そのあいのおもいで
「あなたがやっと生まれてくれたとき、嬉しくておかしくなるかと思いました。前のあなたは死んでしまって土に返ってしまって、あなたは嫌がるだろうと思ったけれど、あまりにも離れがたくてずっと隣にいたんですが……形がなくなって、虫に食われてだんだん小さくなって、端から溶けいって水っぽいものがなくなるともうあとはほんの少しの塊になって骨だけが残って、その骨も最後にはなくなって、その間ずっとあなたのことを考えていました。どんなことを話したか、とか、何が好きだったか、とか、あなたの声とか、笑顔とか、そんなことをずっと。それでも形があるうちはよかった。あなたが隣にいてくれると思うだけで幸せでした。些細なことで話しかけて、あなたがどんな返事をしてくれるか考えて、いつまでだって待てると思いました。またあの幸せな日々が続くのなら、このまま一人の夏と冬を何百回、何千回越えてもいいと思いました。それでも、少しづつ、あなたの骨もひび割れて、砕け、砂のようになって、風か何かに運ばれてなくなって、あなたがもう本当にどこにもいなくなったとき、どうしようもなく寂しくなりました。まるで最初からいなかったようになって、ただ私があなたを好きだという記憶だけがあって、……それしかなくて……それさえ時には私の思い込みではないかと自分を疑いながら、待っていました。とても耐えられないと思ったけれど、あなたが待てと言ってくれたから、待ち続けられました。何度も何度もあなたの言葉を思い出し、最後の言葉の意味を考えました。長い年月、自分のこともあなたのことも疑いながら、それでもいつか会えるとだけ思って待っていました。何度も不安になって、あなたが私を見つけられなかったら、私があなたが生まれたのを感じられなかったらと何度も不安になって、……いてもたってもいられず、いろんなところを探し回りました。でもどこにもあなたはいなかった。もしかしたら最初から再び出会うつもりなんてなく、あなたがいなければ立ち行かない私を慰めようとして嘘をついたのかとか、実はあなたの人生を奪ってしまった私を憎く思い、長年かけて懐かせ、復讐をするつもりだったのかとか……幾度も考え、不安になり、けれどそれを否定してくれる人がいないままひたすら待ち続けました。あなたが望んだように、人も食べないまま、いつかあなたにもう一度会えると、そうして、また昔のように一緒に暮らせるのだと、それだけを……」
顔を離して俺を見た柳生の目からは涙が冗談のようにするすると流れていた。眉を寄せ、涙をこらえようともせず瞬きも惜しいように俺を見つめていた。
「会いたかった。それだけで生きてきたんです。私にはもうあなたを信じるしかできることはなかった。一度は出会って、本当に死ぬまで私を愛してくれたあなたに、私ができることは信じることしかなかった。あなたの言葉に、気持ちに一つも嘘はなかったのだと、祈るように信じ続けて今日まできました。十年と少し前、あなたが生まれたと感じたときに、今までとはまったく違う確信に、こんな私ですが神に感謝しました。そしてそれまでとはまた違った気持ちで、一日を百年にも感じながら待ちました。今日こそ、明日こそ、あなたは私を迎えに来てくれる。そして私の名前を呼んでくれる。約束したように、また私に会いにきて、もしかしたら昔のように、悪いとも思っていない調子で待たせただなんて言って笑って、そしてまた幸せに暮らすのだと、そればかり考えながら待ちました。あなたが言ったことは、何でも従うつもりだったのに……ある日不意に、あなたの命が有限であることに耐えられなくなったんです。私と出会う日が一日遅ければ、一緒にいられる時間は一日短くなる。そして私はもしかしたら、このままあなたを失って、またあの気が狂いそうな時間を過ごすのかもしれない。そう思うとたまらなかった。またあなたに会いたかった。会って、そうして昔のように愛してほしかった。あなたに名前を呼ばれたかった。あなたの笑顔を見たかった。私の隣にいてほしかった」
「柳生……」
呼ぶと、柳生は俺の困った顔に気づいて涙を拭った。ぐいと乱暴にこするせいで目の縁からこめかみにかけて濡れた筋が走った。そして小さく俺に微笑む。
「けれどそうして出会ったあなたは、昔のあなたと同じ顔で、声で、私を知らないと言った。帰れと、絶対に一緒には行かないと……。それは、どうしても受け入れられなかった。私は、あなたと会うためだけに生きてきたんです。……その気持ちを強引に押し付けすぎて、ついに嫌われてしまったかと怖くなったのですが……でもいいんです。こうして思い出してくれた。仁王くんですよね。……私の、仁王くんですよね。ずっと会いたかったんです。ずっとずっとずっとずっと寂しかった。捜していました。待ち続けていました。会いたくて、あなたに会いたくて、ずっと待っていました。ねえ、仁王くん。一緒に行きましょう? 一緒に暮らしていた山はもうないんですけど、でも、あなたが好きそうなところは見つけてあるんです。何でもします。また、一緒に暮らしましょう?」
犬が主人を見るような。
俺は初めて柳生を見たときの気持ちを思い出す。
懐かしく、慕わしい、まるで主人を見るような目で、柳生は俺を見るのだ。それだけで以前の俺たちの関係性が窺える。人間でありながら、俺はおそらく精神的に優位に立っていた。柳生自身がいったように、その気のあるなしはともかくとして、俺は柳生を完全に懐かせていたのだろう。だから柳生は迷い、悲しみながらも数百年という時間を一人で過ごし、何の記憶もない、ある意味で自分の意のままにできる俺を見つけながらも、力に訴えることはせずただ自分のことを思い出してくれるように懇願し続けた。
もしかしたら柳生の中で俺は「仁王くん」ではなかったのかもしれない。姿かたちばかりが同じで、自分の愛し、自分を愛した人間ではないと感じていたのかもしれない。何百年が経とうと、たとえ顔が声が同じであろうと、代わりなど必要としない執着に恐怖に似たものを感じる。
誰かのために生きる、という言葉自体はよく聞くものだ。親と子の間や、男女の間でよく使われる。しかしここまで長い年月、ここまで強くたった一人のために生きるということが、できるものなのだろうか。人間と同じ気持ちを持っているなら、諦めることも飽きることもくじけることも簡単だったろうに、他に何も心惹かれるものもなく、長い時間に倦み疲れながらも人を愛し続けることができるものなのだろうか。
柳生は気の遠くなるような不安と寂寥の果てに、ようやく愛した人間を取り戻した喜びにまだ涙を止められないでいる。やっと会えた、と呟くように繰り返しては涙を拭う仕草にさえ、もう一人ではないという安心と喜びが見えた。
ずっと巡り合う日を夢見てきたのだろう。おそらくは、俺の死んだその日から。もう一度会って、そうしてまた幸せに暮らす。一度止まった時間が動き出す日を、死ねるなら死にたいというほどの孤独の中待っていたに違いない。
「仁王くん」
呼ばれる名前は今までとまったく違って聞こえた。