カエルバショ
「…つめて…」
急に額を襲った感覚に、ぼんやりとした意識が僅かに晴れる。
彼はのろのろと視線を上に上げた。
薄墨色の分厚い雲が、空を一面に覆っている。
天よりひとしずく。またひとしずく。
先刻よりついに泣き出したそれは、今の彼の心境をそのまま表しているような気がした。
「…降ってきたのか…」
誰が聞いているわけでもないがぼそりとつぶやく。
がんがんと響くようにひどい頭痛がした。
重い足を前に押し出した時、つま先に柔らかい何かが当たる。
見下ろすと漆黒の毛並みの馬が足を投げ出し、彼の足下に転がっていた。
「………」
小さくその名を呟き、身をかがめる。
この3年間、修羅場を共に駆けた戦友だった。
戦場では相棒のクルガンよりも長い間一緒にいた。
無茶な命令にも逆らわず果敢に敵兵に向かって躍り込んだ。
戦のない時は、毎日のように散歩に出かけ、新緑の中を彼を乗せ走った。
もう一度その名を呼ぶ。
致命傷だろう、首筋の一本の矢が、非情に天を指していた。
おそらく退戦途中に気を失った彼をここまで運び、力尽きたのだろう。
伸ばした手をだんだん強くなってきた雨の滴が叩く。
すでに息絶え冷たくなっているその背を、何度も撫でた。
「よくやったよ…本当に…よくがんばったなあ。」
ごめんな。
その言葉は心の奥底へ飲み込んだ。
軍馬として出会わなければ今でも草原の中を自由に走っていたのかも知れない。
彼の、願いのために犠牲になった友。
「ありがとうな。」
見開かれたその目をそっと閉じてやった。
低く馬のいななきと蹄の音が聞こえ、彼は顔を上げた。
雨に紛れて届く、冗談混じりの笑い声。
敵だ。
持ち前の鋭い勘が、戦闘本能がそう告げている。
彼は目を細めた。
未だに頭痛がひどい。めまいもまだ続く。
ふと腰に手をやったとき、いつもの愛剣がそこにないことに気付いた。
どこかで落としたのか。
しかし水滴を散らし彼は勢い良く立ち上がった。