好奇心は魂を残した
気をつけて帰れよ、なんて言いながらさて、と正臣も向き直った先で非常に見たくも無い物を目にしてしまい、思わず顔を顰めた。同時に、相手もこちらに気付いたようで上げた顔が揶揄するようなものに変化している。こうなっては知らぬ存ぜぬでは通せない。
「やあ、今晩は紀田君。それにしても今日は盛大だよね。来良も思いきったものだ」
「……こんばんは、臨也さん」
苦虫を噛み潰すような顔と声で挨拶を返すが、それにも何とも思わないようでいつもどおり黒のコートを纏った男は朗らかに笑った。
「ふふ、でも君もなんだかんだ言って今日の夜を楽しんでるみたいだね。よかったねぇ」
「はぁ。そう言う臨也さんはいつも通りっすね」
「ん、まぁ俺は必要ないからね」
何がだ。思うが口に出すようなまねはしない。黒のコートに黒ずくめの恰好を普段からしている、この男。眉目秀麗を地で行く癖に、性格は酷く捩子くれ曲がっていると言われる男の噂はよく耳にしていた。
正臣だって、出来れば関わり合いになどなりたくはない。だが、正臣が親しく付き合っている相手がこの男の庇護下にあるのだ。嫌でも顔見知りになる。顔見知りだと言っても正臣は彼に好意を砂粒ほども抱いてはいないが。
しかし、なんだってこの男がこんな場所に居るのか。また趣味の人間観察の一環だろうかと思ったところで、「なんで俺がここに居るのかって顔してるね」と臨也自ら明かす。
そんなに分かりやすかっただろうかと思ってやめた。観察眼に長けている臨也からすればその程度はお手の物なのだろう。現に、にやにやとした笑みを彼は崩さなかった。
「ちょっとね、人を探していてね」
「はぁ。でもこの人込みですからね。見つかるといいですけど」
「気持ちだけ受け取っておくよ。でももう無理だね」
コートから携帯を取り出して時刻を確認する。既に日付は翌日、11月に入ったことを示していた。諦めたように踵を返す彼にさっさと立ち去れと脳内で呟けば、「あ、そうそう」と見透かしたように彼は振り向く。
にまり、と笑んだ彼の表情になんだかよからぬものを感じるが、相手をしないわけにはいかないのだろう。諦めて向き直る。
「なんですか」
「うん、紀田君はさ。なんでハロウィンに仮装するか知ってる? それも、こーんな化物の恰好をさ」
「……そういうのが出歩く日、だからでしょう?」
「ま、半分正解、かな。古代ケルトでは11月1日に新年が始まり、その前日に当たる10月31日は死者や妖怪や妖精……要するにあちら側と扉が通じる日だと思われてたんだよねぇ。それらから身を守るために仮装したのがハロウィンの始まりってわけ」
お菓子云々はキリスト教が入ってからだね、と口上を述べる臨也にはぁと相槌を打つ。相変わらず無駄に博識な人間だと僅かに感心していれば、ここからが本番とばかりに、臨也は口角を吊り上げた。
「広場には篝火が焚かれて、その火を祭司が松明に分けて配り、各家庭にそれを持ちかえって決して火を絶やさなかったそうだよ。魔除けの炎としてね」
「へぇ。で、それが俺と何の関係があるんですか」
待っていた、とばかりに臨也の目が鋭い光を帯びた。褐色の目はそれこそ爛々と輝き、まるで赤い二つの灯火のよう。思わず息を呑んだ正臣に、臨也はそれはそれは嬉しそうに問いかける。
「君の、奇特な友人。ハロウィンに再会した彼はあの篝火に近付けたかい?」
「……なに、言って」
「毎年毎年会うのが特定の日だけ。おかしいとは思わなかった?」
「それ、は」
「疑問や疑念が無かったなんて言わせないし、本当になかったんなら愚かだよね。純朴とも言い換えることができるけど。もう一回だけ訊こうか。君は、本当に、誰と一緒に居たんだい?」
「俺は」
帝人と一緒に。言おうとして気づく。声が出ない。
あまりに突飛な話を聞かされたので気が動転しているのか。ただの戯言、冗談だと流せばいいだろうに。逢えない理由なんて様々だ。篝火に近づけなかったのだって火の熱気が苦手だとか理由はあるだろう。
頭の中でぐるぐると反論が渦巻くが、結局そのうちのどれか一つとて声になることはなかった。どうして。愕然とする正臣に臨也の眼差しが突き刺さる。
視線を感じながら正臣は自分が震えていることに気づく。怖い。怖い?
恐怖を感じていることに気づく。何が怖いのだ。臨也が言った内容がか。そんなもの、この現代で妖怪云々なんて今更と思わなくもないけれど、正臣は知っている。
この男は――臨也は。たとえ冗談の中でも僅かに真実を紛れ込ませるから怖いのだ。
正臣の中で、全身全霊でもって嘘だと叫びたい何かがある。さっきまで顔を合わせていた友人の姿を思い出す。幽霊?馬鹿を言うな。彼がそんなものだなんて。そんなものだなんてあるわけが――。そこまで思い至って、ふと、納得した。混乱した中でも絶対これだけは、と言い張れること。
「――臨也さん」
「うん?」
「あんまり、俺の親友を侮辱しないでくださいね」
低い、地を這うような声で告げる。激情が隠し切れていない宣告を、臨也は僅かに目を見開いて受け止めた。
「例え帝人がなんだろーと、あいつは俺の親友です。一年に一回しか会ったことが無かろうが、そんなの俺が決めることであなたが決めることじゃない。……アイツを馬鹿にするんじゃねぇよ」
その言葉に臨也はにんまり、と笑んだ。目が歓喜に彩られる、が、すぐに苛立ちが現れた。悔しそうに、嘲るように舌打つ男はくるりと踵を返す。
満足した返答だったのかは知らない。だが、かなり気分に水を差されたどころか最低ランクにまで叩き落とされた正臣としては彼が去るのは好ましい。
とっとと消えされ、と彼の天敵と噂される相手と同じことを考えながら正臣も別の方向へと歩き出す。その耳に、去り際だろう。人ごみで喧騒もそれなりだというのに、妙にはっきりと臨也の声が届いた。
「本当に、むかつくね。そうやって君はいつまでたっても彼を離さないんだから。契機は君だったくせにさ。ああ、本当に苛つくなあ。どうせまた君はすぐに忘れてしまうくせに。ああ、もう、いっそ―――」
次の言葉は聞こえなかった。ばっと振り向いた先には臨也の姿は見えない。
それが妙に安堵して、だけれども不安を煽るようで。沈みかけた気分を救うかのように「正臣」声をかけられる。先には見知った少女の姿。
ほっとしながら彼女の手を取る。その時にはもう、不安などどこかに消えてしまった。