向いてない男 中
獲った、と意気込んだ文次郎の目に、透明な液体が叩きつけられた。
途端に、文次郎は網膜が焼かれているような痛みを感じ、視界が奪われる。
それでもなお、刀を取り落とさずにいたのは、流石と言うべきところだ。
油断無く刀を構えなおした文次郎の前から、伊作の気配が遠ざかっていく。しかし、文次郎は追うことまではできない。むざむざと逃げ去るに任せるしかなかった。
「いってぇ。なんだこりゃ」
「焼酎だ」
近寄ってきた仙蔵が、淡々と解答を口にした。
「焼酎~!?」
「伊作は持ち歩いているだろう」
そういえば、と文次郎はうめいた。
焼酎を持っているのは、傷口の消毒用だ。保健委員として、また、性分から怪我人の手当てをすることが多い伊作は、武器は携帯していなくとも、包帯と焼酎は常に持ち歩いている。
言われてみれば、強いアルコール臭が鼻につくし、液体が流れ込んできた口の中も、酒臭い。
「高濃度のアルコールは、粘膜に刺激を与える。伊作のやることだ、失明の危険は無いだろうが、目を洗っておけ」
「おう」
「これを使え」
自分の水筒を探して腰の辺りを探っていた文次郎の手に、竹の水筒が押し付けられる。
素直に受け取り、目を洗った文次郎は、まだ水が残る水筒を仙蔵に返そうとした。
しかし、仙蔵は笑って、受け取らない。
「それは伊作のだ。奴が置いていったのさ。後で直接返してやれ」
「なんだと!?」
実に嫌そうに顔をしかめた文次郎に、仙蔵が声をあげて笑う。
「なんで言わない!」
「言ったら、お前、罠だとか言って、使わなかったろう?」
図星を指されて、言葉に詰まった文次郎に、仙蔵は楽しくて仕方が無いといった風で、笑いを含んだ声で語りかける。
「敵だろうが、なんだろうが、伊作は伊作ということだ」
「あのバカタレ。敵に情けをかける余裕なぞないだろうによ」
「保健委員根性は生まれつきらしいからな。だが、それだけの奴でもないだろう」
仙蔵は、ふふっ、と人の悪い笑みを、口元に刻んだ。
「私はな、文次郎。伊作の中には、慈愛や不運で隠されたもう一つの顔があるような気がしてならないんだ。なんとしても、その顔を引きずり出して見てやらなくては気がすまない」
「買いかぶりすぎだろ」
「さあ、どうかな」
仙蔵の表情には、己の言葉への確信が満ち溢れていた。それを認めた文次郎は、全否定の意味をこめて、ふん、と鼻をならす。
「こんなところでくっちゃべってる場合じゃねえ。遠くに逃げられないうちに追うぞ」
「いや、そう遠くへは逃げないだろう。近場で仕切り直しを狙うはずだ」
「何故だ」
「本人が言っていたろう。最低でも一枚は木札を取らないと、落第だ、と」
ならば、留三郎に木札を持たせて逃がした以上、木札を取られる心配のない伊作が積極的に攻撃を仕掛け、札を奪いに出なくてはならない。
そう説明して、仙蔵は明らかな喜色を目に浮かべ、口調には哀れみをのせて、のたまう。
「あいつに逃げ場はないのさ。この実習にも、忍びとしての道にも」