向いてない男 中
まず動いたのは、文次郎だ。伊作へ向かって、地を蹴る。
苦無を構えている伊作に対して、まったくの徒手空拳である。
だが、伊作は逃げた。それほど、武術に関しては大きな実力差があるのだ。
「おい、成績がヤバいんじゃないのか、ヘタレ!!」
「だから、逃げるんじゃないかっ」
間違っても捕まらないよう、距離をとって逃げながら、伊作は怒鳴り返す。
そして、仙蔵のほうへ。
すでに抜かれていた仙蔵の刀と、伊作の苦無がぶつかり合い、青い火花が散る。その接触点を軸に、伊作は仙蔵と体を入れ替える。
そこへ、先ほど捨てた刀を拾った文次郎が駆け寄り、脇に構えた刀を、仙蔵の体を掠めるようにして突き出した。伊作の死角からの必殺の突きは、しかし、わずかなところで体には届かない。文次郎が近づいていることに気がついていた伊作は、すでに退いていたのである。
仙蔵はくるりと回転して、文次郎を前へと通した。
通された文次郎は、突きの勢いそのままに、伊作へと切りかかる。
文次郎の逆袈裟の一閃から飛び退って逃げた伊作は、すぐ脇の木の幹の裏へ身を隠す。そして、すぐ次の幹へ。枝から枝へ飛び移る栗鼠の様に移動しながら、文次郎との距離を測る伊作へ、横手から、拳大の影が飛ぶ。
間一髪のところで、身をかがめた伊作の頭巾をかすりながら、その影は、ごっ、と鈍い音を立てて木の幹にぶち当たった。だが、そのまま地へは落ちず、もと来たのと同じ軌跡をたどって、投擲主のもとへ戻る。
投擲主、仙蔵はそう悔しくもなさそうな顔で、「惜しかったな」と呟いた。
その手で、ひゅんひゅんと音を立てて振り回されているものに、伊作の顔色が変わる。
「それ、流星錘じゃないかっ!!」
流星錘とは、縄の先端に錘(おもり)を取り付けた武器である。遠心力を利用して錘を投擲するため、人間の頭蓋骨程度はやすやす打ち砕いてしまう。
「殺す気かっ!!」
「大丈夫だ。錘は綿でくるんである」
「意味ないだろ、それ!!」
鈍器は綿でくるんだ程度で、威力が減殺されることは無い。せいぜい、外傷が残りにくくなる程度だ。
無論、仙蔵もその程度のことは承知だ。
「まあ、死にたくなければ、頑張れ」
「ひ、他人事みたいに……」
「他人事だな」
死ぬのは伊作だ。
伊作の顔が強張ったが、仙蔵は平然たるものだ。酷いことを言ったなどとは、かけらも思っていないに違いない。
再び流星錘がうなりをあげて飛ぶ。次の狙いは、腕だ。それを避けて木の影を飛び出した伊作へ、文次郎の刃が迫る。