【こたつる】儚くも虚ろわざる想いあれ【連載中】
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古来より、此の国の御伽草子に天より出でし姫の物語がある。
幼きに拾われた彼女は、様々の習いをし、大層に麗しく育ち、それはもう何人もの殿に見染められた。
しかし、元より此の世に生かざる者であり、其の様な身を長年と留めていられるものではない。
彼女は数多の未練を残しつつも、彼の国に帰る事を選び、其れまでの記しと引き換えに大事を守ったと云う。
取り残された人共は、各々に哀しみに憂いその胸の内を詩に残した。
しかし、彼女は如何な末路を得たかは描かれていない。
果たして想いを失った姫には、もう何も得る事は出来なかったのだろうか。
其の夜、風魔は風の気配がしない事に気付き身を強張らせた。
風は其の向きや香りで異変や、人の気配、季節の移ろいなどを直ぐさま教えてくれる。
事が動けば、空気が揺らぐ。故に風が吹かないなど、此の世においてはあり得ぬことである。
つまり、変わらぬ屋敷の景観のままである此処だが、既に常世から切り離されたと云う処か。
「宵闇の羽の方…?」
険しく外を睨む雰囲気に気付いたのか、彼女が袖を掴んで不安げに見上げてきた。
どうやら身軽な所はあれども、気配などの感じ方は常人並みなのかもしれない。
先見という言葉に全てを見通すのかと思っていたが、どうやら見えない物もあるのだろう。
しかし、やはり己に今から何が起きるかは予知しているのやもしれない。
小さな手で懸命に風魔の袖を離さんとしながら、言えない言葉に唇を噛み締めている。
「来てるのですか…?」
誰が、と云わないのは其の者等について分かっているらしい。
コクリと頷くと、そうですか、と小さく呟き布団から出て風魔の前に姿勢を正す。
また、彼の時のように歳に似合わぬ冷静さを醸しだしながら、指を付いて頭を深く床に下げた。
「御厄介に数多の無礼、お許し下さいませ」
瞬間、風魔は心の中に暗雲が立ち込めるのを、やけに頭の冷静な部分が理解していた。
「でも、……すみません。お礼を申し上げるのは……嫌なんです…」
何故、彼女は己なぞに謝るのだろうか。忍に礼も無礼も無いであろうに。
何故、震えた手を床に付いてるのか。震える理由が何処にあるのか。
何故、涙を流すのか。泣かずとも、
既に目の前に自分は居るではないか。
やけに、簡単な答であった。
そう、己は忍であった。慈悲も忠誠心も、誇りも地位も、何も持っていない忍なのだ。
ならば、これからする事は誰の為でも無く己の為である。なんとも忍らしいではないか。
風魔は寝着の彼女を引き寄せると、そのまま片腕に抱えて部屋を飛び出した。
一瞬の出来事に目を瞬かせた後、彼女は慌てたように、いけません! と叫んだ。
きっと、まだまだ語彙の拙い彼女にしては大層に的確な助言であったのだろう。
忍ごときが、お告げを得るとは、と思えば何とも可笑しくて知らず口元が引き上がる。
その表情を初めて見た彼女は、目が飛び出るのではと思うほどに驚いていた。
「姫御膳」
キン、と何かが響いた様に感じ足を止めれば、目の前に斎服に身を包んだ男が立ち塞がっていた。
忍の足に付いてこれるとは思えない身の様子であれば、やはり既に彼等の術中に己はいるのだろう。
「氏子、様…」
ピクリ、と肩を揺らして応えるのを見れば、やはり彼女の迎えの者である。
「帰りますよ、姫御膳。もう宜しいでしょう」
「…はい」
小さく頷くと、腕から降りようと体を捩じるので、風魔は更に腕に力を込めて彼女を抱く。
「宵闇の御方、何を…」
