ハンサムキラー
花井の忠告のあと、部活が終わるまで女の子が水谷を待つことはなくなった。
結局1週間で終わった、僕が幽霊と見間違えた子含め5人、誰一人として待たなくなったということは水谷がその都度なにか言っているのだろう。モテる男は往々にしてマメなものだ。
そうなると大変困ったことに、なぜかあいつに懐かれている僕は家路を共にすることになる。
一人で帰れよとも一人で帰りたいとも言えない僕は、水谷の隣でニコニコ笑いながら波風立てることなく話を聞いている。水谷の喋ることといったら大抵、ナントカとどこ行ってなに食ってあいつんちでしてあんまり良くなかった、まぁそんな感じ。僕じゃなくてもいいだろうに、頷いて同意するだけで水谷は満足そうにする。それは水谷のよくわからない優越感を満たしているような気もしたけれど、もう正直どうでもいい。
明日は日曜、珍しく部活は休みだ。浮かれ気分の水谷は今付き合っている彼女との予定についてべらべらと語り出す。妙にハイテンションなのは現在の彼女とはじめてそういうことをするかららしくて、その子は前の子より胸が大きいとか色が白いという水谷の期待を、僕は耳の右から左へ聞き流す。うん、そうなんだ、へぇ、いいなぁ、楽しみだね。いつもどおりの受け答え。
「栄口はエッチしたことある?」
水谷は時々こういう愚問を投げかけて僕の反応を見る。からかっているんだろう。貼り付けた笑顔を崩さず無いよと答えたら、なんで?と聞き返される。そんなのお前がやたらとっかえひっかえ女を変えるほうがよっぽど『なんで』だよ。
「いや、オレはやっぱすげー好きな子としたいっていうか」
「そういうのっていかにも童貞ぽいよねー」
「はははは」
空気を読まない水谷に、僕もまたそんな空気を読むつもりは無かったので乾いた笑いを返したら、あいつもあはははと笑い出した。おいおいフォロー無しですか。途端に薄暗くなった僕の心を代弁するように、言うはずの無い黒い皮肉が口からこぼれる。
「お前いつか刺されそうだよなぁ」
どういうふうにして女の子を振るのか、それがどんな下らない理由なのか、全部お前から聞かされて知っている僕は妄想でもなく事実としてそう予測できる。
水谷は一瞬目を丸くした後、その皮肉を振り払うように嘲笑し、「誰にー?栄口とか?」なんて冗談を言うものだから、僕の怒りはいよいよピークを迎えようとしていた。
なんでオレがお前を刺さなきゃいけないわけ?引きつった笑顔で吐いたセリフに返された言葉は至ってシンプルだった。
「だって栄口オレのこと好きじゃん」
「はぁ?」
「俺知ってるよ、栄口はほんとは俺のことすげー好きなくせに」
「自惚れんのもいい加減にしなよ?」
「栄口はさぁ、俺が女の子にするみたいにキスとかエッチとかされたいんだろ?」
「……お前頭おかしいんじゃないの」
「俺のこと考えてオナニーしたりしてるんだろ?知ってる……」
「黙れよ」
きつく睨んだ瞳はふやけた笑顔にあっさりかわされる。
馬鹿だ、最初から負ける喧嘩を仕掛けてしまった。修羅場慣れは水谷のほうが1枚も2枚も上手なのだ。
水谷が腕を強引に掴み、振り払おうとしたそれはいつの間にか逃げられないくらい僕の身体を抱きとめていた。やめろと言いかけた口に強引に水谷の唇がくっつき遠慮なく舌が入ってくる。その手際の良さは12人(+中学での悪名)との付き合いを連想させる、非常に手馴れたものだった。しかも夜9時過ぎ国道脇の人気のない歩道、こんな往来で。
口の中で舌が這い回る感覚に思わずぞくりした。本当に勘弁してくれ。僕は持てる力すべて振り絞り無我夢中で突き放した。
呼吸が整わない僕の向こう、ぼんやり突っ立った水谷は口の辺りを手で押さえている。
「噛まれたのは、はじめてかな」
通りかかった車のライトを逆から浴び、薄い唇をペロリと舐めた水谷はさながら吸血鬼のようだ。
その隙を見計らい僕は全速力で走って逃げた。
暗い夜道、恐怖心から振り返っても水谷は追いかけてきてはいなかった。気が抜けた勢いで腰も抜けそうになった。もたれかかった電柱の冷たさが気持ちいい。
そして僕は今日という日を呪った。