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玉木 たまえ
玉木 たまえ
novelistID. 21386
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あのひと(後)

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 急にニカリと男は笑った。その笑顔があまりに不意をついたものだったので、阿部の心臓はどきりと跳ねる。厚く覆っていた雲の隙間から急に差し込んだ太陽のように、まぶしくて思わず目を細めずにはいられない笑顔だった。
 こんな顔、見たことあったかな、と阿部は思う。記憶を辿ろうとするが、すぐにもやにぶつかってその向こうが見えなくなった。阿部の中の男の記憶は、ひどくはっきりしている部分と、けぶるような揺らぎに阻まれて見えない部分がある。今、目の前にあるそれは、そもそも全く見たことがないか、あるいは見えない方の記憶だった。
 突然男の手が前に向かって伸ばされ、阿部の頭を両側から挟んだ。仰天して目をしばたたかせる阿部の視界に、すぐ側まで近づいた男の首筋が飛び込んでくる。強く日焼けした肌が、薄く汗を滲ませてわずかに光る様まではっきりと見て取れるほどの距離だった。
 男は、阿部の頭に鼻先をつっこんで、わかった、と呟いている。阿部は、まるで髪の先まで神経になったように、男の口の動きを感じて背筋を震わせた。
「水泳やってたんだろ。プールの水のにおいがする」
 自慢げな口調でそう言う男を、阿部は押しのけた。引き剥がそうと触れた時の相手の腕の体温が、奇妙なほどに手のひらに残るのが阿部を落ち着かない気持ちにさせた。
「……ンだよ」
 彼は、不服そうな顔で、所在無さ気に腕を上げたり下ろしたりしている。
「痛いんです」
 本当の理由は違ったが、阿部は口に出しては別のことを言った。男は、子どものような口調で、えー、と言った。
「そんな力入れてねエぞ」
「投手の握力考えろよ。あんたは馬鹿みたいに鍛えてんだから」
「あー、タカヤは弱っちいからなー。ヤサシクしてやんねーと駄目なんだっけ」
 男は分かりすく挑発した。阿部は、優しくも強くもねえ、触んなつってんだ、と言いそうだったのを、すんでのところで堪える。男の後ろに連れがいることを思い出したからだ。
 ここにいるのが阿部と男だけならば、好きなように怒鳴り返していただろう。けれども、男の知り合いの前でそれをやるのは憚られた。ちらりと見ただけだが、彼の連れたちは揃いのエナメルのバッグを肩にかけている。まず間違いなく、野球部の仲間なのだろう。好奇心の的になるのはごめんだったし、何より、男が他校の後輩らしき人物に罵倒されている場面を見せる訳にはいかない。彼らにとって、男はエースなのだ。
 阿部は数歩後ろに下がって口を開いた。
「後ろの人たち、待ってますよ。これからどこか行くんじゃないんですか」
「あ? そうそう、これから俺ら、打ち上げなんだ。三年の部活が今日で最後だったから……」
 そこまで言ったところで、男の表情が急に険しいものに変わった。阿部がじりじりと距離を離していることに気が付き、途端に不機嫌でいっぱいの顔になる。
「おい、お前、何逃げようとしてんだよ」
 男は大きく足を一歩踏み出した。一息のうちに、阿部の元へとたどり着き、逃がすまいと腕を掴む。左の手のひらに込められた力は、先ほのの比ではなく強かった。阿部は痛みに思わず顔をしかめる。
「逃げんなよ」
「逃げるとか……、おかしいでしょ。帰るだけです。俺はもう用事がないんだから」
「お前、そー言って前も帰ったよな。俺、待っとけっつったのに」
