GIFT
俺はその後何度かグレン島を訪れた。火山の活動はもうすっかり落ち着いていて何事もなかったし、海もいつも静かに凪いでいたけれど、この場所から海を眺めているといつも考えがまとまらなかった。
まずジムリーダーの仕事を引き受けるかどうかを決めなければならなかった。
俺はまた旅を続けたかった。自分の身を固めることはレッドと同じ土俵をおりることのように思えた。そうしてしまったら二度とあいつに手が届かなくなるような気がして怖かった。怖いのは、それが今までの俺のすべてだったからだ。今まで俺の大部分を占めていたものを捨て去るのはとても勇気がいるしためらわれる。しかし、「あいつに勝てるかどうか」、いつまでも俺の行動の基準がそれだってことに自分でもうんざりした。結局俺はまだレッドにとらわれている。だがレッドはいまここにはいなくて、俺はその事実に折り合いをつけていかなくてはならない。
キャモメが数羽、キャアキャア鳴きながら上空を旋回している。
正午を告げるサイレンの音が遠くから聞こえてきた。太陽が真上にある。俺は考えるのをやめて家に帰ることにした。
*
家の前に降り立ってから、ピジョットの羽が灰で汚れてしまっていることに気付いた。
毛繕いしてあげる、といってくれた姉貴に甘えて相棒を預けた。
姉貴の顔を見て思ったが、自分の気持ちを抜きにして考えると、この仕事はかなり条件がいい。自分のすきなポケモンバトルで食べていけるわけだし、姉貴を安心させることもできるだろう。
俺は迷っていた。
どうしたらいいのかさっぱり分からない。そもそも自分がこれから何をしたいのか分からない。
昔はもっと迷いがなかった。だってこれまではレッドに勝つことだけを考えてくればよかった。そのためにはどんな努力だって出来たし、何もかも忘れてひたすら修行に打ちこめた。あいつという目標があったからだ。
そこまで考えて初めて気付いたことがあった。俺はあいつを導いていたつもりだったが、俺も同じく導かれ、助けられていたということだ。俺はレッドがいたから今いる場所まで真っ直ぐに来ることができたのだ。もしレッドと同時に旅に出ていなかったら、俺の旅の道筋はかなり違ったものになっていただろう。
俺は沢山のものを与えられたが、逆にあいつが俺から得たものは何かあったのだろうか。それは俺には到底分からない。あいつ本人にしか分からない。俺は与えられた様々なものをレッドに返したいなんておこがましいことは言いたくない。だが、あいつのおかげでいろんなものを得たということを俺は忘れないだろう。それは別に何か涙ぐましい理由があってのことじゃなくて、単にあいつに借りを作ったままなのが癪に触るからというだけだ。俺の意地だ。礼も言ってやらない。
*
自分はレッドに勝てない。どうしたって覆らないことがあると知ったことは俺にとっての初めての挫折だった。でも人間はうちひしがれてずっとそのまま過ごすわけにはいかなくて、未練とか無念とか自己嫌悪とかそういう気持ちを抱えながらもいつかは歩みださなければいけない。カツラのじいさんがそうしたように。
レッドは俺の前に立ちふさがるのと同時に、前に進むきっかけを与えてくれた。
今度は俺が、関わってゆく人々の前に時には立ちふさがり、時には何か些細なことでよいから手助けをできたらいいと思うのだ。
2階の自室に戻って、机の引き出しを開けた。リーグから届いた手紙にふたたび目を通して、所定の欄にサインをした。俺はトキワのジムリーダーになることを決めた。そのことを伝えると、エプロンを羽だらけにした姉貴は優しく微笑んだ。彼女はいつも俺の決断を穏やかにかつ冷静に見守っている。ピジョットの毛並みはとても美しく整っていた。