キス3題
沈黙はキスで埋める
最初に彼に口づけてしまったのははずみだった。
場所は帝人の部屋で、臨也が特に用もなく遊びにいって。言葉遊びのような会話の中のなにかが琴線に触れたのだろう、帝人が笑った。それがあんまり可愛く思えて、ついちゅっとしてしまったのだ。
唐突だった。された帝人はそれはもちろん驚いたが、した臨也の方はもっと驚いた。そんな、突然胸に込み上げるように誰かを可愛いと感じたことなどなかったし、考えるより先に衝動で動いてしまったというのもはじめてだったからだ。思い返せばあの時の自分は実にらしくなかった。自分のやってしまったことになんのフォローも出来ず、俺は今何をした、とばかり愕然と固まってしまった。それがあんまり普段の余裕或る態度とかけ離れた様子だったからだろう、帝人の方から「あの、臨也さん大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。頭が真っ白で、それに自分がどう返事したのか覚えていない。その後すぐ帝人の部屋を辞した記憶から考えれば、まあ適当にごまかしたのだろう。はっきり覚えているのは、帝人はキスのことにはふれなかったということだ。なにするんですか酷い気持ち悪い、とか、男にキスするなんてそういう趣味でもあるんですか、とか、そういう類いのことはおろか、なんでこんなことしたのかとも聞かれなかった。
仮に聞かれても困っただろう。君が可愛いと思ったから衝動的にやっちゃったー、としか言いようがない。そんなことを言えば「最低ですね。いくら人間が好きだからって、そういうこと誰にでもするんですか。キスが挨拶っていう外国人でもあるまいし」などと軽蔑の目を浮かべる帝人が目に浮かぶようだ。だからキスについてなんやかやと言われなかったことは幸運だったと思うべきなのだろう。そう頭では分かっているのだが。
(なんか、なんとも思ってませんって言われてるみたいで癪だ)
なかったことにされているのだろうか。男とのキスなんて数のうちに入らないとか。だから気にしないということかな、等考えるとやはり気に入らない。しかしなぜ癪だと感じるのか、そのあたり自分の気持ちを掘り下げると、ちょっと大変な結論に辿り着きそうで目を背けることにする。
二度目に口づけたのは、意図的だった。
臨也の事務所に帝人が遊びにきていて、けれど臨也は急ぎで片付けなければならない仕事が終わっていなかった。なので帝人を放って仕事に没頭していたのだが、ふと必要な書類が一枚手元にないことに気がついた。どこに置いてたっけ、と室内を見れば、帝人の近くにある書棚の一番上にファイルが置いてある。あれだ。「帝人君、悪いんだけどその本棚の一番上の黒いファイルとってくれるー?」と頼めば快諾してくれた。が、壁に備え付けの書棚はかなり高い位置まで利用できる仕様になっており、一番上は帝人の身長では届かないようだった。めいっぱい背伸びしてようやく指先がファイルの下の部分をふらふら擦っている様を目にし、こりゃ俺がとったほうが早いなと立ち上がる。帝人のすぐ後ろまで近づいたところで、帝人がファイルをなんとか引き出すことに成功した。が、思い切り引っ張った勢いで後ろによろめいたがために、それを支えた臨也の腕の中に帝人が収まるような形になった。
ーーーあ、ありがとうございます
そう言って首をひねって臨也を見上げた帝人の顔が、随分近いところにあった。あ、これキスできそう、と思うくらいに。それで思ったことをそのまま実行した。一回目はなかったことにできても、二回目はどうかなぁ、という気持ちもあった。帝人がどんな反応をするか見たかったのだ。
帝人はちょっと驚いたように目を見開いた。だけだった。すぐに臨也から離れて「はい、これですよね」とファイルをさしだした。それから臨也が仕事を終えて二人で夕食を食べに行ったのだが、帝人はいちどもキスのことにはふれなかった。
(わかんない子だよね)
臨也は嘆息した。初心そうだから、もっとギャーギャー騒ぐかと思ったのに。顔を赤くしてなにするんですかーと責めてくるかと予想していた。あっさりスルーなんて予想外もいいところだ。肩すかしをくらった気がして少々悔しい。
けれど反応が読めないのが面白いと感じる心もある。ちょっと口くっつけただけだから平気だったのかなー、舌入れたらさすがにびっくりするかな、と思いつく。
企みを実行に移すのは、なんのためらいもなかった。