レ・ミゼラブル
国のために作られた。
そう言われれば、自分の存在を誇るべきものだと思っていた。
人のために作られた。
そう言えば、ずいぶん綺麗な言葉に聞こえた。
戦争のために作られた。
その意味を理解しても、俺達は、あまりにも無力だった。
***
「はい」
湯気が立ち上るマグを置くと、ワシントンが顔を上げた。
珍しいことだと思いながら、その思考を止める。ワシントンが何を考えているのか、結局自分には分からない。分かるのは、彼が自分達とは違うものを見ているということだけだ。
肝心の何かが分からないのだから、何の意味もなかった。
彼から少し距離を置こうと、居場所を探して視線を彷徨わせた。
必要最低限の言葉しか交わさず、必要最低限以下の行動しか求めない彼と共にいる空間は、決して居心地の悪いものではなかった。
独りは怖いから、ここを出る気もない。けれど、彼と向き合うには、後ろめたいことが多すぎた。
「デスクワークなんて珍しいじゃないか」
結局、テーブルを挟んで座った。楕円形の、年季の入った鉄のカタマリ。自分達と同じはずなのに、何もかもが違う。
正面に座る勇気はなかったから、椅子2つ分左にずれた。
「IWO JIMAの占領計画が決定された」
「……ッ!」
目を見開くとは、たぶんこういうことだ。
顔を上げることなく。淡々とした口調で、ワシントンは告げた。
インクが紙を走る音が、ひどくはっきりと聞こえた。
どう言葉を返せばいいか分からない。
眉をしかめて、唇を噛む。喉が乾いて、視線が、足元を彷徨った。
「フォートレス」
視線を向けると、ワシントンはいつもどおりの表情でこちらを見ていた。
「ひとつ付き合ってはくれないか?」
彼の手元には、古びたチェスがあった。
***
白の駒を陣地へ。黒の駒を陣地へ。
一同に揃ったその姿は、どこか自分達に似ている気がした。
最後のポーンをマスに置く。
白が自分達なら。この黒は、きっとジャパンだ。
「自分のため、などとは思わないほうがいい」
あれは人間のための決定だ。
ポーンをひとつ前に。ワシントンが呟いた。
「…名目は僕のためなんでしょう?」
長距離機の補給地候補として、その島の名前は何度か聞いた。
硫黄島。ジャパンから少し離れた海に浮かぶ、あまりにも小さな島だ。
ポーンをひとつ前に。
ワシントンの顔を伺っても、やっぱりその真意の先は見えなかった。
「上層部が気にしているのはソビエトだ。ジャパンなど、単なる通過点にしか過ぎん」
硫黄島を足掛かりに。中国を経由してソビエトに。
確かに。その前線基地として、ジャパンはちょうどよい場所に位置していた。
「…それが、ワシントンの答えかい?」
資源の乏しいこの国を奪う目的など、それくらいしかないのかもしれない。
「………」
沈黙は肯定だ。
手を動かして、ポーンを進めた。
また血が流れるのか。
そう言おうとして踏み止まった。この計画があってもなくても、自分が行っても行かなくても、今この瞬間も、誰かの血は流れ続けている。
戦争とは、そういうものだ。
アメリカのために。自国愛のために。
最初はそれでよかった。
足元さえ見なければ、どこまでも高く飛んで行ける気がした。
見上げた空は、未来と希望。見下ろした足元は、過去と現実。
高く飛べば飛ぶほど。足元は、血と後悔で汚れていった。
ワシントンのポーンは、ずいぶん不用心なように見えた。
自分のポーンを進めて、盤上から下ろす。
そうすると、彼は何故かクイーンが動かした。
もしかすると、ワシントンはずっと前から気付いていたのかもしれない。
熱に浮かされて、見ようとしていなかった現実。
戦争は、なにひとつ綺麗事ではないことに。
「……やっぱり僕らに似てるね」
このチェスの駒。
そう呟いて、ルークを進める。
盤上の戦況は上々だ。
ワシントンが珍しくミスをしたから、手元にはすでにポーンが3つあった。
今日は、珍しく勝てるかもしれない。
そう思った。
「さっき。エンタープライズを見かけたよ」
時計の音が、正確に時間を刻んでいく。
自分のその問い掛けに、顔が上がる。こちらを伺うワシントンの目は、暗くて正直ぞっとする。
それでも聞かなくてはならない。自分のために。
「…パールハーバーで、……何があったんだい?」
Attack on Pearl Harborは、ジャパンの卑劣な奇襲作戦。
当時陸軍にいた自分は、上司が海軍の失態だと嘲笑っていたのを聞いた。
それまで否定的だった世論は、それを機に一気に戦争へと進んでいった。何もかもが、パールハーバーを機に急速に変わっていった。
違和感を覚えた時は何度かあった。
その度に、見ないフリをしていた。
「…本当は、…何が、あったんだい?」
ワシントンの視線が、一瞬だけ彷徨う。
カツン、と。駒が大きく音を立てた。