「………」
それには答えず、もう一方の手に苦無を掴んで腰を落とす。
「姫御膳を渡さないおつもりですか?」
「……」
「姫は此の世において、どれだけ大事な存在か貴方は分かっているのですか? 其れを、貴殿の浅慮で失わせる気ですか?」
彼の云う事は、酷く当然で正し過ぎて、あまりに予想通りの抗弁に心の内で失笑が漏れた。
そんな事、百も承知である。此れは、己の為の我が儘である。
ありがとうと一言を、最後だけ言いたくないと抗った彼女に、其れを許してやりたかったのだ。
「申し訳ないが時間も惜しい」
シャン、と鈴の音がしたかと思えば、唐突に旋風が巻き起こり彼の腕や袖を切り裂いて行く。
此れが自然の物であるなら、風魔にも分が良いが、異世の物となれば扱う事も出来ない。
苦無が効かぬと分かるや、土を蹴って瞬時に術者の目の前に降り立ち其れを凪いだ。
「無駄ですよ」
耳元で囁かれた様に感じ、振り向きざまに腕を奮えば突然の常闇に中に引きずり込まれた。
視界を得ずに闘う事には慣れている。浅く息を吐きながら気配を追って、キン、と寸前で刀を防いだ。
瞬間、其の身に覚えのある気配にギクリと背中を強張らせる。
誰の物でも無い。
此れは間違えようも無く、己、風魔小太郎の気配であった。
「映し身…!」
腕の中で、やはり其れに気付いたのか彼女が絶望的な声を出す。
なるほど、自分と戦えとは厄介な事だ。
自分の知ってる己という存在は、命請いも、情けも、それこそ女子供関わらず殺していく。
常に冷静、的確な道を探し、目的のためなら手段を問わない。
今の、彼女を片手に抱えて、しかも己の欲に振り回されている此の状況では敗れるやもしれない。
「もう、いいんです…もう、止めて下さい…!」
全く持って、その通りである。止めておけばいい物を。
元より、初めから間違っていたのだ。
あの時、彼女なんか放っておいて、いつもの様に真っ直ぐと退散してれば良かった。
そうすれば、こんな目には合わなかった。
「……っ!」
避け切れなかった苦無が脇腹を掠め、切っ先の毒に一瞬動きが鈍った。
間髪入れずに斬り込む己の刃先を少しだけずらして振り上げた踵で勢い良く頭を蹴りつける。
いつもなら、この様に無様な戦い方などしないと云うのに。
姿を消した彼の気配を五感で掴みながら、微かに音がした方向とは真逆を振り向いて苦無を止める。
どれも寸前、むしろ押されてると言えるが、やはり、自分の癖は自分がよく知っているだけある。
数歩動かぬうちに相手の技量を測り、その者に合わせて騙し打つのが己の常套だ。
気配で動きを見る者には、態と分身の気配を掴ませたり、武器の扱いに慣れている者には間合いを小さく取って体術を使う。
自分が相手なら、こうするという攻撃が其のまま来ている。
しかし、相手に読み取れるほどの攻撃を続けていては時も無駄になり忍としての役目に障る。
つまり、次は己の弱点となってる彼女を徹底的に狙ってくるだろう。
案の定、間合いが狭まり二刀に対して一刀では防ぎきれず、避け切らぬ刃先が肩を腿を切り裂いていく。
息が徐々に上がり、服も紅くボロボロになり、血にぬめる手が何度も空を切ってしまう。
「もう、止めて…宵闇の御方を、傷付けないで下さいっ…!!」
途端、常闇が晴れ、元の霧に包まれた森林が顔を覗かせる。
しかし、思っていたより負担を喰らっていたのか、膝が折れそのまま地に伏せてしまった。
「宵闇の御方っ!!」
彼女は首に縋りつき、ごめんなさいと繰り返しては何度も何度も掌で傷を押さえ付けた。
作品名:【こたつる】儚くも虚ろわざる想いあれ【連載中】 作家名:アルミ缶