ファタルの埋葬
その後のひと月ほどを、家康は軍師の采配で三成とは違う戦場へ赴いて過ごした。
そして報告もかねて大阪へ戻った際に、別の場所で展開していた戦のさなかで三成が負傷したと聞いた。怪我の程度はわからないが、ひどく憔悴して臥せっており、容体が落ち着くまでは安静にする必要があるという。
家康は覇王と軍師に顔を見せるよりも先に、三成の居室へ向かわずにはいられなかった。
三成は既に剣を扱うことにかけては天賦の才を発揮していた。さほど大きいわけでもない戦で不覚を取ったことが信じ難く、駆ける途中で見かけた三成配下の兵を捕まえて問いかける。
「一体何があったんだ?どうして三成がそんな――」
その途端、兵の身体が大げさに震えた。家康はその反応に驚いて、肩を掴んでいた手を外す。兵は、がくがくと震えながらうわ言のように言った。
三成様は、人ではあらせられぬ。
その言葉に、何か、途轍もない戦慄が家康を襲った。
「何があったのだ、教えてくれ」
「三成様は――ただお一人で、すべてを滅ぼしてしまわれた!」
あの方はお強い、そしてあの方は恐ろしい!
兵は、歯を鳴らし震えながら言い募る。だが恐れておきながら一方で、その眼には魅せられたような高揚が、ぎらぎらと濡れたようにちらついていた。お強い、恐ろしい、――うつくしい。家康はぞっとして言葉もないまま、さらに脚を速めて三成の居室へ駆けた。辿り着いた先では、匙が回廊を立ち去ろうとする所だった。三成の様子は、と思わず引き留めて問いかけた家康を、匙は暗い眼で見た。
命に関わる具合ではございませぬ。だが今は会わぬほうが良い、獣のように唸るばかりの労しくも空恐ろしい有様……
家康は、皆まで聞かずに部屋へ踏み込んだ。
そこには他に人影はなく、熱で朦朧とした三成がいるばかりだった。眉根を寄せ、薄らと脂汗を滲ませて、歯軋りするように唸っている。家康の呼吸までし難くなるような、息の詰まる苦しい声だった。充満した薬の臭いが鼻を突く。額には包帯が巻かれ、苦悶を浮かべた顔にもきつく握りしめた拳にも無数の傷があり、何より肩に覗いた包帯が上半身に大きな負傷のあることを知らせていた。
三成。
呼んだのは、答えを期待したわけではない。ただ、己がここにいることを知らせたい、そんな縋りつくような気分だった。
だがその声に対して、三成が硬く閉じていた目蓋を薄らと開いた。そしてその眼は宙を彷徨い、やがて静かに横を向いて、固唾を呑んでその動きを見守っていた家康を捉えた。
その瞬間に、三成は熱で潤んだ瞳をわずかに和らげて、
家康。
小さくそう呼び返した。
家康は慌ててその枕元へ飛びつき、三成三成、ワシはここにいるぞと声をかけた。
「そこに……?」
「ああ。いる。ここにいる。三成、――三成、どうしてだ。どうして、一人で、などと」
それを口にした時に家康の脳裏を走ったのは、臭気混じりの風を背に戦場を駆け、瞳を赤く光らせて眼につく兵をひたすら屠る三成の怖気を催すような姿だった。家康は既にそれが事実と悟っている。
折り重なる死を一人で作る、総てが息絶えるまで殺戮を尽くす。
それはこれまでの戦で見せた働きとは比べようがないほどの残虐だ。
眼の前に臥せる、見知った少女が途端に得体の知れない者に思えて、家康は反射的に乗り出していた身を引きそうになった。だが、三成はたどたどしく答えた。
「はんべ、えさま、が。……いった、すべて殲滅せよと、わたしは、……私は、それにおこたえして……」
冷水を浴びせられたように、家康の全身が冷えた。あの、必要とあればどれだけでも冷酷になれる軍師の空恐ろしさを思い出す。
半兵衛殿は、三成を、どうするつもりなのだ。
三成はゆらりと浮かせた自らの腕を顔に乗せ、表情を押し隠してしまった。家康は無意識に首を振りながら、血に満ち満ちた泥の沼に沈もうとする三成の手を引こうとして必死になった。
「恐ろしかったか」
「ちがう、……誉れだ」
「恐ろしかったのだろう」
「……わたしは、あの方に、お応えしたまで……」
家康はもはや朦朧として稚い声を出す三成に、恐ろしかったのだと言わせたかった。自分が成した所業を否定して欲しかった。言葉を重ねようとして、家康が口を開いた時に、三成が腕の下から眼を覗かせて家康を見た。焦点の合わない瞳で家康を見ながら、三成は言った。
「どうして、………貴様はあそこに、いなかったのだ………」
頭を鈍器で殴られたような気がした。
そうだ、なぜ、いられなかったのだろう。
お前が呼んだのならすぐにも隣へ行って、止めてやりたかったのに!
三成は言葉を発するのも限界のようで、静かに一度目蓋を閉じると、すぐにも眠ってしまったようだった。だが、家康はずっと凍りついたようにその場を離れられないままだ。
一瞬のうちに渦巻いた感情――夢うつつでも歪んだ誉れを手放さなかった三成への怒り、あの軍師への眼が眩むような怒り、そしてその場に居合わせることができなかった自分への怒り。技量だけを見ればそんな必要などないと知りながらも、家康は、この細い身体をした少女を守ってやりたかったとすら思った。それらが弾きだした答えに、茫然としていた。
愛しい、のか。
出会った頃からずっと牙を剥きあい、我を張り合い、互いが互いを切磋琢磨させることに気付きながらも素直にはなりきれずにずっと。それでも交わしてきたものが、他とは全く別なものであったことを、家康はこの時にようやく気付いたのだ。腹の底がうねるように熱かった。
どうすればいいのか。お前が愛しいよ。三成。
家康は気付くのが遅すぎた。
取り返しのつかないものはあるのだと、この戦乱の世の無慈悲を知っていながら掴み損ねた。