 何ヶ月も前のことを持ち出して男は言った。部活動の一環で、試合を観戦しに行った時のことだ。フェンス越しに阿部を呼びつけた男は、試合が終わるまで残っていろと命じたのだった。
「なんで言うこと聞かねえんだよ」
「なんで聞かなきゃいけないんすか。関係ないでしょ」
 阿部はぶっきらぼうに言った。未だに阿部が自分の思い通りになると、男が何の疑いもなく信じている様子にうんざりさせられる。
「ああ?」
 男は低い声で凄む。ほとんど恫喝のような声音だった。普通であれば怯えてしまいそうなガラの悪さだったが、阿部は今更その程度で揺らぎはしない。男の強い視線を正面から受け止めて、負けじと睨み返した。
「榛名!」
 その時、さすがに見かねた、という様子で後ろにいた一群のうちの一人がこちらに向かって飛び出してきていた。榛名と同じ制服を着て、眼鏡をかけたその人物は阿部も見覚えがある。確か、武蔵野第一の二番手捕手のはずだ。二人しかいない二年生部員のうちの一人で、榛名とは出身中学が同じ……以前に見かけた新聞の記事が阿部の頭に浮かんでいた。
「何いじめてんだよ」
「はあ? いじめてねーよ! こいつが後輩のくせして俺に逆らうから、やさしーく注意してやってんだろうが」
「どっからどう見てもいじめてるようにしか見えないから言ってんだろうが! この、アホ!」
 そう言うと彼は榛名の背中を遠慮なくどついた。
「いってえな! 何すんだ秋丸!」
「お前、ただでさえでかくて人相悪いんだから気をつけろよ。あっちこっちで喧嘩売ってるって思われるぞ」
「あ? 俺のどこが人相悪いんだよ!」
「そういう顔だっつってんだろ!」
 阿部をそっちのけで二人は言い争い始めたが、すぐに秋丸と呼ばれた方の人物が我に返って言った。
「じゃなくて、離してやれよ。ほら、見てみろって」
 そう言って秋丸は榛名が掴んだままの阿部の腕を指し示した。指が食い込みそうなほどに強く握られた肌は、一番力のかかっている部分は白くなり、その周りは赤く染まっていた。我慢強い阿部でなければ、とうに痛いと悲鳴を上げられてもおかしくない。
 さすがに榛名もやりすぎていると自覚したのか、指の力をゆるめた。けれども、相変わらず阿部を離す気はないようで、大きな手は阿部の腕に触れたままだった。
「悪いね、うちの榛名が。痛かっただろう?」
 秋丸は穏やかにそう尋ねた。
「……いえ」
「あー、こいつぜってえ痛えとか言わねーから、んなこと聞いても意味ねえぞ」
 榛名は、阿部のことはすっかり分かっている、という調子でそう言った。なぜだか、少し自慢げな様子なのが意味が分からない、と阿部は思う。
「シニアん時だって、俺ん球どんだけ食らっても、一回も言わなかったもんな? すげー意地っ張り。んで、負けず嫌い」
 そこまで言うと、榛名は同意を求めるように、な、と言って阿部に笑いかけた。阿部は眉間にしわをよせて、榛名を睨むが、その態度が榛名はかえってうれしいようだった。先ほどまでの機嫌の悪さがうそのように、にこにこと笑っている。
 秋丸はため息をついた。
「言わないからって、痛くないわけじゃないだろう」
 その言葉に、阿部はなぜだかどきりとさせられた。隠していた部分を見表されたような心地になったからだ。
「ともかく、先輩たちも待ってるし、この子に用があるならさっさと済ませるか、またにしろよ」
 秋丸は榛名に後ろを振り返るように促した。彼らは、興味津々といった体でこちらを見守っている者もいるが、多くは手持ち無沙汰そうにその場に留まっている。榛名はさすがにきまずそうな表情を浮かべた。
 ようやく解放されるかと阿部は期待したが、ことを他人の予想通りに運ぶということをしないのが榛名である。阿部の腕を掴み直すと、ちょっと来い、と言って引きずるようにして歩きだした。
「なんなんですか、離してください。つうか、離せって、おい!」
作品名:あのひと(後) 作家名:玉木 たまえ