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かなしさは蒼に逝く

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 鈍い、と言う言葉で足りるか知れない程、ヒイロは他人に、そして自分にさえ無頓着で、周囲と言う周囲を意図的に遮断する傾向がある。
 ヒイロにとって、俺は”顔見知り”程度かもしれない、そう思って鬱になりそうな時も多々あった。
 ただ、そうまでしても結局は、一向に冷めてはくれない想いを募らせるだけなので、諦めて腰を据えようと覚悟して、既に久しい。
 故に、どれだけ無碍にされて(多少)傷つこうが、俺自身のスタンスは崩さなかった・・・つもりだ。

 それが、これはどうだろうか。
 思い当たる節があるとしたら、明らかに様子がおかしくなった、午後。
 あの、ヒイロに宛てられた白い封筒が、彼の眼に触れてからだ。
 彼の中で何があったのかは分からない。が、確実に要因の一手を担っている。
 証拠に、彼の手には、少し寄れて皺になった封筒と便箋が握られていた。



 沈黙が、落ちる。
 ただでさえあまり物音がしない室内で、呼吸音のみが木霊する。
 部屋を訪れたヒイロは、ソファに座ってから、一言も発さない。
 何処となく重い空気の中、何か切り出すべきかと悩んでは、口を閉ざす。
 手持無沙汰なこの状態で、チラリとヒイロに目を遣るが、彼はその視線に全く気付いてはいない。
 常通り無表情、しかし微かに、苦悩が交る、貌。
 少し寄せられた眉が眉間に皺を作っている。
 心の中で溜息を吐き、こうなればとことん付き合うか、と、覚悟を決めた。

 そうしてどれだけが過ぎたのか。
 時間の感覚も無く、そろそろ夜の帳が降りる頃。漸くヒイロが口を開いた。
「・・・・・・・・・お前、以前俺に・・・」
「うん。」
 低く良く通る声が、部屋中に染み渡る。
 ヒイロ色に彩られたような錯覚さえ起こした。
「・・・”大切なんだ”、って、言ったな。」
「―――――――――・・・・・・あぁ、言ったな。勿論覚えてる。誰かさんは笑い飛ばしたけどな。」
 渾身を込めての一言だったにも関わらず、当の本人には「くだらない」の一言で流された。
 あの時は、あまりに自身を顧みないヒイロに腹が立って、哀しくて、辛くて。
 己の感情にすり替えて諭した言葉は、彼には届かなかった。
 当然かもしれない。どう考えてもエゴだ。
 彼の痛みが自身の痛みになる訳が無い。まやかしも良いトコだ。
 だが、どうしても分かって欲しい事があった。
 彼の為、などと口が裂けても言えない。それこそ、本当に俺自身の為に。

「それは、今も変わってない。俺にとってヒイロは大切だ。特別だよ。」
 自分の判断は、誤ってはいないだろうか。
 選択を1つでも誤れば底なし沼だと分かっているから、どうしても紡ぐ言の葉は慎重になる。
 気持ちを伝えると言う事が、こんなにも歯痒いものだったなんて、今まで思わなかった。
 口八丁は得意だけれど、胸の内を、溢れる想いを、ありのままに差し出すには、手段が少な過ぎた。
 逃げるのも隠れるのも常套手段だが、この局面だけは、どうしても避けてはならないと思った。
 伝わる、とはあまり思えないけれど、それでもいつでも彼に対してだけは正直でありたいと思った。
 瞳は、逸らさない。

