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NAMEROU~永遠(とき)の影法師

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【第三部・第ニ章 加速する焦燥】



うららかな休日の朝、リビングのソファでぐでーっとだらしなくスポーツ新聞を広げていた父さんが言った、
「おーい、母さんお……、」
言いかけて父さんは目の前からバサと新聞を下ろした。いそいそと新聞をたたみ、ソファ脇の新聞入れにきっちり片付ける。そのまま機械人形みたいに真っすぐ立ち上がると、右手と右足を同時に出しながらリビング続きのキッチンに行進していく。
♪フンフフンフ、天パの父さんは鼻歌をうたいながらお茶の用意を始めた。ペットボトルからやかんにタプタプナントカのおいしい水を入れてIHヒーターにかける。ずらりお茶っ葉の缶が並んだ水屋の前に立ち、しばらく何やら考え込んだあと、――コレだ! 選んだのはやや深煎りのほうじ茶、よくわからないけど、父さん的には今日の気分は朝からちょいとエスプレッソ、みたいなノリなんだろうか。
「……おはようございます、」
リビングの戸を開けて白い着物姿の母さんが入ってきた。薄い色の長い髪に隠れて顔はよく見えない。……母さん? ――……てててて、僕は後頭部がズキズキした。てゆーか、いま気付いたんだがどーやら僕はものすごく狭いところにいるらしい、横からぐいぐい押してきていたでっかいわんこが、急に僕の頬をぺろりと舐めた。
「――ちょっ、くすぐったいってば!」
不自然に折り曲げた体勢にこそばゆさを耐えながら僕は言った、
(しーーーっっっ!!!)
わんこの横からチャイナ美少女と、もう一人、パッと見優男の風貌だけどあからさまに胡散臭い黒髪ロンゲのにーちゃんが唇に手を当てて顔を出した。
「???」
――ダレだっけこの人たち、僕の頭は混乱した。混乱に拍車をかけるように、――ダスッ! わんこの反対側から白いナゾの巨大生物が僕に凭れ掛かってきた。全身にまとったペラペラの安物生地の下に、生温かい体温が確かに感じられる。いったいコレの中身は何なのだろう、ナゾの生物とわんこにギュウギュウサンドウィッチされながら僕はなるべく今この自分が置かれた状況を深く考えないようにした。
「かっ、母さっ……、先生!」
父さんがギクシャクしながらも大急ぎでカウンターを回って母さん(?)の前に立った。
「……どうかしましたか?」
髪を揺らして母さんが首を傾げた。
「えっ? いやぁ、そのォ……、」
父さんはエヘヘと締まりなく笑うと天パの後頭部をぐしゃぐしゃに掻いた。湯沸しケトルがピーッと甲高い音を立てた。父さんは再びカウンターの向こうに飛んで行った。母さんがくすりと肩を揺らした。
(……???)
僕はますます混乱した、混乱した、というか、相変わらずわんこにべろべろ容赦なく舐められているせいもあるが、クローゼットの鎧戸越しに覗くリビングの二人のやりとりに、居たたまれないようなこそばゆさを感じたのだ。
「……おはよう」
リビングにまた誰かが現れた。よれよれの半纏に無精髭、起き抜けにも関わらず黒いグラサンをかけている。
「叔父上っ」
振り向いた母さんの声が半トーン上がった。
「――ぅあぉあっちっ!」
よそ見していた父さんがやかんを傾け損ねてダラダラ湯を零した。
「やぁ、今朝は随分顔色がいいようだね」
母さんを見て、グラサン叔父上が渋い口調に言った。
「はいっ!」
握り締めた小袖の袂を肩まで上げて、母さんの声はるんるんキャッキャしている。急須に湯を注ぐ父さんの表情がたちまちどす黒いものに塗り込められて行く様を僕ははっきりと見た。
「……ほぉら叔父上お茶ですよッ!」
――ダスッ! 父さんがカウンターに叩きつけるように湯呑みを置いた。半分以上中身が零れて父さんの手に掛かった。熱くないんだろうか、僕は思った。叔父上は眉一つ動かさない。母さんはキラキラの瞳(想像)で叔父上のことしか見ていない。
「……、」
フゥと大袈裟に溜め息をついて父さんが言った、さりげなくお茶の掛かった手の甲もフリフリしている、――やっぱり熱かったんだ、僕は思った。
「先生、叔父上だってそう暇じゃないんですからいつまでも引き止めてないで……」
「私は一向に構わんが、」
――何ならこのまま同居してやっても差し支えないくらだがね、はっはっは、叔父上が鷹揚に笑った。――まっ、キミタチみたいな万年新婚夫婦にそりゃ野暮ってものか、だっはっは、グラサン叔父上の笑いからだいぶ品がなくなった、
「……。」
父さんは眉間に縦皺ガン刻みのすっかり悪い顔になっている。
「やーっだもう叔父上ったら〜☆」
母さんはきゃっきゃしながら叔父上をばしばし叩いた、
(……。)
どうしよう、僕はだんだん母さんのキャラがわからなくなった。見かけ通り、清楚で儚げで優しい人だとばかり思っていたのだが、どうやら中身は往年の宮●●えばりにブッ飛び!であるらしい。俄かに信じ難いし、できれば信じたくはなかったが。
「……、」
ヒィヒィ腹を抱えていた叔父上だが、笑い過ぎて喉が乾いたのか、急にキリッとグラサンの位置を正すとカウンターの湯呑みを取り、ぐいと一息に煽った。
湯呑みを傾ける手元から肘先への角度といいラインといい、いちいちいぶし銀スタイル、というか芝居がかってる、というかぶっちゃけあの叔父上って人もなんだかなー、僕は思った。