ある窃視者と詐欺師のはなし
屈強な外国人男性だと思い込んでいた対象者は、痩せた日本人の女性だった。地味な服装に身を包む、三十代後半から四十代前半くらいの彼女は走り寄る僕たちに気付いて身を竦めた。その瞳が見つめているのが、先頭を走る僕ではなく、そのすぐ後ろの飛田であることに気付いて僕は困惑する。振り向くと飛田も同じように困惑していた。
「知り合い?」
飛田は頭を振り、喘ぐように答えた。
「僕の顔、知られてるってことだね」
行き交う人の間で見え隠れする女が踵を返す。思い思いの方向に横断する人々にぶつかりながら僕らは女を追った。追い続ける彼女の思考の中で、飛田の顔が変化していった。あの柔和な表情が歪んで悪意に満ちたものとなり、歯を剥き出し、目を見開いて、醜く、恐ろしげなものになっていった。
見たことのない、彼の顔。
「悪魔!」
女は声にならない声を上げていた。あの悪魔が悪夢を見せる、と彼女ははっきりと思考した。僕は意味が分からないまま、彼女の思考から離れることもできずにいた。
これは本物の飛田じゃない、こいつの主観だ、動揺するな、と僕は自分に言い聞かせたが、どうしても思考から手を抜けなくなった。早く手放さなければ、僕が対象者を通じて飛田の幻覚を喰らってしまう、ということは分かっていたが、できない。再び飛田を見た僕の顔はみっともないほど怯えていたのだろう、一瞬で何かを悟ったらしい彼は泣き出しそうに眉を下げたが、すぐに僕から目を逸らしてしまった。
「何故君が選出されたかは、分かるな」
あの男の言葉が突然僕の頭にひらめく。ああ、こういうことか、と僕は得心する。
「これは僕の失敗した案件だから、ね、僕が再び選ばれたんだよ。後始末役として」
まるで心を読んだかのように、飛田は僕の耳元で囁き、そして「ごめんね」と言うと僕の背を叩いた。その瞬間、僕は体の自由を失った。全ての知覚が遮断され、完全なる沈黙と闇が訪れた。幻覚だと気付いた時には既に遅かった。同時に二つも幻覚を見せることができるなんて、やっぱり君は天才なんだね、などと思いながら、僕は徐々に意識を喪失した。最後に浮かんでいたのは、やはり飛田の顔だったが、それも結局は闇に溶けた。
作品名:ある窃視者と詐欺師のはなし 作家名:芝田