可哀想のシーソーゲエム
「そしたら、二人が黙り込むんです。わけ分かんなくて、杏里を見たら『ごめんなさい』って謝りだして……。急に如何したのか聞いても、杏里はただ謝るばっかりで、だから帝人も何か云えよって思って、振り返ったら――。帝人は俺の言葉なんか聞こえないみたいにぼんやりして、繰り返すんだ、『僕がやらないと』って。何云っても聞かなくて、無理やりこっちを向かせたら、笑うんだ、面白くもないのに、無理やり笑ってみせるんだ。自分は平気だって、何も感じてないって云い聞かせてるみたいに……。ぶん殴ってやりたかった、嘘吐くなって。けど身体が動かなくて、声も出なくて……、其れで目が覚めました」
話終わると其れ切り、正臣は黙ってしまった。其れまで黙った儘聞いていた臨也は、俯く正臣にただ「ふうん……」とだけ云うと、ティーカップの中身を飲み干し、かちゃりと云わせて其れをテーブルの上に置く。其れから目の前に座る少年を、少々不憫に感じた。
「……縛られているね、君は」
臨也がそう云うと正臣は少しだけ顔を上げる、けれど前髪がまだ彼の顔を隠していた。
「君は縛られている、もっと自由に生きたいと思わないかい? 過去にばかり目を向けて、あの頃は良かったと思うなんて其れこそ辛いだろう。君達が此れまでどんなことを共有してきたか、其れは俺には分からないことだし、まぁ興味もないけど、此れだけは分かる。君は友情っていう目に見えない、実際存在するかも分からない不確かなものに縛られているのさ。もっと自由になりなよ、其の方が楽しいし、何より楽だ」
ペラペラと言葉を並べると、一度切り、最後に臨也は云い放った。
「捨てておしまいよ、そんなもの。ただの足枷だ」
云い切ると、臨也は目を細めて正臣を見据える。正臣は暫く黙っていたが、握っていたペットボトルを突然床に投げつけると喚くように言葉を吐く。
「あんたに何が分かるっ、何にも知らない癖にっ。あんたに何がっ……」
叫ぶように、吠えるように喚いた正臣を見て、臨也は眉一つ動かさずに黙っていた。確かに正臣の云う通りだ、臨也は何も知らない、正臣と帝人がどんなことを共に見てきたのか感じてきたのか、そして二人を繋いでいる友情というものも。
けれど、知らないからと云って欲しくは無かった、興味はあるのだけれど。臨也は正臣を可哀想に思った、そんな得体の知れないものに縛られて、苦しんで哀しんで悩むなんて、可哀想な子供だと思った。
――そう、まだ子供だ。
そう思うと、今にも噛みつきそうな様子で己を睨んで来る少年の眼も言葉も、何だか可愛らしく思え、本当はまだ意地悪な言葉を云い残していたのだが、其れをぐっと飲み込み、腹の中へ溶かし込んだ。
「お腹空いた……」
今までの話をなかったことにするかのように、臨也が突然そう呟いたので、正臣は一瞬訳が分からなくなった。一体何を云い出すのだろう、と訝しがっていると、「君、夕飯食べて行きなよ」とまた臨也が口を開いた。
「……沙樹が、待ってるといけないので」
そう云って遠慮すれば、臨也の顔に何時もの歪んだ笑み。
「あぁ、大丈夫彼女なら待ってないよ」
其の言葉に正臣が眉根を顰めるとすかさず臨也。
「彼女、波江とご飯食べに行ってるよ、君が独りで眠りこけちゃったからね」
今頃楽しく美味しいものでも食べてんじゃない? 最後にそう付け足すと、臨也は突然立ち上がり、正臣の投げたペットボトルを拾いつつキッチンへ足を向ける。其れから首だけ正臣の方へ向けると、「あぁ君に拒否権なんてないよ? 仕事中に居眠りした罰だ、夕飯くらい俺に付き合いなよ、孤食は身体に悪いからね」と云う。また前に向き直り、人差し指をちょいちょいと曲げて「ついて来い」と合図する臨也に、ふぅ、と小さく溜息を吐くと苦笑しながら正臣も続いた。
