ある窃視者と詐欺師のはなし
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担当官と同じ訓練を受けていた男、その男が関係していた取り調べとは外国人らしき男のスパイ容疑に関するものだった。一体なんの情報を得たのか、それを探ってほしいと依頼された僕は、普段通りの答えをした。つまり、
「僕は記憶野には入れないんですよ」
と一言で答えた。
男は構わない、と言った。今考えていることをそのまま拾ってくれないか、と。僕は懸命に試した振りをして、今度は別の答えを口にした。
「僕は外国語の思考は読めないんですよ」
「英語も?」
「相手が中学英語で考えてくれるって言うなら別ですけど」
「なるほど」
彼らは国家機密と呼ばれるようなものを僕らに触れさせることに対しては驚くほど抵抗感を抱かなかった。僕らが20歳になるまで学園に軟禁され続けることを知っているからだ。更に学園に要請し、学園が承認すればもっと長いこと学園に拘束することも可能だ。冗談じゃない。僕は20歳であんなところとはさっさとおさらばするつもりだった。
だから相手の男が日本語でとんでもないことを考えていることに気付いて僕は恐怖し、ウソを吐いたのだ。
結局、その仕事は二級上の外国語が得意な読心能力者の先輩が引き受けることになった。罪悪感は覚えなかった。お互い様だと思っていたというのもあるが、彼はこの学園から出ることの方を怖れているタイプの生徒であることを、僕は良く知っていたからだ。多くの生徒はいつかここから出て行くことだけを希望に日々を生き繋いでいるが、たまにそういう人間も、いる。学園の中の社会しか知らないために、それをまるで生命維持装置かなにかのように信仰して、離れられないほどに依存してしまう人間が。
迎えにきたバンに、飛田は既に乗り込んでいた。私服で、と指定があったが渋谷なんかに遊びにいったことは勿論ないのでこれが相応しい格好なのかどうかも分からない。流石に緊張しているのか、飛田の表情に普段の柔和さはなく、毅然とした横顔は見慣れないものだった。仰々しく開けられた学園の門からバンが出ると、直ぐ後ろから数台が発車を始めた。後をつける気でいるのだ。反アリス組織か、あるいはただの犯罪組織か。堂々とぴったりつけてくるところを見ると、一種の政治団体だろう、というあたりはついた。実際、良くあることなので、僕らは誰一人としてそれを気にはしない。
とはいえ、直接外に出るのは危険なので、直ぐ近くの警察署の地下駐車場に入った。そこで車を乗り換える。今度は普通のセダンだった。ドアを開けると、例の灰色の担当官が既に助手席に乗っていた。
バンの中では少し会話もしたが、セダンの中では会話する気にもならず、僕と飛田は隣同士座りながら、ずっと黙っていた。彼の白い指が何度か結ばれ、再び離れるのを、僕は何も言わずにずっと見つめていた。
今日までに説明された手順としては、特定の時間に渋谷のスクランブル交差点の大スクリーンに映像を流し、それによって揺さぶりを掛けられ、喚起される人々の記憶を僕が読んで行く。人数が多いからふるいに掛ける程度の作業しかできない。対象者は特定の記憶を思い浮かべるはずだ、というのが例の担当官の主張だった。それを発見次第、僕は飛田にその人物を指し示さなければならない。飛田は幻覚を利用して対象者の恐怖心を煽り、無力化する。ここで重要なのは、対象者を特定したらすぐにでも僕はその思考から離脱しなければいけないことだ。スピードが肝要だった。そうしなければ僕もまた幻覚によるショックを受けることになる。その後は担当官の指揮でどこの組織だか知らないが、引き継ぐ、と言われた。
こっそりと飛田の思考の片鱗を覗き込むと、何故かグレーのスーツの担当官が、「何故君が選出されたかは分かるな」と冷たい声で彼を見下ろすところだけが繰り返されていた。更にはそこに飛田自身の罪悪感のようなものは読み取れたが、それ以上は理解できず、僕は手を離すように飛田の思考を読むのを止めた。
渋谷に着いた僕らは車から降ろされると、交差点の近くにぼんやりと立ち、腕時計とスクリーンを交互に見続けた。できるだけ待ち合わせをしている高校生に見えるように、と指示されていたが、こんなところで待ち合わせなんてしたことがないのだから演技のしようもない。あまりの人の多さに、僕と飛田はあっという間に気分が悪くなって青ざめた。
少し見回しただけでも、結構な数の私服を数えることができる。まるで観光客や大学生や、サラリーマン、買い物客のような格好をしているが、眼光の鋭さからそうではないことが知れた。
午後三時十五分ちょうど。中央の大スクリーンが、それまで流れていた国連難民高等弁務官事務所のCMから、何か古い映画のような映像に切り替わった。符牒だった。
そこで僕は箍を外した。
突然、数えきれないほどの思考が流れ込んできた。呼吸が一瞬止まる。僕は吐気を覚えながらそれを只管ふるいに掛けた。それはぱらぱら漫画のように本をばらばらと捲りながら、特定のカラー画像を探し出すのに似ていた。何度やっても慣れることはないだろう。
何百冊もの雑誌を捲り続けるような作業のあと、あった、と思った時には僕はアスファルトを蹴っていた。担当官が言った通り、おそらく二三分の間だけの作業だったのに、吃驚するほど疲労している。飛田が慌てて僕を追ってきた。必死で思考の方角を辿った。徐々に近付くにつれ、その映像は鮮明になっていった。
雪原に横たわる、血を流す遺体。
僕だけに見せられたそれは、不気味な写真だった。夜の雪原に横たわる、血を流す遺体。光源がどこにあるのかは知れなかったが、なぜか遺体だけが舞台の上、スポットライトを浴びているかのように鮮やかに見えた。
そしてとうとう、僕は交差点の上で、その思考の持ち主を発見した。
作品名:ある窃視者と詐欺師のはなし 作家名:芝田