向いてない男 上
時を少し遡って、六年生が実習の説明を受けるために校庭に集合していたときのことだ。
普段とまったく代わりのない様子で仙蔵は伊作の肩を叩いた。
「組別対抗戦は久しぶりだな」
「そうだね。お手柔らかに頼むよ」
伊作もにこやかに応じる。組も違えば、委員会も違う、接点の少ない相手ではあるが、六年まで脱落せず、進級をしてきた同志だ。お互いに仲間意識があるから、仲はいい。
「ときに伊作、今期はだいぶ実習で、てこずったらしいな」
「そうなんだよ。今日の対抗戦で頑張らないと、来期を無事迎えられるかどうかでさぁ」
「それは大変だ」
仙蔵は意味ありげに唇の両端を上げた。
「今回、私はまずお前を狙うからな。開始早々脱落しないように頑張ってくれ」
一体、自分が何を言われたのか。
伊作が理解するまで、三呼吸ほどの間があった。
「えっ、えええぇぇぇ!!?」
「あっはっはっ」
「あ、なんだ、冗談……」
「まさか。本気さ」
仙蔵はけろりとした顔で即答した。
目を白黒させて、反駁の言葉を捜す伊作に、さらに不敵に一言。
「いい機会だ。卒業前に一度くらいお前の”底”を見せてくれ」
以上の会話は、六年生の集合場所で行われた。当然、他の六年生達と一緒に、留三郎も聞いていた。
「一体なんなんだよ、もう」
同級であるだけでなく、部屋まで同じ留三郎は、伊作の成績をよく知っているから、ぼやきたくなる気持ちはよく分かる。本当に、今期の伊作の実習成績は”ヤバい”のだ。
その上に、学年一の知略家に狙われて、心労を積み重ねているのである。不運の一言で済ますには哀れすぎた。
「あー、まあ、好かれてるんだろうよ」
「そりゃあ、嫌われてるとは僕も思ってないさ」
慰める留三郎に、伊作も気炎を収めて、肩を落とす。
仙蔵は気に入った相手に対して、過剰なほどからかい倒す傾向があることは、同じ六年生はみんな知っている。対して、嫌った相手は無視しきって、まるでこの世にない者のように扱うことも、よく知られている。
「仙蔵に言わせれば、知恵比べなら、お前が一番面白いんだそうだ。底が知れないとも言っていたな」
「それ、さっきも言ってたな。仙蔵は買いかぶり過ぎだよ」
「そうか?」
「そうだよ。実習に関しては落第しないので精一杯の僕に、隠せる底があるわけないじゃないか」
はあ、と伊作は嘆息する。その表情のどこにも、嘘はない。言葉も、心底からの言葉だ。
だが、留三郎は。
五年以上の時を共有し、言語に絶するほどの苦痛も、夜も寝られない苦悩も分かち合ってきて、本人以上にお互いのことを承知している、伊作の同級生は。
ちらりと、伊作の顔を見やると、ひんやりとした声音で、ぽつりと呟いた。
「お前の底が見たいってのは、俺も同感だがな」