに誰かの声が聞こえた。動かなくなっていく身体とは反対に神経が張り詰め現実の音が戻ってくる。よくわからずに「やめて」と言った。
「どきどきしているよ。セブルスがブラウニーを喜んでくれた日もどきどきしたし、あれから『どちらでも』って言わないことにもどきどきしてる。本当に嬉しい」
 身体中に直接響くような声は自分がジェームズの胸に耳をあてているからだとスネイプは気づいた。すっかり抵抗力を失ったことによって、意識が戻ってきていた。
 あの頃の大人たちはいない。身体の震えは止まらないが、ようやく少し冷静さを取り戻して落ち着きはじめていた。
 とく、とくと心臓の音が聞こえる。ちょっと速いような気がして顔を上げた。乱れた黒髪を額に張り付け、ジェームスがスネイプを見つめていた。
 蒼い瞳を切なげにゆがめ、スネイプの頭を胸に押し戻す。大人しくスネイプは従い、震える身体にこの手は怖くないのだと言い聞かした。ジェームズの額に浮かんだ汗は暴れるスネイプをなだめた労力の証だった。
「ねぇ、セブルス。覚えていて」
 乱れた髪を整えるようにスネイプの髪をすいて、ジェームズが言った。
「僕のこの手も身体もセブルスのものだ。いつでも全部あげる。僕は本当にセブルスが好きなんだよ」
 ジェームズの白いシャツに頬を預けて、どこというわけもなく見つめていた視界がぼやけていく。スネイプは瞬きもせず、涙が溢れるにまかせた。
 やわらかなジェームズの声と胸の鼓動がスネイプのささくれ立った心を慰撫する。言葉と力で傷つけられた心の傷がそっとふさがれていくような気がした。
 暴力を振るわれたわけでもないのに簡単に涙が流れることに驚く。恐怖より労わられることのほうが泣ける。慰めに心が震える。殴られて哂われることはあっても気遣われることはなかった。
 涙は熱い。心も熱い。どうして優しくされるのかわからないまま、身体も頭も心も凍らす塊が溶けていく。ジェームズのシャツから立ち上る水のような透明な香りが気持ちを落ち着かせる。
「今日は嬉しかったな。セブルスはああやって微笑うんだね」
 背中を撫でながら、泣いているスネイプに気付かないふりをしてジェームズは静かに言った。胸元が濡れれば濡れるほど愛しさが増す。
 この涙が少しでもセブルスの心の闇を流してしまえばいいのに、と願った。
 端々に見えるスネイプの過去。逃れられずに苦悩して、諦めて、それでも抗う姿が哀しくて、愛しくてたまらなかった。哀しいと愛しいはあまりにも似ていて、時々ジェームズを苦しめる。やるせなくて、胸が痛くなる。
 守ってあげたい、すべてから。もう十分に傷ついているこの心を、身体を。
 ジェームズはスネイプを自分の下に抱き込むように体勢を変えた。驚いたように濡れた瞳を見開いたスネイプはそれでも文句は言わず、すいっと視線を横に流した。
 スネイプの額に唇を押し付けながら、ジェームズは心の中で語りかけた。
 ねぇ、セブルス、これは誓いのキスだよ。僕が君を守るんだ。これからずっと、永遠に。
 
 スネイプは暴れた後の疲労感にぐったりと身体を投げ出していた。相当に叩いて、蹴った感覚が体中に残っている。力いっぱい暴れた相手はジェームズしかいない。そこそこのダメージは受けたはずだ。
 それを一言も責めず、額に口付ける男の気がしれない。
 好きだなんて言わないで欲しい。与えられるはずのない言葉で張り詰めた心に穴があく。  
 暗い世界に光が差したら影ができる。光があるなら影には近づかない。ますます光を求めて求めて求めて、ある日光がなくなったら? 弱くなった心は簡単にへし折れるだろう。
「ねぇ、セブルス」
 ようやく唇を離したジェームズが上から見下ろしていた。
作品名:days of heaven 作家名:かける