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聞かせろよ

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 空は晴れ渡っていた。海風は冷たいが、心を落ち着ける穏やかさがある。突き抜ける青に気持ちを沿わせ、月森は弓を構えた。
 放課後の屋上は、時折練習をする者も居るが、今は月森一人きりだ。階段を昇った一段高い場所で、港の景色を見詰めながら音の調子を合わせ、弾き始める。
 曲目は、先日の第二セレクションで弾いたものだ。今の時期ならば、第三セレクションの課題を練習すべきなのだが、月森はこの曲を選んだ。
 理由は、あえて考えるのも嫌だが、土浦の言葉の所為だ。
 聞きたいを請われて、悪い気はしなかった。ライバルの演奏ならば、気になるのは当然だ。一位を取った土浦が、前回一位の月森を意識するのはもっともだろう。
 だが、それだけなのだろうか。
 原曲を奏でながら、月森は意識の端に、土浦をイメージした。正確には、土浦の演奏をだ。
 自分にはない大胆さがある。それなのに繊細に感じるのは、中に含まれた情緒感が影響するのだろうか。
 月森は自分のヴァイオリンが乱れるのを感じた。
 普段の自分ではない。演奏が引きずられることなど今まで無かったはずなのに、自分らしくない演奏は止まることが無かった。
 第二セレクションの後、一人ステージで演奏した時とも違う。
 途中で止めようにも、気持ちが逸り、指は次の音を拾っていく。
「…………」
 一曲弾き終えると、妙な疲労感が残った。演奏自体に狂いは無い。ただ、自分の演奏という感じがしない。
 弓を静かに戻し、余韻に身を任せていると、不意に下の方から拍手が聞こえた。それに重なるタンタン、というゆっくりした足音は、傍の階段を一段一段昇ってくる。
 月森はヴァイオリンを下し、上り口を凝視した。
「また怖い顔してやがるな」
「……君か」
「勝手に聞いて悪かったな。丁度そこで寝てたんだが、お前、気付かないで演奏し始めるからついつい聴き入った」
「人に聴かせる演奏ではなかった」
「そうか?良かったと思うぜ」
「俺は納得していない」
 土浦は月森の拒絶をいとも容易く越えてくる。
「お前の目指す場所って、すげえ高いのな。ああ、言い合いは無しで頼むぜ。音楽に向かう姿勢について、今お前と議論する気は無い」
「では、何が言いたいんだ」
「聞きたい、って言っただろう?お前の曲。顔合わせると言い合いばかりだからな。偶には音楽で向かい合いたい。俺はお前の音が好きだよ。片肘張ってるようだが、綺麗で、強い。確かにさっきの音は、少しお前らしくなかったが、悪いと切り捨てるもんでもなかったぜ」
「聴かせるのならば、改めたい」
「じゃあもう一度、ここで弾いてくれるのか?」
「君が、そう望むのならば」
 土浦はじっと月森を見詰め、気さくに笑んだ。
「絶対嫌がられると思ったけどなあ」
「断ればよかったのか?」
「そうじゃないって」
「ではその代わり、君の演奏も聞かせてくれ」
 何故そんなことを言ってしまったのか、素早く誤魔化してしまいたくて月森はすぐに弓を構えた。
「いいぜ」
 土浦も、小さく笑って了解する。
「…………俺も、君の力を評価している。音を欲するのは、音楽を志すものにとって普通の欲求だ」
「欲求ねえ。……俺が欲しているのは、お前の音か?」
 演奏が始まり、土浦は口を閉じた。
 青い空に、細い音が重なり交じり合って広がっていく。
 高く高く、音が空へ飛ぶ。
 月森はステージの上とは違う緊張感に、心地良ささえ感じて演奏を続けていた。先ほどよりも人の目を意識している所為か、音が鋭くなる。
 普段の自分の演奏通りとはいかないまでも、不思議と気持ちが柔らかく、演奏を終えることが出来た。ヴァイオリンを下すと、土浦がやはりこちらを見詰めていた。
 控えめな拍手に、月森は顔を背けた。とても顔を合わせることなど出来なかった。何故か、を考えることさえ滑稽に思えた。
 月森は、土浦を意識している。
「月森」
「……なんだ。これで満足なのだろう?」
「いいな、お前のヴァイオリン」
「言いたいことがあるなら言ってくれ。君が素直だと、逆に対処に困る」
「いつでも突っかかってる訳じゃねえだろ。褒めてるってのに、可愛げがないな」
「……用事が終わりなら、俺は練習を続けたいのだが」
 月森は溜息をついた。やはり、いつもの土浦に変わりない。出来れば一緒に居たくないタイプの男だ。
「この後、練習室を取っているんだが、少し合わせてみないか?」
「俺と、君がか?」
「他に誰がいるんだよ」
 一方的な話に、月森はヴァイオリンを持ったまま、眉を潜めた。
「待て。なんでそんな話になっているのか、俺にもわかるように説明してくれ。確かに君のピアノを聴きたいと……、言ったが、合奏をするとは一度も」
「嫌か?」
「君は強引だ」
「返事をくれよ、イエスかノーか」
 強引な言い方に、戸惑ったものの、情熱的な視線に曝され、それから逃げるために、月森は頷き、了承した。
作品名:聞かせろよ 作家名:七月かなめ