カエルバショ
戦は長い激戦の末、同盟軍が勢いに乗ったまま勝利を納めた。
堅牢と名高いハイランド王国軍に守られていたルルノイエ皇都は歴史上初めて他軍に制圧され、僅かに残ったハイランド軍は最後の砦となるルルノイエ王宮へと籠城した。
明日にも同盟軍の精鋭部隊が突撃し、この長くめまぐるしかった戦争もようやく終わる。
ルルノイエの街中に構えられた同盟軍陣営へ帰還途中の騎馬兵士の二人は、彼等の所属する隊のリーダーであったゲオルグ・プライムに命ぜられ、陣営周辺の見回りに出かけていた帰りだった。
それまで馬上でひっきりなしに続いていた2人の楽しげな談笑が、彼の姿を認めた途端不意に止まる。
同時にゆるやかな馬の歩みも止まった。
「…おい…」
倒れた馬のそばに立ち、じっとこちらを睨みつける彼の姿に、二人組の騎馬兵士は顔を見合わせた。
あちこちに泥や血がにじんではいるが、赤の十字ラインが入った純白の長衣に、その隙間から覗く白銀の鎧。
細面で鋭い顔のライン、そして何より、その鮮やかな赤髪と炎の情熱に満ちた眼光。
どしゃ降りの冷たい雨の中で、彼の周りだけがまるで熱を持っているように感じられる。
「こいつは…」
彫像のように動かない彼の前で、二人組の騎馬兵士は再び顔を見合わせた。
そのうちの年長者らしいひとりが口をひらく。
「失礼だが、ハイランド皇国第四軍将軍、シード殿であられるか?」
その問いに低く答えが返る。
「そうだ。」
同盟軍兵士の二人が三度、顔を見合わせる。
これは、とんでもない手柄なのではないのだろうか。
ハイランド軍の中でも強敵と注意を促されていた第四軍を率いる一人である彼が、武器も馬も無くたったひとりでそこにいるのだ。
その上時々平衡感覚を失うようにふらつく様は、誰が見ても今の彼に戦闘能力が無いことを確信させる。
ただ、その中でも敵意だけが宿った強い瞳だけが、力を失うことなくぎらぎらと彼等を睨めつけていた。
「我らは同盟軍、ゲオルグ殿率いる騎馬隊の者。シード将軍、我らが陣営までご同行願えるか?」
英雄ゲオルグ・プライムが賞賛した、ハイランド軍の若き猛将に対して最大限の敬意を払って騎馬兵の二人は馬を降りた。
瞬間、動いたシードの姿は、二人には見えなかったろう。
僅かに上がった悲鳴に年長のほうの兵士が目をやると、彼の相棒の身体にのしかかり、その喉に向かっていつの間に抜いたか、鈍く光る短剣を振り上げるシードの姿が視界に映った。
「……!」
「待て!」
その時低く重い声が空間を切り裂いた。
絶対的な重量感を持つその声に、剣を抜こうとした兵士どころかシードの動きも止まる。
湿った土を噛む蹄の音と共に、一つの馬影が降り続ける雨をくぐって姿を現した。
「ゲオルグ隊長…」
上擦った同盟軍兵士の声に目をやり、僅かに頷くと一歩下がらせ、ゲオルグは未だ同盟軍兵士を離そうとしないシードの前に馬を進めた。
「小僧、その二人はお前に敬意を表して馬を降りた。それを解っていてのその行動なら、誇りあるハイランダーの名が泣かんか?」
その顔を認めたシードの眉が僅かにつり上がる。
良く日に焼けた浅黒い肌と服の上からも認められる逞しい筋肉がついた体つきは、誰が見ても戦人のもののそれだ。
少し長めの漆黒の髪と、精悍で意志の強そうなねず色の瞳。きゅっと引き締められた不屈の精神を思わせる口元。
その顔には男の過ごした年月の長さが刻み込まれているが、表情は若者すら凌駕する生命力とたくましさがある。
忘れもしない、先刻の戦で剣を交えた男だった。
「ふざけるな」
未だ足下の兵士を地面に押しつけたまま、シードは言葉を馬上の人物を睨め上げた。
「敬意だと?そんなもんで、このオレが貴様等に投降するなどと思ったかッ。オレへの最大の侮辱だと知れッ!」
吐き出すように怒鳴る若き敵将の姿に、ゲオルグは目を細めた。
燃えさかる炎のような男。
その瞳は、先刻戦場で剣を交わしたあの瞬間と全く変わっていない。
絶対的な不利な状況にも省みず、この戦の敗者であり、敗走者であるはずの彼は未だに闘志を剥き出しにしたまま彼を見上げている。
その、純粋な心と若さ。強さと言ったら。
「なるほど、お前の言いぶんももっともだ。」
愉快げに笑ったゲオルグに何か抗議しようとした同盟兵士を片手を上げて制し、ゲオルグはシードを静かに見下ろした
「だが、今そいつを殺してもお前には何にもなるまい。離してやれ。」
再びシードは顔を歪めたが、小さく息をつくとゲオルグから目を離さないままそっと同盟兵士から身体を離した。
途端に後ろ手に彼を捕らえようとしたもう一人の兵士に、ゲオルグの声が飛ぶ。
「やめろ。」
「しかし」
「やめておけ。敬意を払うなら最後までそうしたらどうだ。」
馬から降りながら、ゲオルグがシードに歩み寄る。
片手の短剣を握りなおし、シードは僅かに身構えた。
「小僧、今回の戦は同盟軍が勝つ。」
それを視界の端に納めながら、ゲオルグは腰の剣を鞘ごと外した。
そのまま地面に突き立てる。
鈍くくぐもった音をたて、彼の愛剣が鞘を鳴らした。
「明日には同盟軍の精鋭部隊が城内のハイランド軍を残らず討つ。お前達に勝利はない。解るな?」
ゲオルグは迷うことなくそのままシードに近づいてゆく。
背後に置き去りにされた剣に、シードはちらりと目を走らせた。