ある窃視者と詐欺師のはなし
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担当官は、背の高い痩せた男だった。グレーの背広の中の体は薄く、不健康そうな隈の浮いた顔は青白い。面談の席には潜在能力系のクラスで僕の担当教官であるセリーナ先生もいた。未成年者である僕たちにとっての「保護者」である彼らは、僕らが無理難題を押し付けられることがないように、という配慮で同席を許される。でも、こういう「担当官」の権限は先生たちのそれを遥かに上回っていることを僕は経験則上知っている。というわけで僕らは無理難題を押し付けられることに最初から決まっているのだ。
こういう面談のある仕事は、普段よりも「深刻なもの」が多かった。警察の取り調べに協力する、とかそんな程度のものではなく、本格的に法律の枠を超えた世界だ。彼らが僕らアリスに押し付けるに相応しい汚れ仕事という奴である。というわけでこういう面談がある場合はさらなる無理難題が降ってくることになっている。やれやれ。僕はどっかの小説の主人公みたいに天を仰いで、そこから先はあまり深く考えないようにしている。無理難題を押し付けられた未成年者の僕には責任なんて言われたって困るのだ。
今回、僕に課せられることとなった仕事は、群衆の中で特定の人物を割り出すことだった。ある方法で、その人物の意識を特定の記憶に遡及させるので、それを拾い出してほしい、というのだ。担当官は殆ど表情を動かさずにそれを説明した。心は読めなかった。そういう訓練を受けているのだろう。この手の訓練を受けた人物に会うのは初めてではない。公安関係者だな、と僕は適当に当たりをつけた。
「そんな高度なことができるか、保証できませんよ。だいたい、どれくらいの群衆ですか」
僕は冷たいパイプ椅子の上で脚を組んだまま投げ遣りに答えた。彼らが考えるところの「己の能力を過信する反抗的な高校生」の一丁上がりだ。しかし担当官はやはり顔色一つ変えなかった。
「渋谷のスクランブル交差点周辺です」
「範囲は?」
「できるだけ、広く」
「むちゃくちゃですね」
僕は机を爪で叩いた。男は初めて頬を少しだけ上げた。
「君ならできるでしょう」
彼は目の前で資料らしき紙の束をひらひらと振って見せた。おそらく、潜在能力系クラスで行われる実験や訓練の結果をまとめたものだろう。
「…保証はできませんよ」
「君は表層心理に浮かび上がる事象を拾い上げるのが非常に得意だそうですね。反射的に浮き上がり消えていくものを見ることができる。まるで同時通訳のように、人の思考を読み上げることすらある」
それまでの無表情をかなぐり捨て、いきなり演説でも始めるように陶然とした表情で滔々と話し始めた男を半眼で見つめたまま、僕は黙っていた。
「ありがちなようで、実はなかなか特異な能力です。しかも数千人レベルの集団の中から特定の思考を拾い上げることがあるとか」
「それは駄目です!」
横で聴いていたセリーナ先生が声を上げた。
「あの訓練のあと、彼がどれだけ疲労したことか」
「このプロジェクトの有用性についてはすでに先生にはご説明させていただいているはずですが」
男は眼鏡の縁を光らせて先生を睨みつけた。先生は心配そうに僕の顔を見つめながらも黙ってしまう。僕は肩を竦めた。確かにあの訓練のあと、僕は三日間寝込んで一週間学校をサボった。
「アレは訓練での話ですよ。実際に成功できるのかどうかは分からない。訓練でも数十分保たなかったはずだし」
「大丈夫、そんなに長時間を掛けるつもりはこちらもない。せいぜいで数分」
「…どうやってそんなことを?」
「それは、今は言えません」
「じゃあ、その人を見つけ出したあとは、どうするんですか」
「そこから先はこちらで行います」
僕は再び黙り込んだ。逮捕する、という意味か、あるいは殺害する、という意味か計りかねた。しかしそんなことを僕が知ってどうなるだろう。僕は己に与えられたミッションだけをこなせばいいのだ。
暫く考える振りをして彼の心を再び読んでみようと試みる。しかし結構ご丁寧に扉を閉じられているようだった。鍛錬の賜物ですね、と僕は心の中で呟いて、そして突然思いついたような振りをして言った。
「あと、それから僕は、外国語は読みませんし、読めません」
一瞬、男の心の扉が開いた。ただ本当に一瞬で、不意打ちに気付いた次の瞬間には直ぐ閉じられてしまう。
「…なぜ、外国語が必要だと思いました?」
「いや、別に必要なければそれでいいんですけど、以前、ある取り調べに協力した際、あなたと良く似た思考の方に会ったので」
男の眉が顰められる。声を失っている。薄ら開いた扉の奥は混乱していた。これだからガキは嫌なんだ、と言う声が一瞬聴こえてきて笑い出しそうになった。これくらいのイタズラは我慢してほしいものだ。僕は楽しくなって一人で喋り始めた。
「思考、という言い方は正確ではないかも知れませんが。つまりあなたと同じような感じで、僕の読心を防いでいた方にお会いしました。ただ、その方は驚いた拍子にそれが崩れて、そのとき僕の知らない外国語と日本語で何かを考えていたようだったから」
そう、それはまるで逃げる猫の尻尾を掴むような感覚なのだ。男は狼狽を隠すように咳払いした。粘ついた喉が鳴る。
「そんな一瞬で、よくわかりますね」
ほら。僕は一度もそれが「一瞬」の出来事だったなどと言っていない。この男はあの人と同じ訓練を受けた人なのだ。たとえ破綻したとしてもそれが一瞬で終わるように訓練を受けたと自分から語るに落ちている。汗を拭うように彼は手の甲で額を押さえた。そして僕の瞳を見つめた。
「ちなみに今回は他の生徒と協力してもらいます」
「へえ、誰ですか、それ」
僕は最早にやにや笑いを我慢できず、口の端を震わせながら無邪気さを装った声で尋ねた。主導権を握ったと思った。セリーナ先生はおろおろと僕たちを交互に見つめていたが、何も言わなかった。
彼のグレーの瞳が一瞬固まった。
「飛田裕君です」
今度は僕が狼狽する番だった。男の表情は、変わらなかった。その心の扉も、もう二度と開くことはなかった。
作品名:ある窃視者と詐欺師のはなし 作家名:芝田