【こたつる】儚くも虚ろわざる想いあれ【連載中】
じ、と己の思考に固まった一瞬の後、目の色を変えた風魔は其の身を黒羽に包んで駆けだした。
「…? お馬さん、どうかしました?」
両手一杯に色取り取りのキノコを抱えながら、突然唸り声を上げる虎に向き直る。
虎は彼女の前に立ちはだかり、前方を見据えながら歯を剥き出しにして唸り続けていた。
「お馬さ、きゃ!!」
突然、目の前で何かが爆発したようで、衝撃により鼓膜が麻痺したのか静寂が押し寄せる。
噴き上がる土埃の中、首根っこを銜えられ柔らかな背中に乗せられる。
思わず其れにしがみ付けば、目にも止まらぬ速さで虎が駆けだした。
何が起きたか分からず、それでいて風圧で目も開けられず恐怖ばかりが身を襲う。
見えない、怖い、死にたくない…!!
「たす…け……っ!!」
唐突に身が浮くのを感じた。
うっすらと視界の端で虎の毛が紅に滲むのが見え、其れに向かって手を伸ばす。
あれなら、まだ……!
次の瞬間、急激に回復した聴覚が捉えたのは、更に苦無を埋め込まれた虎の絶叫だった。
「いやああああっ!!」
届かなかった掌が空を切り、押し寄せた感情の波に耐えきれず、意識が暗くなっていく。
地面に叩きつけられる寸前、最後に鴉の羽が見えた気がした。
ふむ、と腕の中に堕ちた彼女を抱えるとどうやら気を失っているようだ。
都合が良い、と思ったのはおそらく気の迷いだろう。
別段、見られて困る事など今更無い筈なのだから。
それにしても、こんな無力な少女一人に対して囲む気配の多い事だ。
八方から己に向けられる殺気の多さは、それだけ彼女の価値の高さを示すと云う処か。
どこから情報が漏れたか分からぬが、いつまでも隠し通せるとも思っていなかった。
此れよりを考える契機に丁度いいだろう。
キン、と鋭い金属音を放つと同時に、一陣の風が葉を斬り裂いて行った。
暗闇の中にいる夢をよく見る事があった。
それは恐怖では無く、何処か温もりを与えてくれる物で、いつまでも其処で眠っていたい程で。
しかし、其の闇は眩しい光に消えかけていく。
消さないでと叫んでも、手を伸ばしても届かず、遂には光の中に己は一人きりで取り残されるのだ。
ふ、と目を開ければ見慣れた天井の木目が目に入って来た。
少し紅く染まる其れは、既に夕刻である事を知らせ、ぼう、と覚めきらぬ頭で視界を巡らし、ようやく先の事を思い出した。
「お馬…さんっ……」
枕にぎゅう、と顔を押し付けて溢れ出る雫を染み込ませれば、背後で微かに風が起きた。
声を出さなかったと云うのに、彼の耳には届いてしまうのだろう。
そろり、と体を向ければ、やはりいつものように無表情の風魔が座っていた。
「死んじゃったのですか…?」
先の見える彼女にとって、それが確認なのか、其れとも願いなのかは風魔には分からなかった。
コクリ、と頷けばやはり、ぼろぼろと涙を溢れさせ小さく何か呟いていた。
今回の事で、此処に彼女がいると云う事がどういう事なのか、目に見えて明らかとなった。
先程の忍の数だ、全て戻ってこないとなればあっという間に調べも付いてしまうだろうし、方々の武将に伝わってゆく可能性も高い。
いくら小さな波紋でも、一度起きたら大きくなるのは早いのだ。
自分は雇われの身である故、雇い主が知れば彼女を利用しない手は無いだろう。
己は忠誠を誓う武士では無いから進んで主の役に立つ為に動くと云う事も無いが、金を積まれてる限り裏切るつもりもない。
だが、此のままでは確実に謀反であり、下手をしたら忍どころか名のある武将に狙われるやもしれない。
彼女一人の為に一介の忍が国を相手にしようなどと、愚かなこと極まりない。
差しだすのが、己の為には最善の策であると分かっている。しかし。
「宵闇の方…」
ふと、視線を戻せば彼女が小さな掌を己に伸ばして何かを訴えていた。
何事だろうかと、そのまま事態を見守っていると、両腕で己の手を取って小指を絡めてきた。
「……?」
「おまじない、です」
彼女は引っかける様に小さな指で掴んだ小指を、何回か振ってからゆっくりと離し笑った。
「いつか、また会えますようにと」
まるで、永訣かのような物言いの訳を知る事になったのは、この日の夜の事であった。
作品名:【こたつる】儚くも虚ろわざる想いあれ【連載中】 作家名:アルミ缶