百万世界の彼方と彼方
次に視覚が捉えた絵は見覚えのある物だった。自室の天蓋の中から見える絵だ。
辺りは暗く、窓からは月の光も差し込んではいない、曇った真夜中である。
「・・・・・・夢から覚めたか」
それとも風が止んだのか。意識は勿論、感覚も記憶もハッキリしていた。夢の中では無であった身体を動かすとどこかぎこちなく感じたが、間違いなくこれが現実であると実感する。
数回の深い瞬きと共に夢を反芻した。
「・・・・・・生きる意味…か・・・・・・」
何かを失った事によって解らなくなった彼と自分は酷似していた。突然母を亡くしたあの日以来、空虚を彷徨っていた今は遠い日々の中では、生きている事の意味など見つからなかったのだ。
目を瞑れば思い出される過去のある朝。
当たり前にあったはずの日常は崩され、権力を持つ者の死によって内乱が始まった。
母の死、親族の狂気、飛び交う殺意、無秩序に廃退した者達の嘆きと怒号。どれも恐ろしく悲しいほど記憶に残っている。そしてそれは同時に、国のための心身を奮い立たせる礎ともなっていた。
平和と安定を考えるのは簡単であっても実現させるのは容易ではない。しかし考えるだけで行動に移さない臆病者になりたくはなかった。当時はそのためだけに立ち上がった。
その内にただレールの上を歩くのではなく自分の足で行く道を決める事は楽しいと思った。そして数年後彼に出会う前、もう一人、心を突き動かす出会いがあった。―我らが若き英雄。その口癖の通り、やってみなければ、生きてみなければ解らない事があるものだと思い知った。
今この胸は、大切な彼の人と出会い、生きる目的も意味も数え切れないほど抱いている。
かぶりを振り、その彼に会うため天蓋をくぐった。
与えられた頃には不釣り合いだと感じた豪勢な部屋から廊下へ出ると、彼が居た。いや、居るはずだった。
警護している部屋から出てきた君主を目に入れても、忠実で寡黙な護衛は何も変わりなく、挨拶もせずに口を噤みそこに立っているのだ、本来ならば。
―ではなぜ、彼がいない?
視界が一瞬ぐにゃりと歪んだ気がした。
そんなはずはない、これは現実なのだと、幾ら言い聞かせても納得が出来ない。落ち着かない。何かがおかしいと彼を捜すために走り出そうとした途端、腕を掴まれた。
「そんなに急がれて、どこへ行くのです?」
侍女だ。穏やかな笑みも見覚えがある。故に、これは現実。そうだと思い込んでいただけだと気付いたのは、次に言われる言葉が分かってしまっていたからだった。「こんな真夜中にお出掛けになったら、お母様がご心配されますよ」侍女はそう言う。そしてそれを最後にこの女は屋敷から消えるのだ。未明に母を殺して、この目に母の顔を焼き付けさせて。
「なるほど…そういうことか」
決まった台詞以外は聞こえないのかそれとも聞こえないふりをしているのか。どちらでもいい、女はやはりこう言った。
「こんな真夜中にお出掛けになったら、お母様がご心配されますよ」
憎悪に心が軋み、顔が歪むのを感じた。
「まさかそれが君の優しさや侍女としての務めではなく、暗殺の邪魔をさせないための警告だったとはね。その穏やかな笑みもこれから成功する計画を考えてのものだったとは、当時の幼い私には思いも寄らない事だったよ」
女は目を見開いた。その瞳に映ったこの姿はやはり幼い。女はこちらを見下ろしている。天蓋をくぐった時、視線の低さに違和感を持つべきだったのだ。掌を見ると、見慣れたそれより一回りも小さく見えた。
幼いこの身、見覚えがあるのではなく既に懐かしくもある数々の物、繰り返し聞いたのであろう侍女の言葉、不在の彼。―気が付かなければ、一生会えなかったのか。
「これが一なる王の世界だと、誰もが幸せだと思える世界だというのなら笑えない冗談だ。確かに私はこの日幸せのまま眠りに就いた。それは明日の朝、母の死がなければ幸せだと思う事などなかったということだ!」
女の手を振り払い一目散に屋敷から飛び出し記憶に新しい城へ向かった。追いかけてくる者などいない。予定外の行動など出来ない世界が故に。
「私は違う。意味を見失ったのは過去の事だ」
言い聞かせるのではなくしっかりと思い出すために言葉を紡ぐ。いつの間にか体は元の姿に戻っていて、曇った真夜中から明るい陽差しに満ちた午後に変わっていた。それだけでなく、ライテルシルトから目的の城までは結構な距離があるというのに、数歩進んだ頃に視界を覆っていた霧が晴れるとすぐに城門が現れてくれた。最近では見慣れたその門は、108の星が集う場へ続いている。
―これこそが現実、夢の終わり。
足を踏み入れた瞬間、背後からあたたかな風が通り抜けた。振り返ると、探し求めた彼が相変わらずの無表情でそこに居た。
「ああ、ビュクセ君…君も来たのか」
それだけで泣き出しそうなほど愛しいと思った。それを知ってか知らずか彼は言う。
「あっちには…あなたが居なかった」
夢は終わった。紛れもない現実が余程の幸せを与えてくれる。
これを永遠として望むのは浅はかだろう。けれど、
「一生を永遠に例えるとすれば、望まずにはいられないな。私はね、ビュクセ君。君との明日が楽しみで仕方がないのだよ。・・・・・・それだけなんだ」
未来を待ち望む。信頼の元に命を託す。それはどちらも彼さえいれば、永遠な気がした。
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拝読ありがとうございました。次ページに本編を書いている内に没になった箇所があるのでしまっておきます。こっちの、ツァウの公式と同じ台詞がきっかけでこの話を書こうと思ったのですがどうにも雰囲気が違うのでカットしました。なので本編のシリアスムードが微塵もない上にめっちゃ中途半端なところで終わっています。単に会話の多い小話ですのでおkおk!って方のみご覧下さいませ。
作品名:百万世界の彼方と彼方 作家名:ふわ