 フッ、とヒイロが微かに息を漏らした。
 知らず知らずに張っていた肩の力が、少し抜けたようにも見られた。
 ヒイロも、緊張しているのだろうか。俺と同じように。
 考えれば、ヒイロがこのように自身の胸の内を吐露しようとする機会など、後にも先にもそう無い事なのだろう。
 彼の言いたい事はまだ分からないけれど、自身の精一杯で、答えたいと、思った。
「・・・やっぱり、信じて、貰えて無かった?」
 微苦笑が洩れる。分かってはいたけれど。
 その一言に、ヒイロに再び少し陰りが出来る。
 今度こそ選択を誤っただろうか、と後悔しかけた時。
「信じる、信じない、と言う話じゃ・・・無い。」
 返る声は、細くなった。
 頼りないものに感じて、不安になった。
「お前の言葉を、疑ってる訳では、無い。お前はいつでも、真直ぐだった。」
 ヒイロの組んでいる両手に力が籠る。
 必死で何かを押さえつけているようにも見えた。
「信じられない、とか、そう言う話では無い。俺が、俺自身が!欠落していたから・・・!!」
「ヒイロ!?」

 傍目から見ても、ヒイロの体は震えていた。
 瞳は曇り、爪が皮膚に食い込むのではないかと思う程、握る拳に力を込めている。
 泣きたくても泣けない、情緒不安定な子供のようだった。
 否、そうかもしれない。
 俺は急いでソファから立ち上がり、震えるヒイロの身体を抱き締めた。

「大丈夫、大丈夫・・・落ち着け。な?」
 暴れても絶対放さない。背に回す腕へより一層力を込めた。
 予想に反してヒイロは一切の抵抗を見せず、伝わる震えだけが、ヒイロの精神状態を知る術となってしまった。
 顔が見えない分心配ではあるが、今は兎に角、落ち着いて貰いたかった。
 次第に震えも治まり、ゆっくりと体を離すと、幾分か冷静さを取り戻した双牟とかち合った。
「・・・済まない。」
「うんにゃ?どうって事ないぜ。」
 瞳を見詰めたまま、優しく語り掛ける。
「お前が辛いなら、先は良いよ。いつでも聞くから。休むか?」
 ヒイロは首を振った。縦では無く、横に。
「・・・ヒイロ?」
「良いから、聞いてくれ。」
 ギュッ、と俺の袖を攫むヒイロの仕草は、本当に幼い子供に見えた。

「俺は、その言葉が、意味が、分からなかった。理解出来なかった。俺なんかを大切だと思うお前が、分からなかった。」
「・・・・・・」
「どうしたって自分を大切には出来ない。自身に存在価値すら見い出せない生ける骸のような俺だ。
 どれだけ思われたって、返せない。返し方が、分からない。返せない位なら受け入れなければ良い。
 何も聞かず、何も見ずに、自分は1人だと、そう言い聞かせている人生は、楽だった。」
 ヒイロの瞳は、暗い。だが、揺るぎは無い。
「与えられても返せないから、お前の想いは、重かった。
 吸い取るだけで発散出来ない。次第に重いが増して、溺れ死ぬかと思っていた。
 そうしない為に、壁を作った。誰も、関わらなければ良いと。
 それまでそうして生きてきたのに、お前の言葉でその壁が揺らいでしまった。
 俺は、俺自身の事が、もう信用出来ない。」

 心の奥に鈍い痛みが走った。
 ヒイロを追い詰めているのではないか、と言う予感はあったが、ヒイロの中で自身の思いを拒絶される程だとは思ってもいなかった。
 諦めないと決めたけど、これは流石に堪えた。
 それが顔に出ていたのだろうか。ヒイロは続けた。
「だからと言って、お前が嫌いだと言う訳では・・・無い、と思う。
 "感情で行動する人間は正しい"、なんてトロワには言ったが、他ならない俺自身が、感情に飲まれて正しい判断が下せてなかった。
 感情は、想いは、暴走する。だから、抱かないようにしていた。
 ―――・・・ただ、お前相手だと何故か、いつもと違った感情が沸き起こる。
 それまでに無かった感情だから、判別が付かない。
 この想いがお前と同じかと聞かれても、今の俺には分から無いと言う答えしか返せない。」
「ヒイロ・・・・・・」
作品名:かなしさは蒼に逝く 作家名:Kake-rA