「何すか、此の冷蔵庫。殆ど何もねぇじゃん……」
冷蔵庫を開けて、正臣は呆れたように云うとシンクに身体を預けてニコニコしている臨也をちらりと振り返った。肉と調味料と少しの野菜はあるよと云う臨也に、「あんた栄養的な面で如何にかなりそうだな」と正臣は胸の内、密かに呟く。「何か作って」という臨也の無茶ぶりに、仕方なく正臣は何とかなりそうなカレーを作ることにした。
ジャガイモの皮を剥いていると、臨也が暇そうに、つまらなそうな顔をしているのが眼に入ったので、正臣は米ぐらい研いで欲しいと頼む。文句を云いつつ、腕をまくる臨也は楽しそうだ、其れを見て正臣は少し頬を緩めたが、聞こえてきた臨也の「あー」という抑揚のない叫びとシンクに散らばった米粒を見て、口をあんぐりと開けた。
「あんた、米もまともに研げないのかっ」
「え、だって何時も洗わないでいいやつ買ってたし」
「は? じゃぁ此れ何時も如何してるんだよ」
「波江が買ってきたやつだよ、此れ。彼女来てからずっとやってもらってるから知らない」
「あー、もー俺やりますから」
あっけらかんとしている態度に本格的に呆れ、臨也から米の入ったボウルを引っ手繰ると、正臣は残った米を測り直す。すると、臨也は云われたわけでもなく、ピーラーでニンジンの皮を剥き始めた。
「君、料理出来るんだね」
スプーンを口に運びながら呟かれた言葉に、正臣は「……別に」とだけ返した。本当のところ、正臣の両親は放任主義なうえに共働きであまり家にもいなかったものだから、食べたいものは自分で作るしかなかったのだが、正臣はわざわざ気持ちの良いものでもない思い出を語る気にはなれなかった。
静かな食卓だった。何を話したらよいか分からず、特に話すべきこともなく、正臣はだまって食事を続ける。臨也も臨也で、別に話すことが無かったので大きめのニンジンを皿の端へ除けつつ、黙って食事を続けた。部屋には時折かちゃかちゃと食器の音が響く。
如何して此の男と自分は卓を囲んでいるのだろう――
不意に、正臣の頭にそんな疑問が浮かんだ。利用されるだけされて、簡単に裏切られて。憎んでも憎み足りなかったし、怖くて仕方が無かった男であるのに、そんな男と食事をしているのは不思議な気がしてならない、ましてや食事をするどころか雇われの身である。幾ら自分がまだ子供で、自分たちだけでは生活が出来ないからと云っても、其れはやはり甘えなのだろうか? そんな事を思っていた時だった。
「誰かと料理して自分たちで食べるって、……初めてだ」
臨也がそう呟いたのが、正臣の耳に入る。臨也は方肘を付いて、スプーンでご飯を平らに延しながら独りごとのように話す。
「子供の時も調理実習とか休んでたから初めてなんだ、斯う云うの。調理実習とかさぁ、嫌だよねあんなの。小汚い何処の馬の骨だか分からない連中がきったない手で料理したのなんか食べたくなかったからさ、小学校も中学校も参加したこと無いんだ」
そういう臨也の話を聞き、正臣は思わず「いや、調理実習じゃなくても友達の家で一緒に何か作ったりできるでしょう?」と聞き返した。吃驚してしまった、正臣にとっては、友人たちと何か自分たちで作って食べたりして馬鹿騒ぎしたりなど、普通のことだったからだ。
「え、ないよそんなの。だいたいそんなの一緒にやるような仲の良いのなんていないし」
「は? ……高校時代とか」
作品名:可哀想のシーソーゲエム 作家名:Callas_ma