NAMEROU~永遠(とき)の影法師
――っくしょい!
僕は自分のくしゃみで目が覚めた。
見上げた天井の色、布団に染み付いた懐かしいニオイ、間違いなくここは僕の家だ。
「……、」
瞬きをして、僕は自分の睫毛が濡れていることに気付いた。
「……あれ? おかしいな、」
ひとりごとをごまかすように僕は目元を拭った。鼻の奥がツンとして、まだくすぐったいような、もっと泣きたいような、僕はエヘヘと笑ってみた。目尻をすっと涙が流れた。
――イミわかんないや、天井を見上げて僕は息をついた。
「――シンちゃん、」
襖が開いて女の人の声がした。
「……姉上?」
僕は布団の上で首を巡らせた。
「具合はどう?」
訊ねる声がいつもより優しく聞こえるのは、原因不明の感傷のせいだろう、僕は思った。
「……よかった、だいぶお薬効いてきたみたいね」
僕の額と自分の額に交互に手を当てて姉上が言った。
「……えっ?」
僕は小さく声を上げた。僕を見て姉上が笑った。
「シンちゃん、あなた水風呂で溺れかけて、熱出して大変だったのよ、」
姉上は小袖の肩先にくすくす含み笑いを耐えている。
「……水風呂?」
何のことだろう、僕は覚えがなかった。
「――しかもね、」
まっすぐ僕を見据えて姉上が言った、
「そのお風呂、シンちゃんと一緒にワカメで満杯だったの、」
とうとう堪え切れずに姉上が噴き出した、――どういうつもりだったのかしら、自分ダシにしてお味噌汁でも作る気だったのかしらね、
「――……、」
――アーヒャヒャヒャ、姉上は畳を叩いて腹を抱えた。
それから濡れた目尻を袂で拭って、――ひっ、ひどいわ、今のは我ながらヒドすぎる、まったく全ッ然面白くないッ! そのわりに姉上は呼吸困難に陥りそうなほどに笑いこけている、
(……。)
――そんなにヒキ笑いしてるとゴリダンナ殿にも引かれますよ、僕は少々不安に思ったが、……いいや、あの人はその程度のことでヒキはしないか、たとえ姉上が演芸場に出てにゃ●子師匠ばりのチンパン芸を衆目披露したところで、腹を抱えて涙流して心から大笑いできる、そういう大らかな人なのだ、大らか通り越してだいぶ『雑』のゾーンに片足突っ込みかけてる気もするけど。
(……、)
僕の頭の奥がズキンと鳴った。何か思い出しかけたことがある、
――そうだワカメ……、
ぐったりと重たい僕の頭の中に、ほわんとひとつの灯りが点った。だが、手繰り寄せようと手を伸ばすほど、光はゆらゆら揺れながら逆に遠ざかっていく。
「――……、」
僕は布団を避けて起き上がろうとした。ヒィヒィ畳に突っ伏していた姉上が慌てて僕を止めた。
「ダメよ、まだおとなしく寝てな――!」
姉上が再度噴出しかけた口元を、間一髪袂に覆った。僕の胸元を指差して、しきりにじたばたやっている、
「?」
僕は俯いて下を見た。着物の襟から、ワカメがふさふさはみ出していた。僕は顔を上げた。
「!!」
姉上はすごい勢いで立ち上がると部屋を出て行った。隣の部屋から姉上の、襖をつんざく辛抱たまらんひきつけ笑いが聞こえてくる。
(……。)
何がそんなに面白いのだろう、姉上のツボが僕には理解不能だった。
僕は短い息をつき、ためしにちょっと、はみ出しているワカメのひと房を引っ張ってみた。
――ズルズルズル、引っ張れば引っ張るだけ、ワカメはいくらも伸びてきた。
「……?」
さすがにこれは、僕もヘンだと気が付いた。物理的にありえない、着物の腹の膨らみからしたって、こんなに長いワカメがそこに収まっているはずがない。かさばる感じもまるでしない。
「――、」
僕は思い立ち、膝までかかっていた掛け布団をはいでみた。
「!!!」
枕元の眼鏡を取って敷布団に這いつくばる。……僕が寝ていたちょうど腿と腿の間の辺り、布団の中からワカメがにょっきり生えていた。
僕は恐る恐る、ワカメの茎の脇の空間をつついてみた。ぐにゃっと泥粘土のような感触に指が吸い込まれた。明らかに布団の素材とは別物だ。僕は慌てて手を引いた。
(……ああ、やっぱりコレはユメなのかな、)
後ずさりした畳にへたり込んで僕は思った。
ほら、ナントカいう風邪薬で幻覚見たとかって、さっきの姉上の様子もとてもまともじゃなかったし、本当の僕はきっとまだ、布団の上でウンウン寝込んでうなされているんだ、
――よしじゃあもう一回ちゃんと寝よう!
僕はワカメの茎を引っ張って、根元の異空間ごと脇へ避け、布団を被って寝直した。
ほんの僅か、とろとろとまどろんだだけで、僕の意識は呆気ないくらい簡単に眠りの底に落ちていった。
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作品名:NAMEROU~永遠(とき)の影法師 作家名:みっふー♪